2018-01-18

「ほぼ日の学校」で見たものは、そこにいるみんなが「場」をつくるということでした。じぶんは、どんな役をすればいいのか、どんなことに力を注げば、この「場」が生きるのか。そういうことを、そこにいた人たちが、みんなそれぞれにやっていたと思いました。

講師の木村龍之介さんは、講師としてどうするか。そして、受講生の99人の人たちは、木村さんの質問や注文に、どう積極的に応えるか。「ほぼ日」のお世話係は、なにをサービスできるのか。さらに、オブザーバーとして参加の講師陣は、じぶんの役割が与えられたら受けて立つぞ、と。ただ単に、他の人の与えてくれたものに、「いいだのわるいだの、もの足りないだの」言う前に、じぶんはどうやってその場をつくっていくのか、それを真剣に考えて実行していたように思えました。

それが、他の人たちに望まれていることで、それをやることでみんなの役に立つし、さらに頼りにされていく。そして、みんながその「場」をたのしくつくっていくということになると、じぶんも最高にたのしい。こういうことを、ほんとうによくわかっている人たちが、集まっていたのでした。

似たようなことは「生活のたのしみ展」でも感じました。たくさんの人たちがはたらいていた場でしたが、ショッピングの人たちも、ただ「お客さま」というより、いっしょに、「この場をもっとたのしくしよう」としてくれる積極的な「参加者」に見えました。じぶんもたのしくなるために、その場の役割をたのしむ。こういう参加の仕方は、お祭りなんかに似てるかなぁ。「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」という阿波踊りでも、「見る阿呆」は大事な役割です。たのしんでいる人がいることで、たのしみが増幅します。そういう意味では、みんながどんどんと、「たのしみ上手」になってきているのかもしれません。ずっと考えている「消費のクリエイティブ」というのも、そういうふうに進歩しているのだろうなぁと思いました。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。お客がいい演奏させてくれたと、音楽家も言いますよね。

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