MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

「海外ロケ」、なぜかこの言葉に弱いんです。
この言葉が耳に入ると、冷静な判断が失われて
「はいはい」なんてふたつ返事をしてしまう。
しかし、現実はかなり厳しいようで。
でも、また行きたいような、題して

「夢の海外ロケ」

ロサンゼルスでロケをするという、
大変にありがたい仕事が入った。
ロスの郊外に砂漠地帯があり、そこでの収録である。
台本を読んでみた。
「暑く乾いた風のなか、男が二人歩いている。
 ひとりが喉の渇きを訴える。
 するともう一方がマジックで冷た〜い水を出す。
 しかし、その水を自分で
 『イッキイッキ』などのかけ声とともに
 飲みほしてしまう」

年明け早々、我々はロスへと旅立った。
さらに空港から車で揺られること5時間、
ようやく辿りついた砂漠には、
信じられないことにうっすらと雪が積もっていた。
同行の放送作家はしばし沈黙の後、
「台本を書き直すしかないねぇ」
そうなのだ。
我々が思い描いていた砂漠、
暑く乾いた砂原はどこにもなく、
水の代わりの雪がいくらでもある。
しかも寒いのなんのって、
凍えた身体を温める熱〜い飲み物が欲しい。
「じゃ、『寒い寒い、熱〜い飲みものが欲しい』
 これで行こう」
作家は言った。

マジックでお湯を出してさぁイッキイッキの場面・・・、
飲めない、お湯はイッキイッキとはいかず、
ふぅふぅしながら飲んで
そのシーンはあえなくNGとなった。
砂漠での収録はただ歩き続けるだけのシーンで終わり、
ロス中心街に戻って深夜まで収録が続いた。
ホテルに戻り、着替えないまま眠ってしまった。
すぐ朝が来て、あちこちロケをした。
深夜になり、風呂でぐうぐう寝た。
翌朝空港に行き、
僕らの2泊4日ロサンゼルスの旅が終わった。
日本に帰っても、時差ボケがまったくなかった。
(ボケるほど寝てないっての)

としまえん遊園地で午後2回ショーをやった。
11月の寒い風が吹いているステージ、寒かった。
なんとかこなして成田に移動し、
そのままパリ行きの飛行機に乗った。
パリでロケという、大変にありがたい仕事が入ったのだ。
機内の空気は乾いている。
としまえんで冷えた身体に乾燥が追いかけてきた。
「馬鹿は風邪をひかない」を身をもって証明してきた僕が、
とうとう風邪をひいてしまった。
咳と鼻水が止まらない。
真冬のパリ、シャンゼリゼは美しかった!
枯れ葉舞う石だたみをそぞろ歩くと、
気分はすっかりイブ・モンタンなのであった。
ただし、この和製イブ・モンタンは鼻水をたらしている、
かなり情けないモンタンであった。
見かねた相棒、何でも持ってるボナ植木が
マスクをくれたのだ。
マスクをしているモンタンもあまり想像できないが、
とにかくそのままブラリとレストランに入った。
レストランはビュッフェ形式になっていて、
パリジャンが列を作っていた。
席が確保できるかどうか心配だったが、
とにかく列に並んでみた。
みんなが、パリジャンが、そわそわとし始めたかと思うと
外に出ていくではないか。
どうしたんだろう?
しかも僕をチラチラと見つつ出ていく。
座ってもそもそ食べ始めたころには、
ガラ〜ンとなってしまった。
「やっぱり僕って怪しい東洋人なのかなぁ」
僕の言葉に、パリ在住の通訳がつぶやいた。
「マスクをする人というのは、
 伝染性の病気の人だけですからねぇ、フランスでは」
(それを早く言えよ! )

シンガポール、マレーシアの旅という、
ありがたい仕事をいただいた。
関西空港からシンガポール、
そこで一泊してマレーシアに移動、一泊の予定であった。
ところがマネージャーから緊急国際電話が入った。
マレーシアでの仕事が終わり次第、
一刻も早く帰国しすぐさま富山で仕事をせよ、とのこと。
舞台が終わると慌ただしく空港へ、
ところが台風の接近で4時間も出発が遅れるという。
あせる我々を乗せて、ともかくも飛行機は関空に着いた。
しかしここから電車で富山まで数時間、間に合うのか?
税関の人が、我々の必死を見て
パスポートをチラッと見るだけで通してくれた。
仕事先に着いたのは、出番の5分前だった。

「ハァハァ、も、持ち時間は、ハァハァ、
 何分ですか? 」
「15分です」
(おい、ハァハァ、バカヤロ〜! )

2001-10-29-MON
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