じゃあ、ここで、拝んでくか。
建物だから自然と拝む場所がわかるわけや。
もしも、文字や数字で作った人の記憶が伝えられたならば、
千三百年で、ずいぶんちがうう形になってしまっただろう。
建物には体の記憶が残っているから、昔の姿が、今見える。
古代工人の作った魂を重んじれば無茶なことはできないわ。
小川三夫

第四回 イヤイヤではできあがらない
小川 「法隆寺は千三百年持っているから、
 自分たちの作るものも
 千三百年以上持たさないと」
そう言う人もいますが、それは違います。

法隆寺なんて
偶然で持ってきているんです。

千三百年前の人は、
持たせるために作ったわけではないでしょう。
持っちゃったんです。
技術も大切ですが、
山から木を切りだして現場まで運んでくれば、
建物はできたも同然です。
それが大変で、木を倒して現場まで
運ぶだけの知恵があれば、
建物を建てるぐらいはできますから。

俺らが作った建物は千三百年は持たねぇんだ。
材料も基礎も違う。
俺らは基礎にコンクリートを使うけど、
法隆寺はコンクリートを使っていないものな。
  法隆寺は地盤がすばらしくいいんだ。
表土を一メートルぐらい掘るだけで
硬い地盤が出てくる。
西岡棟梁は「ツルハシも立たない」と
言っていました。
そこに山から取ってきた土を撒いて
叩いたらすごく硬くなるの。
そういう場所でないと
千三百年も持つ建物にはならない。

昔、全国に国分寺を作る命令が出たはずだけど
ほとんど残ってないやんか。
法隆寺のように場所に恵まれていれば
残ったかもしれないけど、
なかなか、そこまでの場所はないんだ。
糸井 法隆寺は、
恵まれた場所の上に、
荒々しい力仕事の山みたいに
作られたんですね。
小川 はい。
それとあれだけのものを
組みあげるという工夫です。
「宮大工の技術は
 大陸から大工さんがきたのがはじまり」
と言われますし、
確かに瓦を作る技術や何かは
大陸から学んだでしょうが、
それだけではできませんから。

中国あたりの建物は
雨が少ないせいか
軒がものすごく短いですけど、
日本の建物は
やはりすごく屋根が出ているでしょう?
ところが日本は雨がよく降る。湿気が多い。
だから湿気を防ぐために
基壇を高くしてその上に軒を深く作ったわけです。
そういうのは大陸にはない方法なんです。

きっと日本には
日本の気候風土に合うように
建物を建てられる、
しかも木工の技術に長けた人がいたわけです。
向こうの技術は学んだんだけど
鵜呑みにするのではなくて、
消化して日本の建物のために
作りかえていたんだと想像します。
  日本人は猿マネがどうのというけど、
そんなことはありません。
向こうの技術を学んだ上で
日本独特のものを作ったということで、
だからすごいんです。
日本なりの作り方をしたから、
今まで持ってるんだと思うんです。
糸井 そのこと、
国際的にも伝えたいぐらいですね。
小川 そんなものは、
わかんなくていいんだ。
来た人が新鮮に感じればいいんだ。
糸井 昔の日本人は、
そういう人たちだったんだなぁ。
小川 その頃、ベテランはいないはず。
だのにこんな立派なものができてるんだものな。
糸井 「できると思う心があるから建物ができた」
という言葉を聞いて、
法隆寺を見て驚かされた源が、
急にわかったような気がしました。
ピラミッドは石の建築ですが、
ぼくはあれをエジプトで見た時に
似たようなショックを受けました。

それまでピラミッドというと
てっきりかわいそうな奴隷たちが
作ったみたいな印象がありました。
そういう情報しか与えられてきませんでしたから。
現場に立ってみたら
「しぶしぶ作ってできるものじゃない」
と一瞬でわかりましたもの。
ああいうものって、
イヤイヤでは、できないですよね?
小川 そうでしょうな。
イヤイヤでは最後まではできません。
奈良の都も一緒です。
糸井 見苦しいものは
イヤイヤ作らせてもできるだろうけど、
美しいものって、
みんなが本気で力をあわせないと
できないと思います。

それを思って、
ぼくはピラミッドの前で
涙が出たんですよ……
小川さんの話を聞くと、
そういう気持ちでまた法隆寺を見たくなる。
小川 やっぱし、
イヤイヤやれば手抜きをしますよ。
そういうことがないから、
持っているんでしょうな。
自分でもこういう仕事をやっているから
そこはわかるんです。

最初は例えば権力とかいろんなことで
涙を流して作るかもしれないけど、
それが形になってくる、できあがる……
そうしたらその時はつらいことはみんな忘れて、
もう、うれしいことしか残ってないんです。
それが、ものを作る人ですよね。
途中は苦しいかもしれないですが。
糸井 それが、
ひとりではできないというところが、
また、すばらしいです。
小川 だから、ワガママでは
建築というのはできません。
陶芸家は気に食わなければ出さなければいい。
しかし建築の場合、仕事を受けた以上は、
悪くてもよくても作りあげなくちゃダメです。
だからワガママはできません。
ほんで、ひとりでもできません。
みんなの力を借りなきゃいけないわけです。
糸井 「俺がぜんぶやる方がいい」
と思う人も、
まわりにあわせて作るわけでしょう?
小川 昔であれば、
今のように寸法がピタッと合っていません。
みんなバラバラです。
裁断するノコギリがなくて
木を割っていたわけだから、
木の性に合わせるしかありません。

更に適材を適所に持っていって
組みあげるんですね。
今の建築のように規格化されたものを
組みあげるなんていうのは、
ひとりだけがいればできるような
ラクなことなんですよ。
でも昔のものはみんな不揃いでバラバラです。
それを組みあげるには、もう、全員が
棟梁のような考えを持たなければできませんよね。
糸井 材料になる木をよく見ることで、
設計も変わってくるのですね。
小川 木が均質なら
最初から設計図を書けるけど、
材料のネタによって
方法を変えなければいけない時代には、
設計図というものは
完成図としては作れないわけですね。

日本の設計図というのは
今から五百年ぐらい前に
すこし残っているぐらいで、
あとはありません。

なくてあれだけのものを作りあげた。
どういうふうにして作ったかは
今でもわからない。
しかしすばらしいものは
目の前にできているんです。

まぁたとえば
十分の一の模型を作るなんてことは
しただろうという跡は残っていますが、
それだけではできませんから。
  (来週に続きます)
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2005-07-08-FRI