石川九楊の「書」だ。
(4)変体仮名を学ぶ
石川
日本を含めた東アジアにおいて、
書の問題について、
本気で考えなければならないことがあります。
糸井
どういうことでしょうか。
石川
江戸の末期、徳川慶喜に対して、
日本で郵便制度を定着させた前島密という人が、
「漢字御廃止之議」というもので
「漢字を廃止しましょう」と提言しています。
つまり、漢字というものが東洋を遅らせた。
西洋は音の記号の文字だから発展した、
と考えたのです。
その考えは間違いだったのですが、
その呪いが今も続いています。
そうじゃなくて、
東アジアの言葉の根本は、文字なんです。
話すことじゃなくて、
書くことがベースにあるんです。
漢字は、東アジアの共通語なんです。
糸井
縦糸、横糸みたいに、
発声される言葉と書き付けられる言葉の、
二つのものが支え合っていたわけですね。
石川
そうそう、そうそう。
だけど、その共通基盤として、
例えば、一番大事な政治だとか、
哲学だとか、それから倫理だとか、
そういうところは、
いまだに漢字しか担っていないんですよ。
例えば、「日本国憲法」を漢字を使わないで
和語で言ってみなさいって言ったって‥‥、
日の本の国の憲の法の決まり
(ひのもとのくにののりののりのきまり)、
これは不可能なんです(笑)。
糸井
そういう冗談で遊びはしたことがあります。
あらゆる漢字熟語を大和言葉で言う、
ものすごく大変なことですよね。
石川
漢字語が、漢字文明圏の共通基盤としてあります。
日本語の場合には、それとはまた別の
平仮名語の分野があって、
四季を詠う『古今和歌集』と、
それから『源氏物語』のような
恋愛の表現が豊かに広がっています。
これらは平仮名がつくり上げた世界。
漢字と平仮名の両方を合わせて日本語です。
糸井
はい。
石川
日本語というものに対する認識が間違っているから、
日本語政策もちゃんと打ち出せないんですよ。
歌人の尾崎左永子さんと、
鎌倉文学館の館長の富岡幸一郎さんと
話していたんですけれども、
変体仮名と言われているあの文字を、
わずか百字、覚えればいいんです。
これを中学時代に教えてしまえば、
日本語は、根本的に変わりますよ。
糸井
ちょっと僕、変体仮名については、
まったくわかっていません。
つまり、漢字の先祖が
ちょっと浮かび上がるような仮名ですよね。
石川
昔の日本では使われていた字ですが、
明治時代の小学校令で、
一音を一字にしちゃったんですね。
例えば、「に」という字はこういうふうに書きます。
石川
「尓」=「爾」がもとになった字ですね。
もともとは、このほうが
はるかに多かったんですよ。
平仮名の「に」は、「仁」が元になっていますが、
明治の人たちは、「仁」をほとんど書かずに
「爾」のほうで書いていました。
一字あたり、変体仮名を二字ぐらい覚えるとね、
明治から平安時代の人が書いた文章まで読めるんですよ。
今の人はもう、拒絶反応で読めませんからね。
例えば現代の「は」は、「波」から来ていますけど、
こんな「は」を書く人はほとんどいませんでした。
「は」っていうのは、「者」から来た字が多かった。
平安時代からずっと、ほとんどの「は」は、
これを書いてるんですよ。
糸井
平仮名の「は」は、
「者」から来ているんですか。
石川
そうです。
糸井
知らなかった!
せいぜい、変体仮名で知っているのは
お蕎麦屋さんの看板ぐらいですよ。
石川
生蕎麦の看板、お手元、
あとは、汁粉(しるこ)ですね。
ああいう形で残っていますけど、
そういう変体仮名とされた文字を
中学校でわずか百字ぐらい
プラスアルファで覚えるようにしたら、
「ああ、古筆って難しいわね」
なんてことも言われることもなく、
ほとんどの古い文章が読めるようになりますよ。
糸井
「うふぎ」だと思ったら、
「うなぎ」と書いてあったとか。
「おきふ」だと思ったら「おきな」。
石川
変体仮名を教えてあげれば、
仮名に対する興味、
古典に対する興味がガラッと変わりますよ。
一字に二字ぐらい覚えればいいんですよ。
糸井
五十音の表を三コマぐらいずつに
していけばいいんですね。
ああ、これはできますね。
石川
今からでもできますよ。
文化の水準を変えることになると思いますよ。
みんな、もう読めないから
難しいものだと思っているけれど、
ちょっと努力したら読めるということになれば、
古典に対する印象が変わってきます。
糸井
十返舎一九程度の作品は平仮名が多いから、
全部読めちゃうということですね。
読めないと決めつけていたんだけれど、
読めるようになるんですね。
(つづきます)