キョンキョンと原宿を歩く。
小泉今日子さんと糸井重里は、それぞれ ある時期に、原宿に住んでいました。 お互いの心のなかにある いまも変わらない街角、日ざし、 なくなってしまったあの店、集っていた人びと。 あのころからつながる いまの原宿を歩いて、おしゃべりしました。 * この対談は、小泉今日子さんが 雑誌「SWITCH」で連載している「原宿百景」に 糸井重里がゲストとして参加した収録が もとになっています。   小泉今日子さんのオフィシャルサイトはこちらです。
もくじ
01 原宿に人通りがなかった。 2011-03-03
02 原宿はロサンゼルスとつながっていた。 2011-03-04
03 次の時代が生まれる場所。 2011-03-07
04 弱そうで、強い人。 2011-03-08
05 生きていくには、十分なこと。 2011-03-09

01 原宿に人通りがなかった。
糸井 ぼくが若い頃、
仕事を始めたときに住んでいたのが
このあたり(穏田商店街)なんです。
小泉 はい。
糸井 初めて就職した会社が
表参道と明治通りの交差点の角にある、
セントラルアパートにあって。
小泉 セントラルアパートのなかに
職場があったんですね。
糸井 そうです。
その会社に勤めていたとき、
ぼくがあまりにも遅刻するんで、
近くに住め、って言われたんですよ。
小泉 (笑)
糸井 その頃のセントラルアパートはというと、
下に「電話室」というのがありました。
外から電話をかけると、
まずその「電話室」につながって、
そこから交換手が
各部屋に電話をつないでたんです。
そのくらい、古い時代の話。
小泉 へぇえー。
糸井 しばらくして、その会社が潰れてしまって、
フリーで仕事をするようになりました。
しばらく中野に住んだあと、
今度は自分で
セントラルアパートに部屋を借りて、
事務所にして
仕事を始めることになりました。
ですから、1971年頃からずいぶん長いこと、
このあたりにいましたね。
小泉 1971年というと、わたしは5歳です。
そうすると、そこから12年後に
コマーシャルのお仕事で
お会いすることになるんですね。
たしか、「日刊アルバイトニュース」の
コマーシャルだったと思うんですけど。
糸井 そうだ、あれは
小泉さんが髪を切った後の、
最初の仕事でしたよね。
小泉 そうそう。
糸井 それまでは髪が長い人だったから、
すごく印象に残ってます。
無理やりいろんなことをさせた記憶が‥‥。
小泉 ふふ(笑)。
新潮文庫の広告で
ごいっしょさせてもらったり、
よしもとばななさんの
『とかげ』の朗読のCDも、
つくらせていただきました。
糸井 『とかげ』のCDは、よく憶えてます。
ぼく、仕事はコピーライターだったんだけど、
他のこともしたくて‥‥
あれは、当時のぼくが
自分の会社の仕事としてやった、
めずらしい仕事だったんですよ。
あのとき、ふと
「小泉さんの声を聴きながら
 寝るのはいいな」
ということを考えて、
よしもとばななさんの『とかげ』を
小泉さんの朗読で聞くというCD
『KYON2「とかげ」を読む。』
をつくりました。
山奥のスタジオに行って収録して、ね。
あれ、雨の音が入ってるんだよね。
小泉 そう、そう。
途中で雨が降ってきたりして。
糸井 好きなようにつくったなぁ。
自分の仕事のなかでは、
思い出深い作品です。
あとは、釣りにも行ったね。
小泉 行きました。
2回くらい、
バス釣りをして。
糸井 そのあとも、小泉さんとは
ちょこちょこ
お会いしてるんですけど、
ぜんぶが懐かしいなぁ。

ここらへんってね、
昔は銭湯がいっぱいあったんですよ。
ぼくなんかがお風呂に行くと、よく
「あんた楽団の人?」って言われました(笑)。
当時は髪が長かったからね。

この商店街にも銭湯はあったし、
紀伊国屋の裏手のほうにもあったし、
清水湯はいまも営業してますし、
とんかつ屋さんの「まい泉」も
もとは銭湯だった建物です。
小泉 あそこがお風呂屋さんだったということは、
すごく大きかったんでしょうね。
糸井 うん。「まい泉」になった銭湯が
いちばん大きくて、
紀伊国屋の裏にあった銭湯は
ちっちゃかったんだけど、
天井に、ひとマスごとに絵が描いてあってねぇ。
それがなんだか、とても印象に残ってます。
小泉 それだけ銭湯があったということは、
アパートも多かったりして、
お風呂がないうちが
たくさんあったんでしょうね。
糸井 そうです。
「リンス」というものを
みんながし始めたころの話ですからね。
小泉 リンス、洗面器で
お湯で溶いて使ったね(笑)。
糸井 5歳のころね(笑)。
当時はケチケチ使ったよね、リンス。
小泉 ケチケチ。
糸井 でも、すべすべになったよね(笑)。
銭湯があちこちにあった
その頃の原宿は、ほんとうに静かな街でした。
いまみたいに店もなかったし、
人通りが少なくてね。
明治神宮前の駅って、なかったんですよ。
だからぼくらは
表参道の駅を使ってました。
その道は「枯葉散る夕暮れ」の
人通りのない道だった‥‥。
小泉 でも、1970年代頃って、
いろんなクリエイターの人たちが
このへんに集まっていたんですよね。
糸井 多かったですね。
クリエイティブな仕事の
いわゆるニューウェイブの時代だったから。
小泉 うん、うん。
糸井 フリーのカメラマンとか、
小さなプロダクションとか、
大きな代理店に所属しない人たちは
原宿に集まってきてましたね。
小泉 セントラルアパートは、
その中心だったと
聞きました。
糸井 セントラルアパートと、
その1階にあった「レオン」という
喫茶店です。
もうとにかく、その「レオン」に
みんな、ぐだぐだと
集まっていたんです。
あの人もこの人もあそこにいたんだよ、
という感じで。
小泉 いろんな人から「レオン」の伝説、
聞きます。
(つづきます)


2011-03-04-FRI

この対談は、雑誌「SWITCH」で連載中の
小泉さんの連載「原宿百景」で収録しました。
ふたりの対談とすてきな写真が
発売中の「SWITCH」vol.29 No.3 MAR.2011でも
掲載されています
撮影現場にいらっしゃっていた
スタイリストの伊賀大介さんにも
ひさしぶりにお会いできて、うれしかったです。
ぜひ、どうぞ。
この連載が1冊にまとまった
「原宿百景」の本もあります。
もちろん、糸井重里の登場の回は
収載されていませんが、
エッセイも写真も、とてもすてきです。
感想を送る ほぼ日ホームへ