第六回 精一杯で作らなければいけない
糸井 西岡棟梁や小川さんが
「昔の人はそうしたのか」と
理解するつながりはうれしいものですよね。
死んじゃった人との会話だけど、
子供でも孫でもなく、
同じ仕事をしている誰かがどこかで
大工の「誰か気づくかな」という
工夫に出会う……その話は打たれます。
小川 だから自分たちも
ほんまにそれを見れば頭が下がります。
考えがよくそこまで行っているなぁと……
今の人は寸法に囚われてしまうし、
他のことでも寸法に囚われていると
気づかなくなることが出てくるのでしょうな。

自分たちは、
ものを作るという立場にありますよね。

すると、たとえば、
西岡棟梁がいて、自分がいます。
棟梁の仕事を習い、
弟子に仕事を教えていきます。

それを伝統とか何とか言う人もいますけど、
西岡棟梁と自分の間には
伝統を引き継いだなんて感覚はありません。

棟梁と自分の間では、
薬師寺の塔を作ったり、
法輪寺の塔を作ったり、
そして今、自分と弟子の間でも
いろいろなものを作っています。
しかしそれは
「作っているものが残る」というだけで、
技術を残すということではない。

建物を残せば
おのずから何かは伝わりますわ。
それを伝統と呼ぶなら呼んでもいいけど、
決まりきった教科書どおりのことを
伝えることとは、ぜんぜん、違う話なんだ。

たとえば、弟子によく言うのは
「ウソ偽りがないと自分が思えることを
 精一杯やっておくんだよ」
ということです。
毎日毎日の仕事を、精一杯やっておく。
その精一杯が未熟であってもいいんだ。
未熟だろうがなんだろうが
その時の自分はごまかしようがないんですから。

でも、未熟であっても、ウソ偽りのないもの、
一生懸命やってやってやりきって作ったものは
やっぱり何百年か後にその建物を
誰かが解体修理した時に
「へぇ、平成の大工さんはこう考えたんだ」
と読み取ってくれる人がいるんです。
読み取ってくれる人がいると思うから、
精一杯のものを
作っておかなくちゃいけません。
ウソ偽りがあるかどうかは、
そこにある建物の中にあらわれるんです。

千三百年前に建ったものを、
西岡棟梁をはじめ現場の人たちが
大修理をしたわけです。

法隆寺の時代にあんな形を
誰がどう作ったかの資料は、
ぜんぜん残っていないわけです。
しかし実際にある建物を解体した時に、
西岡棟梁はじめ現場の人は、
千三百年前の工人と話ができたから、
昭和の時代に復元できたわけです。

そういうことを見てきたから、
俺は建物を作りたいなら
絶対にウソ偽りのない精一杯のものを
残しておかなくちゃいけないと思いました。
精一杯やっておれば、結果はしゃあないです。
「もっといい考えがあった」と言っても、
気づいてないんですから。

しかし
何もかもそのままが残るということです。
知識がなくても精一杯やったかどうかも
ぜんぶ残る。
それは、後で見てもわかるんです。

建物を解体すると、
それを作った人らの顔を見ながら
仕事をしているようなもんです。

薬師寺の塔を調べた時、
塔の中に寸法を取りにあがってみると……
外側に見えないところは
「木のカタマリ」のままでした。
昔はノコギリがないからオノで樹木を叩き割った。
割ったそのままが内部に残っていた。
木と格闘した痕跡がありありとわかる。
見ているだけでも声が聞こえてくるように思います。
「これを運ぶ時は大変だったろう」
「あ、ここで失敗してるんだなぁ」
一本一本の木を見れば伝わってくる。
「何も道具がないのに、
 ようこんなものを作ったな」
「どういう風にして
 この心柱を立てたんだ?」と思いますな。
糸井 荒々しい切口を
まっすぐにするような工夫は、
内部に関してはなかったんですね。
小川 そこまではできなかったし、
する必要もないんでしょう。
木は一本ずつバラバラだから
前に出ているところを揃えるだけで精一杯。

だけど、たとえば手抜きをして、
ここまでやった後には
木で盛ったようなものもあるんです。

「あ、もう根性が尽きておったんだな」とか
「そういうことだけは残したくないな」とか、
こっちは思うわけや、ハハハハ。

今、昔の人たちのように
ノコギリを使わずにやれと言われたら、
やってできないことはありません。
しかし莫大な時間とお金がかかるので、
施主から仕事をやらせてもらう自分たちには
それはできなくて、やはりラクな方、
ノコギリを使ってやることになるんです。
ノコギリも引くのが大変だから、
電気ノコギリでバーッと切っちゃいますよ。
そういう道具は昔の人の道具とは違います。
  (明日に続きます)
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2005-07-12-TUE