21世紀の
向田邦子をつくろう。

■「久世塾おぼゑがき」56号
成長する『久世塾』


みんなは『久世塾』に何を求めているのだろうか?
放課後の教室で、いろんな人の意見を聞いているうちに、
そんな疑問が一瞬僕の頭をよぎった。
「皆さんは何のために『久世塾』に来ているんですか?」
もしそう問い掛けていれば、
どんな答えが返ってきていただろうか。

「もちろん脚本家になるためさ」
「シナリオ作法を学ぶためです」
「憧れの先生方のお話を直に聞きたくて」
「とにかく何かを表現したかった」
「自分の可能性を試そうと思って」
いろんな答えを想像できるが、
僕は、みんなひとつの目的で
『久世塾』に集まって来ているのだと
勝手に思い込んでいた。

“プロになるために”
「俺はプロの脚本家になるんだ!
 そのために『久世塾』に入ったんだよ!!」
そんなヤツばっかりだと思っていた。
でもどうやら、それだけが目的じゃない人も
いるということがわかった。

実は先週、8/5の講義が終わったあと、
任意で集まった何人かの塾生さんたちが残って、
先生方やプロデューサー、
それに僕たち事務局スタッフとの間で
話し合いの場が持たれました。

テーマは『久世塾』の講義の進め方と運営について。
そこで話し合われた内容については、
ここで発表することではないので中身には触れませんが、
とにかく話し合いの場を持ったということ自体は、
塾生さんたちにとっても、僕たち事務局側にとっても
プラスになったと思っています。

何かを提供する側と、それを受け取る側の思い
(あるいは価値観)というものは
(それが1対1でない場合は特に)100%合致する
ことはなかなかに難しいと思いますが、
今回の話し合いで、少なくともこちらの
「こういうモノを提供します」という心づもりと、
向こうの「こういうモノを求めています」という期待が
何だったのかということを、
お互いに知ることができたように思います。

僕たちは、「21世紀の向田邦子をつくろう!」という
目的を持って塾を始めました。
脚本のプロをつくる(あるいは育てる)という目的です。
プロとは何でしょう?
定義はいろいろとあるでしょうが、
僕は、生み出したモノ(作品)に対して
代価(つまりお金)を受け取っている人のことを
プロと呼びます。

先日『久世塾』で、
とあるドラマの企画募集がありました。
これは講義とは関係なく、
某プロデューサーが独自に募集したものです。
結果、提出されてきた約40案の中から
いくつかの案が取り上げられ、
その提出者に対して謝礼が支払われました。

すでに『久世塾』からプロは生まれているのです。
僕たちはプロになるチャンスを提供します。
それが塾生さんたちの求めているものだと思っていました。
でも「それだけが目的じゃないんだ!」という声が
あるということが今回わかりました。

では何を求めているのだろう?
この先、何を提供していけばいいのだろう?
今、塾としてそれを考え始めました。
このコラムが始まってから、
いやこの塾の企画が生まれてから、
毎日が試行錯誤の連続です。

『久世塾』が始まってちょうど半分。
折り返し地点を過ぎたところですが、
塾生さんたちと一緒に、『塾』も少しずつ
成長していっているんじゃないかな、
というような気がします。

果たして9月末に『久世塾』が終了したときに、
塾生さんたちは、そして僕たちは、
いったいどんな成果を得ているのだろうか。
今はそれが楽しみになってきています。

そして、9月に全講義が終了した後も、
スグに次なるプロジェクトが控えています。
そう「久世塾&ほぼ日/
ネットドラマプロジェクト」(仮称)です。
「ほぼ日」読者だった人たちの何人かは本講座、
あるいはオンライン講座の塾生となり、
『久世塾』に参加されました。
さらに今回のプロジェクトでは、
より多くの読者の方々を巻き込んじゃうつもりです。

ドラマは“脚本”だけではできません。
「アレもいるし、コレも必要だし、ソレもなきゃ困る!」
「どうしよう?」
「そうだ、募ろう!」
と、いうようなことを考えています。
いったい何を募ろうというのか?
それは次回のお楽しみ、ということで。

さて、話は180度変わって
前回のイトイ先生の講演にちょっとしたツッコミを。
ゴメンナサイ、ここからは
糸井さんの講義を聴いていない人には
ちょっと分かりづらいかもしれない話になります。
糸井先生は「梶原一騎の価値観」というモノについて
語られました。

「人は、場合によっちゃ悪いことをしてもいい。
 但し罪滅ぼしとして、
 恵まれない人(孤児院など)に対しての
 お金の提供があればOK! というのが
 梶原一騎先生の価値観です。」
そして「でも、そんな思い切った価値観を
提示した梶原先生も、(巨人の星の)明子ねえちゃんの
価値観についてはついぞ答を見出せなかった」
と言われました。

ところがどっこい明子ねえちゃんは、
成人後(というか大人になって)
あの花形満と結婚したのです。
貧しい家庭を支える左門豊作ではなく、
花形財閥の御曹司である花形満と。
つまりはやはり“お金”だったのですね。
そういう意味では梶原先生の価値観も
やはり一貫していたようです。
と、講演会終了後に
ある塾生さんからのご指摘もありましたので、
ここでツッコンでしまいました。
以上、失礼しました。

それでは。

文責 さとう

★久世塾正式サイトへのアクセスは
 http://www.kanox.co.jp/へ。

2000-08-11-FRI

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