MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

第17回
「マジシャンが残した言葉」


いよいよ21世紀が始まりました。
本年も「ライフ イズ マジック」
よろしくお願いします。
さて今回は、21世紀に伝えたい
マジシャンたちの残した言葉です。

「ロンドンは僕のものだと思った。若かったんだねぇ。」

マジシャンにとっては雲上人である、
チャニング・ポロック氏の言葉。
えんび服のマジシャンがハンカチの中から
白いハトを出すというマジックは、
典型的なマジシャンのスタイルとなりました。
いわゆる「ハト出し」のトリック、技術を完成させ、
芸術にまで昇華させたのが、
チャニング・ポロック(1926 .〜)なのです。
アメリカで生まれ育ったポロックは
活動の場をイギリスに求め、
ロンドンのナイトクラブで「ハト出し」を演じたのです。

「チャニング・ポロックを見たか? 」
ロンドンのハイソサエティーたちの間で評判となり、
彼の美しい容姿が女性たちの注目の的となるのに
時間はかかりませんでした。
宿泊していたホテルに、ポロックを間近に見ようと
群集が詰めかけましたが、ポロック本人は
それが自分目当てであるとは思ってもいませんでした。
それ程、アッという間にスターとなったのです。

後年、その頃を思い出して彼が呟いた、
それが冒頭の言葉なのです。
このエピソードは、故・江國滋さんが
著書「わん・つう・すりー」に書かれていますが、
僕は江國先生から直接伺ったので、
余計に印象深い言葉になったのでしょう。
その後、スクリーンにも進出した程の美ぼうと
華麗なテクニックを誇るポロック氏だからこその
言葉なのかもしれません。
「ロンドンは僕のもの・・・。」は無理としても、
「錦糸町は僕のものだと思った。馬鹿だったんだね。」
などと、僕だっていつか呟きたいものです。

「マジシャンは、マジシャンを演ずる
 役者でなければならない。」

フランスのマジシャン、
ロベール・ウーダン(1805.〜1868 .)は
近代マジックの父とも称される天才で、
専用の劇場まで創設した人物です。
ウーダン以前のマジシャンは、
社交界とは無縁の存在でした。
しかし、正装であるえんび服をさっそうと着こなし、
明るい照明の元で華麗なマジックを披露したウーダンは、
一躍社交界の花形となりました。
「トリックや技術を学ぶのは当然だが、
 それ以上に学ばなければならないものこそ、
 演技なのである。
 表現すべきはトリックや技術ではないのだから。」
失敗した時に何事もなかったようなフリをするのは
得意なんだけど。

「タネを明かしてはならない。
 同じトリックを2度繰返してはならない。
 これから起きることを先に言ってはならない。」

マジシャンならば誰でも知っている
サーストン(1869〜1936)の言葉で、
「サーストンの3原則」として現代にも語り継がれている。
サーストンのマジックは知らなくても、
3原則は知られている、
サーストンはこの事実を喜んでいるのだろうか。
もしサーストンが我々ナポレオンズのマジックを
見たとしたら、どのような反応を示すことやら。
くどい程これからの現象を説明し、何度でも繰返し見せ、
最後はお約束のタネ明かし、
これがナポレオンズのパターンなんですが。
サーストンのお言葉を守ってると、
「いきなり驚かして、サッサとネタをしまって、
 後は知らんぷり。」
なんてイメージしてしまうのは僕だけだろうか。

「深夜番組だったら、
 ちょっとくらいタネ明かししてもいいのよっ。」
「タネ明かしはダメよ。
 いいかげんに、ちゃんとした手品をやりなさい。」
松旭斉すみえ先生(日本奇術協会前会長)から
いつもそう言われていたのだが、
ある日深夜番組で思いっ切りタネ明かししていた
すみえ先生を見てしまい、
それを指摘したところ返ってきた言葉。
敬愛するすみえ先生なので、
矛盾してても間違ってても良いんです。
すみえ先生が白と言えば、たとえ黒でも白なんです。

さて、ここで「言葉」のマジックを!
「一日に2回出て来るのに、
 一年に1回しか出てこないものは? 」

それはね、次回までおあずけです、ごめんね。

2001-01-12-FRI

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