MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

Broken wand

80年代の始めの頃から、
世界のマジック界との交流が盛んになりました。
我々ナポレオンズも、
他の多くのマジシャンとともに
世界のあちこちに出掛けました。
特に、3年に1度ヨーロッパの都市で開催される
世界最大のマジック・イベント、
FISMには欠かさず参加してきました。
初めての参加以来、昨年のリスボン(ポルトガル)で
6回目の参加になります。
3×6=18年、
美少年マジシャンはいつの間にか
美中年マジシャンに・・・。

海外のマジックの本も、定期購読するようになりました。
といっても記事を読むことはめったになく、
専ら写真を眺めておしまいではありますが。
さてそんな本の中に、
アメリカのマジック団体の機関誌があります。
マジシャンのテレビ出演、
公演の情報やイベントのリポートなどが続いて、
おしまいに近いページに、
「Broken wand」というコーナーがあります。
チラッと見る程度で、気に止めることもありませんでした。
何号目かの一冊で、
「Broken wand」が妙に気になったのでした。
そのコーナーの中に、懐かしい人の名を発見したのです。

「Broken wand」、
訳すと「折れた魔法の杖」となります。
「Broken wand」のコーナーには、
亡くなったマジシャンの名前が掲載されていたのでした。

「折れた魔法の杖」は、
ロサンゼルスのジェラルド・コスキーさんでした。
ずいぶん以前に、マジック・キャッスルという
マジシャン憧れの劇場に出演の際、
劇場近くのアパートに独り暮らしていたコスキーさんは、
我々をホーム・ステイさせてくれたのです。
帰宅が深夜になっても、明かりを点けて待ってくれました。
そっと玄関のドアを開けると、
いつもの椅子に寛ぐコスキーさんが
ニッコリと微笑んでくれているのでした。
時には、彼のお得意のカード・マジックを
見せてくれたりもしました。

その当時コスキーさんは70才くらいで、
悠々自適の暮らしのようでした。
夕方になると、歩いてマジック・キャッスルに行き、
友人たちと四方山話を楽しみむという、
本当に羨ましい暮らし振りでした。
日本からやって来たヘンテコリンな
コメディ・マジシャンは、
彼の目にどのように写ったのでしょう。
あまり雄弁な方ではなく、
いつも静かに微笑んでいる人でしたから、
コスキーさんの心を伝え聞くこともありませんでした。
その後も数回キャッスルに行く機会があり、
コスキーさんに会うことが出来ました。
会う度に、まるで祖父、
おじいちゃんのように感じたものです。

しばらく会う機会もなく、
コスキーさんの消息を聞くこともなく
時が過ぎて行きました。
僕らの知らぬ間に、コスキーさんは
「Broken wand」になってしまいました。
誰からも教えられず、雑誌から知ることになるとは。

後日、ロサンゼルスのあるマジシャンから
コスキーさんの事を聞きました。
「とても長生きして愉しい晩年だったし、
 幸せなマジシャン人生だったよ。」

コスキーさんの、
いつもの椅子にかけた微笑みを思い出します。
と同時に、様々な夢を振出してくれる魔法の杖も、
いつかポキリと折れてしまう無常も思い知らされます。

落語の「死神」では、
人間の寿命がろうそくの長さで表現されています。
ろうそくは少しづつ短くなり、
フッと消えて臨終を迎えることになっています。
「魔法の杖」も同様に、少しづつ内側から弱って行き、
ある日ポキリとなってしまうのでしょう。
ならば魔法の杖が確かなうちに、
より良く多く、コスキーさんの分まで振り続けよう。

2001-06-04-MON
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