MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

友だちは大切です。旧友ならばなおさら。
ねぇ、俺たちって「友だち」だよね?

久しぶりに古里に帰った。
することもなくブラブラと歩き廻っていると、
あまりにも懐かしい顔にバッタリと会った。
中学の同級生だったA君である。
A君は優秀であった。
県内でも常にトップクラスの成績で、
地元の新聞にも度々名が載ったりした。
比べるまでもなく私の成績は哀しいもので、
そのくせ優秀な成績の
同級生のそばにいるのが好きだった。
成績の悪い生徒
(自分も充分に悪かったのにもかかわらず)など
完全に無視していた。
当時流行りだした誕生日パーティなどというものにも、
馬鹿まる出し、
恥かしげもなく出席したりしていたのだ。
パーティといっても中学生のこと、
せこいオモチャ
(高いものを買ってくる
 お金持ちのおぼっちゃんお孃ちゃんもいたが)などを
プレゼントと称して持参するのである。
ケーキや紅茶などを振る舞われてゲームなどをする、
実に他愛ないものだった。
しかし今にして思えば、
立派なエリートたちだけのお楽しみなのであった。
成績の良い子が優秀なお友達だけを呼んで楽しむ
選ばれた空間、時だったのだ。
そんなパーティに、
(ひょっとすると呼ばれてもいなかったかもしれない)
なんの躊躇もなくデヘヘと参加していたのだ。
ここまで来ると、
我ながら立派なものだとホメたくなってしまう。
自分でもよく分からない心理なのだが、
プロ・マジシャンとなった今でもその傾向にある。
つまりテクニックの素晴らしい、
評判の良いマジシャンのそばには駆けよってしまう。
反面、どうでもいいようなマジシャンなど
見向きもしない。
世界のエリート・マジシャンが集まるパーティには
万難を排して出席し、
中でもメインのマジシャンをぴったりとマークする。
そばにくっついて歩き廻り、さも親しげに話しかけ、
分かりもしない英語の会話に
「オ〜ウ、ノ〜ウ。ワッツ? ア〜ハッハッハ」
などと笑ったりする。

あるパーティでのこと、
アメリカの伝説にさえなっているマジシャンを発見した。
さっそく近付いて写真を撮ってもらうことにした。
頭に描いているのは
日米の大物マジシャン同士のかたい握手、
という構図であった。
ところが当方の差しのべた手など無視して、
伝説のアメリカン・マジシャンは
私をひょいとダッコしたのであった。
身長2メートルの彼には、
私が子供に見えていたのだろうか。
多くの人々がシャッターを押しつつ大笑いをしていた。
私も笑うしかなかった。

努力や向上心などといったことが苦手で、
コツコツと続けることや耐え忍ぶことなど
大っ嫌いなのに(だからというべきか)、
向学心に燃えて努力し、
耐え忍び継続してきた人々が好きなのであった。
なんなのだろうかこの性格、
自分でも相当あきれる性分ではないか。
映画とかドラマでも、
努力した人や優秀な人々の成功物語、
あるいは哀しい結末などを描いたものには目がない。
ビデオに撮って何度でも見、
その度にオイオイと泣いてしまうのだ。
そのくせグウタラなやつ、しょうもないやつ
(つまりは私のような人間である)の成功物語には
怒りを覚え、
悲劇にはザマァミロなどと罵ってしまうのだ。
「当たり前だよっ、努力もしないで成功しようなんて
 ずうずうしいにもほどがあるんだよっ」
テレビに向かってつぶやいている。
ひょっとするとすでになにかの病気の一種かもしれない。

話がずいぶん横にそれてしまったが、
A君である。
優秀な生徒の中でも特に優秀だったA君、
私は常にA君のそばにいた。
といっても何かしてあげられることなんてありはしない、
むしろあれこれ教えてもらうことばかりだった。
どうせ覚えられるはずもない公式を、
繰り返し説明してくれたこともある。
授業中にもかかわらずあれこれ大声で聞いて、
二人して廊下に立たされもした。
体育も得意だったA君とむりやりコンビにしてもらい、
バトミントンの試合の優勝候補だったA君を
初戦敗退にしてしまった。
A君とそんな懐かしい思い出話をして別れた。
東京に戻り、葉書を出した。
「A君、この間は楽しかったよ。
 まったく、中学時代は世話になったよ。
 でもまさか恨んだり根に持ってないよなぁ?
 俺たちは良い友だちだったよな? 」
返事は未だに返ってこない・・・。

2002-09-22-SUN

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