MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

「ナポレオンズの週間日記」

この度思い切って、ある1週間の暮らし振りを
赤裸々に綴ってしまいます。
な〜んちって、別に大して感動的な話でも、
爆笑話でもありませんが、まぁ読んでやって下さい。

<月曜日>
某局の番組の打合せあり。
タレントさんとマジック競演という企画。
タレントさんには当日マジックを教え、
ほとんどぶっつけで本番というスケジュール。
「タレントには簡単に覚えられて、大ネタで、
 面白くて、でもビックリしちゃうのを
 2、3教えてくれる? 」
(おいおい、そんなネタがあったら俺たちが
 欲しいわいっ! )などと
心の中でつぶやきつつ、
「はい、いつもより良いのを
 ドカ〜ンと教えちゃいましょう、アッハッハ。」
と答える自分が哀しい。

<火曜日>
アイス・スケートリンクで仕事。
リンクのすぐ横の特設ステージだけど、寒〜い。
さて何をやろうかと相談するのだが、
寒さで指がかじかんで動かないから手先のマジックはダメ、
リングが繋がったり外れたりするのは、
金属なので冷たいからイヤだと言いたい放題。
やれやれ我が儘なこと。
そういう僕もマイクが冷たくて・・・。
さてなんとかスタートしたのだが、口もかじかんでいて、
「みなひゃん、ニャポレオンだす。」
舌が回らないのにお客が回っている。
ステージ前の手すりに掴まっている人も十数人いるのだが、
拍手が無い。
だって手すりから手を離すとスッテンなんだもの。
それでも拍手してくれるのだが、
手袋をした手での拍手の音は情けない、パフッ、パフッ。

<水曜日>
休みなので、ビデオなど見て新ネタを研究。
新ネタを考える苦労さえ無ければ、
本当に楽しい職業なんだけど。
ちょっと昔のマジシャンは良かった。
まだ外国のマジシャンとの交流も無かったから、
マネし放題、噂ではしゃべりまで
訳してた先輩もいたらしい。
外国人マジシャンのネタをパクって、
「本邦初公開! 」
などと言ってれば良かったのだから。

<木曜日>
厚木の市民会館。出番前に出前のカレーを食べる。
以前、大阪で見たコント・マジックを思い出した。
「わったしぃはインドの大マジシャン、インド・カレー、
 メンバーは息子のボン・カレー、
 その妹のククレ・カレー。」
笑ってしまったなぁ。
無事に終了、10分後には車で会館を後にした。
いつも撤収の速さに驚かれる。誰かが言ってた、
「芸人と犯罪者は、
 一刻も早く現場を立ち去りたがる。」

<金曜日>
ある舞台の特殊効果の演出を頼まれた。
まずは打合せ、マネージャーの滝沢の話では、
西銀座の喫茶店「サトー」にて
舞台監督、演出家と待合せて、とのこと。
遅れないよう、早めに西銀座へ。
滝沢に説明された辺りを探すのだが、
喫茶「サトー」が見当たらない。
時間はどんどん過ぎる、えらいこっちゃ、どうする。
辺りをグルグルと7、8周もしただろうか、
疲れ果てた僕のうつろな目に飛び込んで来たのは、
カフェテリア「シャトー」マネージャーの方が面白い?

<土曜日>
早朝の新幹線で広島へ。
アマチュアマジシャンがなんと15組も出演、
皆さん本業はお医者さんだったり、学校の先生だったり。
早い話、えらい方々ばかり。
スペシャル・ゲストの僕らの方がペコペコしてる。
「ボランティアであちこちで手品をやってます。」
という方の多いこと。
でも、やってる本人が一番癒されてたりして。

<日曜日>
頼まれていた原稿を書く。
以前、松旭斉すみえ元会長が、
自分の弟子の初舞台での挨拶。
「皆さん、この日のために弟子の世津子は
 稽古をしてきました。
 まだまだ未熟ではありますが、
 どうかがまんして見てやって下さい。」
そして5分もしないうちに
すみえ元会長自らカーテンを閉めちゃった。
ご本人が一番、がまん出来なかったんだねぇ。
こんなの書くと怒られそうだけど、書いてしまった。
でもちゃんと「ボナ植木」と、相棒の名前にしといた。

2001-03-05-MON
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