石川九楊の「書」だ。
漢字は読めるけれど、書の見方はわからない。
        きっと多くの人が思っているように、
        糸井重里も、書家の石川九楊さんに
        鑑賞法を教えていただくまで、
        「書はわからないもの」と感じていました。
        かたちや意味を追いかけるものではなく、
        書は、時間の芸術。
        見ていると心地よさを感じられるような
        石川九楊さんの作品とともに、
        書の世界から広がっていく、
        言語や日本文化のおもしろさをご紹介します。
書家 石川九楊 糸井重里
※「日経おとなのOFF」2017年8月号に掲載された対談を、ほぼ日編集バージョンでお届けします。
(1)時間の芸術
糸井
上野で石川さんにお会いしたのは、
ぼくにとって、とっても大きな事件でした。
石川
おお、そうでしたか。
糸井
講演会で書の解説をなさっていて、
あの話は本当に聞けてよかったです。
石川
ありがとうございます。
糸井
書の見方があるとは思ってもいなかったんですが、
まるで、催眠術にかかったみたいに
見えるようになるんです。

「あ、見えるんだ!」って思ったら、
書を見ることがおもしろくなりました。

石川さんの話を聞いた後は、
絵とかの見る目も変わったんです。

筆の速度感とか、力がどう入ったかとか、
ドラマが見えると思うんです。

書というのは、形の芸術だと思われがちですけど、
じつは、演劇や音楽を見るような、
時間の芸術の要素がとっても大きいですよね。
石川
そう、そうですよ。
糸井
石川さんの見方で書を見れば、
どんなことが起こったかを追いかけられるし、
むしろ、追いかけないと
本当に鑑賞したことにならないんじゃないかって、
講演を聴いてショックを受けました。

石川さんは、書のおもしろさに
どうやって気づかれたんですか。
石川
書そのものがわかってきたのは、
自分の経験からいうと、だいたい10歳ぐらいです。

「ああ、書というのはこういうものなんだ」、
「こういうものが良いとされるんだ」
というようなことが、だいたいわかって。

中学へ入って12、13歳ぐらいですか、
当時の書家の大御所と言われる人たちが
書いているものをなぞってみると、
「ああ、こういうふうに書いたらこうなるんだ」
というようなことが、だいたい見えて、
それを書いてためしてみる、
ということをやっていました。

それから書に興味を持つようになって、
中学時代は字を書いて遊びました。
糸井
はあー、中学時代に‥‥。
石川
ちょっとひねりの利いた書を書いていた、
津金寉仙(つがねかくせん)という、
当時売れっこの書道家が
書くものを真似したら、先生も褒めてくれました。

子どもって馬鹿ですから、褒められたら嬉しい。

嬉しくなったらまたやるし、
やればまたできるようになって。
糸井
嬉しいですね。
石川
高校を出て、大学で書道部に入りました。

書道部では、広島とか奈良とか滋賀とか、
書の盛んな所からやってくる連中と、
いろいろな議論をしましたよ。

今まで田舎では知らなかった筆に出合い、
知らなかった紙に出合い、
硯に出合い、書き方に出合いました。

墨の濃さなんかも違ったりする中で、
書に対していろんな議論をし、
大きな書の展覧会があれば
必ず見に行って、あれこれ批評していました。
糸井
うん、うん。
石川
大学に入った頃から、
書だったら何か、
物が言えているという実感がありました。

大学の書道部の仲間たちと
一緒に書をやっているだけでは飽き足らなくて、
サークルを作って、書の雑誌を発行し、
同時に展覧会を始めました。
糸井
そういえば、書道の世界には、
碁会所みたいなものはないんですか。
石川
いやあ、ぼくは碁会所ならぬ、
書会所を作りたいんですよ。
糸井
あっ、やりたいんですね。
石川
やりたいです。

硯などの道具はみんな置いてあって、
自分用の筆を預けておいて、
お勤めの帰りに寄れば少し書いたりもできる。

お互いにあれこれ批評して、
という「書会所」が、青山辺りにあればいいのに。
糸井
今は、そういう場所はないわけですね。
石川
ないですね。
糸井
子どもの頃に、書道教室へ通う子はいましたよね。

だいたいは、中学あたりで辞めてしまいますが。
石川
ああ、お習字はね、
10歳までやればいいんですよ。

小学校に入る頃から、基本だけはちゃんとやる。

そして、小学校3年生、10歳まで
きちっと朱を入れて添削してあげれば、
だいたい小学3、4年ぐらいで基本は終わります。

それでいいんです。それで基本がきちっとできる。

大事だと思うのは、
6歳から10歳まで筆を持って字を書くこと。

そのあとはもう、シャープペンシルでも
なんでもよろしいです。
糸井
基本を学べる場所が大事なんですね。
石川
たとえば、白川静先生の出身の福井県では、
部首ごとに漢字を学ぶ勉強をしています。

草冠というものは草から由来していて、
そういうものに何がくっついている、
という形を勉強するんです。

この字にはどういう意味合いがあるか、
どういう形でこの字ができたかを教えるわけです。
糸井
成り立ちが頭に入ってくるんですね。
石川
そうそう。

「こざと偏というのは、
地上と天とを結ぶハシゴだよ」
ということを教われば、
みんな、すぐに覚えられますから。
糸井
ぼくは、5月の末ぐらいに、
京都の立命館小学校を見学に行ったら、
入学したばかりの1年生が
授業でひらがなを教わっていました。

そうしたら、さすが立命館、
白川先生の流れが入っていました。

先生が、ひらがなの「お」を
わざと極端に書いて見せました。

正しい「お」とはちょっと違う、
確かに丸まっているんだけど、
それじゃ大きすぎるという文字を書くんですね。

「これでいいのかな?」って先生が言うと、
子ども達が「違う!」って言うんです。

美しい「お」の形を前提にして、
ただの丸まっている文字じゃないことを、
授業でもう教えているんですよ。
石川
ああ、はい。
糸井
ぼくも、これで教わればよかったなと思いました。

立命館小学校の子ども達にとっての字は、
踊りの姿勢に近いんじゃないかな。

ぼくが書くような「お」は、
横棒があって、縦棒があって、
丸めておしまいっていう記号にしか過ぎません。

ぼくはもう、ガリ版を使っていた頃から、
すでに間違っているわけです。

全部の文字を上下の関係なく、マス目いっぱいに
埋めるような字を書くようにしていました。

それから、ゆるい筆圧の部分は出ないから、
筆圧が一定になってしまう癖がついてしまった。

自分の中に強弱と速度感が
なくなっちゃったんです。
石川
ガリ版はデザインをやる人には大事ですよ。

「ガリガリ」と筆蝕を感じながら、
ひとつのマス目を想定して、
そこに入れていくということなので、
基本として非常に大事なことです。

ただ、何が違うかっていうと、
ガリ版の文字というのは、
印刷文字になぞらえて手で書いているんですね。
糸井
そうですね。
石川
印刷文字では、明朝体でも字形を
正方形に想定するわけですよね。

そうじゃなしに、
筆の文字っていうのは
文字を45度、倒した形がモデル。
糸井
なるほど、ひし形ですね。

底がペタンとしているというのは、
自然な文字じゃないんですね。
石川
だって、日本語は縦に連ねるわけですから
正方形では安定してしまって、つづかない。

手で書く文字はひし形、その中でも、
右上と左下の斜めのラインを意識しながら
書くことが大事です。

書って簡単なんですよ、本当に。

わかってしまえば簡単なんだけど、
それをみんな、ある意味で傲慢に、
「わからない、わからない」
と言いながら何もわかろうとしない。
糸井
ああ。
石川
書ほど易しいものはないですよ。

30日間でマスターできるんです。

ただし、1日24時間やり続ける計算で。
糸井
24時間‥‥!
(つづきます)
書だ! 石川九楊展
上野の森美術館で開催中! 書だ! 石川九楊展

書家の石川九楊さんがつくりだす、
音楽のようであり、絵画のようでもある、
不思議で魅惑的な世界を表現した
「言葉と書」の展覧会。

制作作品1,000点の到達を記念し、
石川九楊さんの青年期の実験的作品から、
歎異抄、源氏物語書巻五十五帖等の日本古典文学、
最新の書にいたるまで、
その前人未踏の表現世界が一挙公開されます。

会場:

上野の森美術館

東京都台東区上野公園1-2

開催期間:

7月5日 (水) ~ 7月30日 (日) 会期中は休みなし

開館時間:

午前10時~午後5時

*最終入場閉館30分前まで

入場料:

一般・大学・高校生 1200円、中学生以下無料

*障害者手帳をご提示の方とその付添者(1名)は無料

詳細ページはこちら

書だ! 石川九楊展
「日経おとなのOFF」2017年8月号でも
ふたりの対談
「『書』ほど面白いものはない!」
をお読みいただけます。