キョンキョンと原宿を歩く。

小泉 その頃の原宿って、どんな感じでしたか?
糸井 これはぼくだけの感じ方かもしれないけど、
原宿は、なんだか
離れ小島のようでした。
城塞都市というわけではないんだけど、
緑も多いし、ちょっと島っぽいというか。
だから、へんな人は
ここに集まっちゃったほうが楽、
みたいなところがあったんです。
小泉 離れ小島。
糸井 スーツ姿の人がほんとに少なかったですよ。
セントラルアパートにあった広告会社の
営業マンたちも、
ほとんどスーツじゃなかったと思う。
青山までいくと、VANがあって、
VANはカジュアルなスーツも扱ってたから
街の雰囲気は変わってくるんですけど、
原宿はそうじゃなかった。

たとえば、ウッドストックに行ってきた話とかを、
たまり場だった喫茶店の「レオン」に
誰かが自慢しに来るわけ。
ウッドストックのドキュメンタリーフィルムに、
なんとか、って日本語の声が入ってるんだけど、
「その声、オレ!」とかね(笑)。

ロンドンブーツが流行れば、
みんながロンドンブーツ履いてる。
原宿はそういうところで、
スーツじゃない人たちの島だった、
という気がしますね。

ぼくの気分では、なにか、
こことロサンゼルスがつながってたんですよ。
小泉 原宿とロサンゼルス。
糸井 そう。
青山の骨董通りを少し入ったところの角に
パイド・パイパー・ハウスっていう
レコード屋があって、
そこで輸入盤のレコードを
買ってくるやつがいたりしてね。
小泉 うん、うん。
糸井 それから、セントラルアパートに、
ブライアン・フェリーが来たりとか。
小泉 へぇえー。
糸井 セントラルアパートって、
建物の中心に中庭があって、
そこを囲んで吹き抜けになっていたんです。
それぞれの部屋の入口が中庭に面していて、
「ブライアン・フェリーが来たぞ」っていうと、
みんながこう、見に出てくる。
小泉 (笑)
糸井 「VAN」に対抗して、
「JUN」っていうブランドがあって。
小泉 あった。
糸井 その頃、「JUN」ががんばってる時期で、
セントラルアパートの中庭に
食べもの屋をつくったりもしてたわけ。
小泉 あ、そこで食べたことあります。
糸井 あ、そう!
小泉 ふふふ。
糸井 そこにブライアン・フェリーが来たもんだから、
食べものの匂いがプンプンしているようななかで、
「ロキシーミュージックの
 ブライアン・フェリーさんが!」って(笑)。
みんな、「おおー、いるいる」って、
のぞいてたり。
あとは福禄寿飯店っていう
中華料理屋があって
そこにデヴィッド・ボウイが
来たりとかもしました。
「デヴィッド・ボウイが来てるけど、会う?」
「いいんですか」なんていって、
握手してもらいに行ったり。

そのうちキャロルの時代になって、
リーゼントが流行った。
だんだんと原宿は、
修学旅行生が来る街に変わっていったんです。
小泉 あのぉー。
糸井 あ、そっちだ。
小泉さんは、その頃から
原宿に遊びに来るんだね。
小泉 「クリームソーダ」。
糸井 そうそう、「クリームソーダ」。
小泉 買ってました(笑)。
糸井 おおー、いいね。
小泉 女の子とかがね、
日曜日に原宿に行くっていうと、
男の子にお金を預かって、
「あそこのくし買ってこい」とか
言われます。
頼まれて買ったりとかした(笑)。
糸井 そうかぁ、遠くからねぇ。
小泉 はい。
中学生くらいから、
原宿を歩いてたけど、
そのとき「レオン」はあったのかなぁ。
最初はほんとに
竹下通りからはじまって。
糸井 あとは、竹の子族か。
たしか「竹の子」っていう店が
あったんじゃなかったっけ。
小泉 ありました。
「ブティック竹の子」。
糸井 そこが、竹の子族のはじまりだもんね。
小泉 そう。たしか、「竹の子」は
踊るための衣装として
つくっていたわけじゃなくて、
奇抜なデザインの服をつくっていたら、
ああいう踊る子たちが着はじめて、
「竹の子族」って呼ばれるようになったって。
のちに俳優になった清水宏次朗さんとか、
沖田浩之さんとか、
竹の子のスターだったんですよね。
『セブンティーン』とかに載ってました(笑)。
糸井 そのときには、ぼくらは
もう大人だったんだよなぁ。
竹の子族のときには、もうすっかりいないからね。
小泉 原宿をバトンタッチされてる感じかな。
糸井 そうだね。

(つづきます)


2011-03-07-MON