MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

「H氏」


H氏は紳士である。
長らく某テレビ局に席を置き、
様々な番組をプロデュースしたという。
リタイアした後も、その経験を買われて
ライブ劇場の演出などを手掛けている。

氏は立派な大人である。
白髪で痩身、ものごし穏やか、
その口調あくまでソフトである。
氏は大変なマジック・マニアでもある。
しかもマニアのあいだでは
有名なマジック・コレクターで、
氏の邸宅にはマニアが小躍りして喜びそうなネタ、
ヨダレが止まらないビデオなどが広い部屋を占領している。
氏の人徳からであろう、実に多くの人々が慕い、集う。
その人脈の多彩なこと、豊かなこと。
しかも氏が一言、
「ちょっとお願いが・・・」
と言えば、
内容も聞かず駆けつける人々ばかりである。
氏は無欲の人である。
貴重なコレクション・ビデオであっても、
望まれればホイホイとダビングに精を出す。
ヨーロッパのビデオは日本とシステムを異にするが、
氏はちゃんと変換できるビデオ・デッキを用意している。
ダビングしたビデオは
すべて無料でプレゼントしてしまう。

そんなH氏と、
我々も永いお付き合いをさせていただいている。
ありがたいことに、仕事までいただいたりしている。
ある日のこと、電話を頂戴した。
横浜で、氏の関連するパーティへの出演依頼であった。
待合せはホテルの近辺で、
それぞれ携帯で連絡を取り合うことになった。
横浜に、時間通り到着した。H氏の姿は見えない。
待合せの時間もかなり過ぎたので、携帯をかけてみた。

「お客様の電話は電源が入っていないか・・・」
う〜む困ったと思った矢先、
当のH氏が手を振りながら歩いてきた。
「Hさん、さっきから
 携帯を鳴らしてるんですけど・・・」
「あぁ、そう? 」
氏は思い出したように我々の前で手にしていた
アタッシュ・ケースをパチンと開けて、
書類に埋まっていた携帯電話を取り出した。
「実は僕は携帯を持ってなくて、
 女房の携帯を借りてきたよ。
 ねぇ、電源はどうやって入れるんだい? 」

H氏から、また仕事をいただいた。
「Hさん、今度はどこでしょう? 」
「えっとねぇ、静岡と横浜のあいだの、
 どこかだよ」
う〜む、いったいどこなんだろう。

H氏から、またまた仕事をいただいた。
場所はH氏のご自宅の目と鼻の先とのこと。
車でご自宅に向かった。
H氏を乗せ、
「Hさん、どちらへ行けばいいんですか? 」
「まず、静岡インターへ行って、
 それから東名で清水インターヘ・・・」 
あの、目と鼻の先って、ずいぶん遠いような。
しかもご自宅の2階から見えるとも聞いていたが。
我々の戸惑いをよそに、
H氏は嬉しそうに最近手にいれた
トランプのマジックの話に夢中である。
途中のサービスエリアで食事をしていこう、
という氏の提案でカツ丼などをいただいた。
やっと会場に到着、
お宅を出て早くも2時間を経過していた。
ずいぶんと遠い目と鼻の先なのであった。
「Hさん、ところで出番はいつごろですか? 」
「う〜ん、あと10分くらいで出番かな? 」
大慌てで支度してアタフタと出番は終了した。
「Hさん、僕らは支度に30分くらいは
 必要なんですが」
「へぇ〜、そうなんだ」
30分でも、マジシャンとしては
すごく短い準備時間なんだけど。

H氏から、またまたまた仕事をいただいた。
「今回は静岡駅前の会場だよ。
 14時に改札で待合せしよう」
14時に駅に着き、改札を出てH氏を捜した。
氏の姿はどこにもない。
もしやと思い、ご自宅に電話を入れてみた。
奥様がお出になり、
「今、シャワーを浴びてて。
 あっ、出てきたわよ。
 ちょっと待ってね」
「・・・」
「ねぇ、タクシーで先に行ってて。
 僕もすぐ行くよ」
「・・・」
やはり会場は駅前などでなく、
タクシーで30分はたっぷりかかるのであった。

H氏から、
またまたまたまた仕事をいただいてしまった。
氏の知人のパーティが、
とあるホテルで開催されるので、
ポケットに入る程度のネタを持って
参加してほしいとのこと。
しばらくすると、
ホテルからチラシが送られてきた。
そのチラシには、
「ナポレオンズ・ディナーショー」
と書いてあった。
ポケットに入らない大ネタを慌てて用意した。

H氏への人々の信用は絶大である。
ゆえに氏がかなりアバウトな、
手品好きのただのオジサンであることは
まだ誰も知らない。

H氏は現在、病気加療中である。
しっかりと治癒されて、
またマジシャンを慌てさせ驚かすような仕事を
ご一緒させていただけると、
信じて待っています。

2002-02-24-SUN

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