MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

A先生

私鉄沿線の小さな駅、
路地を挟んで八百屋や豆腐屋が並んでいる。
再開発計画でも起きようものなら、
たちまち壊されてしまいそうな店ばかりだ。
商店街を抜け、
少し歩いて左に折れて進んだ右側のアパートに、
A先生の住まいがありました。
マジシャンとしてプロ・デビューをはたしたものの
右も左も分からない僕たちは、
プロ・マジシャン歴ウン十年の大先輩、
A先生一座の臨時弟子として教えを乞うことになり、
ご自宅に伺うことになったのです。

一座には、奥様でアシスタントのB子先生、
後見(アシスタントだが箱に入ったりはせず、
道具を運んだりステージで道具を入れ代えたりする
黒子的な役目)のCさんがいました。
A先生はアパートの2部屋を借りていて、
ひとつは住居用、もうひとつは
マジックの大道具を置いておくための部屋でした。
ですが、住居用の部屋にも大道具が置いてあって、
今まで見たこともない不思議な住まいでした。
冷蔵庫の横にジグザグ・ボックス(B子先生が入って
大きなアルミ板を2枚刺す。するとB子先生の身体が
3分割されてジグザグになってしまう大ネタ)があり、
タンスの横にギロチン(首を入れて固定し、
上から大きな刃が落ちてきて首を直撃する。
しかし、無キズのまま)があったりしました。

他にもドクロの仮面やサーベルが転がっていて、
居間には大きなトリカゴに鳩(手品用の鳩で
銀鳩という種類。神社の境台にいるのは土鳩)が
クッククゥ〜と鳴いているのです。
神妙な僕たちに、A先生はご自身の経験から得た
貴重なお話をしてくれました。
当時、主な仕事先はキャバレーの舞台で、
様々な習慣やルールがありました。
「挨拶は夜でも『おはようございます』だからね。
 『こんばんは』なんて言うと笑われるよ。
 で、3日間同じキャバレーに入った場合は
 2日目に中日(なかび、キャバレーのスタッフ、
 バンドさんらにビール代程度のお礼金を払う)を
 忘れると、ネタを隠されたりのイタズラをされることが
 あるからね。」

確かに、業界用語は難しいものばかりです。
テレビ業界では片付けることが「わらう」だったり、
次の仕事があって時間の余裕がないことを
「けつかっちん」といったりします。
ホテルの業界用語で、テーブル・クロスを掛けて
パーティの名称が入った布をたらすことを
「スカートはかせてふんどしをたらしといて」などという。いやはや。
まずは実際に仕事場を見学すれば、という先生の言葉に
従うことになりました。

場所は横浜、「ニューパリ」というキャバレーです。
入り口横にショー・スケジュールが張り出してあり、
「Aのマジック・ショー」も写真入りで載っています。
ショーは8時と10時の2回、
6時には入って道具の組み立て、バンドさん(当時は
生バンドの演奏をバックに演じるのが常でした)との
打ち合わせに追われます。
Cさんは大忙しで動き廻るのですが、
時々B子先生の厳しい叱責が飛んできます。
「Cくん、ボルトがゆるいわよ!
 これじゃダメッて言ってるでしょ!」
僕たちは手伝うことも出来ず、ただオロオロとするばかり。

さて、いよいよ1回目のショーの時間が来ました。
A先生は鳩を仕込み、舞台袖に待機しました。
バンドの演奏とともに進み出て、
ハンカチから鳩を次々に取り出します。
その鳩を入れたトリカゴに布をかけて
エイヤッ、消してしまいます。
続けてB子先生を箱に閉じ込めてジグザグにしてしまい、
最後は縛られたA先生が箱に入れられ、
外にいたはずのB子先生と瞬時に入れ替わるという
大ネタで終了しました。

誰も見ていない・・・。
鳩が出ても人間がジグザグになってしまっても、
驚きどころか拍手すらない。
想像もしなかった有様ですが、
CさんもB子先生も淡々と演じています。
A先生もいつもの表情を崩しません。
客は女性とのコミュニケーションが目的で、
マジックにはなんの関心もないのでした。
僕たちの暗い顔を見て、A先生が言いました。
「うむ、次はもっと強烈なアレをやろう。」
アレとはA先生の新ネタで、
頑丈なチェーンでぐるぐる縛られた先生が
一瞬のうちに脱出して前のお客様と握手してしまうという、
観客アゼンボーゼンの大ネタだったのです。

さぁいよいよ新ネタのお時間がやってまいりました。
これで観客のハートをググゥ〜ッと鷲づかみ!
胸ぐらをつかまれているのはA先生の方でした。
ラクラクと脱出を果たして
最前列の客に手をさし出した直後、
「なんだよ、なんか用か!」
明るいプロ生活ばかりを夢見ていた僕らには、
まさに冷や水を掛けられた思いでした。
厳しいというよりなにより、
せっかくの芸がなんの反応も得られない虚しさが
心に堪えました。
「なんか、つまんないとこ、見せちゃったねぇ。
 でも、ちゃんと見てもらえることだってあるからね。
 今度の仕事も手伝ってもらえるかな」
次の仕事は遊園地でした。
子供たちが目を輝かせて見つめていました。
アシスタントで舞台に立った僕たちは、
妙に緊張してしまったのを覚えています。

A先生はすべてお見通しだったのでしょう。
僕らが明るい夢ばかりを見ていて、
そのままプロになって受けるであろうショックを。
言葉でいくら酷しさを説いても、
あの頃の僕らには分かるはずもありませんでした。
「楽しいばかりではないよ、でも辛いばかりでもない。
 気長にがんばりなよ」
A先生、今はちゃんと分かるような気がします。

2002-03-08-FRI

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