[黒柳]
久世光彦さんが森繁さんの「大遺言書」という連載を週刊新潮に書いていらっしゃいましてね。

[糸井]
はい。

[黒柳]
あの、名文を書く久世さんが、聞き書きで、森繁さんの言葉を文章にしてたの。
森繁さん、90歳くらいだったかしら。
もう、めんどくさがっちゃってね。
久世さんが聞きに行っても、ぜんぜん話をしないんだって。
ずいぶん、久世さん苦しんで彼の文才で、なんとかつづけてたのね。

[糸井]
うん、うん。

[黒柳]
だけど、そんなふうにめんどくさがってるくせに、
が出ると「わたしが書きました」ってサインして、みなさんに渡したらしいです。
「それはいいけどさ」って、久世さんのほうがよっぽど大人。

[糸井]
はははは。

[黒柳]
もう、ぜんぜん話さないもんだから、週刊新潮で森繁さんとわたしが対談して、余った中から久世さんが、言葉を拾って書く、ということがありました。
対談場所は東京会館でした。
現場に到着して、待ってたら電話がかかってきました。
「遅くなります、暑いから」
‥‥ってさぁ(笑)。



[糸井]
はははは。

[黒柳]
いくら夏でも、「暑いから」っておかしいじゃない?
久世さんも笑っちゃって。
自動車に乗って冷房の中で来るんだから。
そうやって遅刻していらしたかと思ったら、いきなり
「ねぇ、フォアグラ食おうよ」
とおっしゃるんですよ。
ここで食べさせちゃったら絶対しゃべんないと思ったので
「お話ししたらね!」と申し上げました。

[糸井]
ええ(笑)。

[黒柳]
そうしたら、森繁さんは
「うん」って言いました。
30分くらい話したら、
「ねぇ、フォアグラ食おうよ」
とまた言うから(笑)、
「じゃあ少し食べましょ」
と言って、小さいのを食べました。

[糸井]
うん。

[黒柳]
「ほんとはサーロインステーキも 食べたいんでしょう。
 あともう少ししたら食べられますから」
と言って、お話ししました。
でもだんだん、わたしは思ったんです。
「ああ、歳ってこういうもんだな」

[糸井]
うん。

[黒柳]
思い出したりなんかしてお話するの、めんどくさくなってくるのね、きっと。
その「めんどくさい」ということが人間が老いていくときのひとつの何かなんだと思います。

[糸井]
うん、うん。

[黒柳]
森繁さんは
「徹子の部屋」にお出になるときも、めんどくさくなってくると、すぐに自分のおもしろいと思える
「四国の地震の話」がしたい、なんて言うのよ。

[糸井]
‥‥ははは。

[黒柳]
「森繁さん、いま、震災でイヤな思いしてる人が いっぱいいます。
 四国の地震の話なんて だれも聞きたくありません」
と、ちゃんと申し上げました。
もうね、自分の話しやすいほうへすぐに行きたがるんです。
まぁ、東京会館の対談のときは、最後にサーロインステーキを食べさせてあげました。

[糸井]
餌付けみたいですね。

[黒柳]
それで、終わってね‥‥フッ(笑)、おもてで待ってた大きい車に森繁さんはお乗りになりました。
ドアが開いてたんで、
「あら」というふうにドアに手をかけたら、びっくりたまげることに、あの方は、車の中に人の手を持ってズッと、引きずり込んだの。

[糸井]
おお(笑)。

[黒柳]
わたしがよろけて車の中入ったら、
「ねぇ、一回どう?」



[観客]
(拍手)

[糸井]
はははははは(涙)。

[黒柳]
そのときも、
「うん、今度ね」って言いました。
そしたら、
「きみはずーっと 今度ね、今度ね、と言ってばかりだけど、 しわくちゃになってからじゃ、ヤヨ」
とおっしゃるから。

[糸井]
ヤヨ、と(笑)。

[黒柳]
「わたしだってヤですよ」
と言ったの。

[観客]
(笑)

[黒柳]
それで、別れました。
それが、まぁ、最後でした。

[糸井]
すごいなぁ。



[黒柳]
森繁さんは「徹子の部屋」放送開始の記念すべき第1回目のゲストでした。
トーク番組をどういうふうにやればいいのか、道をつけてくださった方です。
96歳で亡くなった森繁さんは、
「徹子の部屋」30周年のとき、93歳でした。

[糸井]
はい。

[黒柳]
もう、出演していただけないことはわかってたんだけど、メッセージをいただけますか、と申し込んだら、こんなコメントが来ました。
ワープロでね、きっとどなたかが代筆してくださったんでしょう。
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