書くことの尽きない仲間たち 車で気仙沼まで行く。東京~福島~宮城 2018車 - ほぼ日刊イトイ新聞
田中泰延
2018.03.12

ボヘミアンからポエミアンへ。

3月12日、午前6時。

窓の外で、気仙沼の夜が明けてゆく。
港には粉雪が舞っている。

うみねこの啼く声が海風に乗る。

いや、うみねこではないのかもしれないけど
かもめなのかもしれないけど
うみねこって文字にするとかわいいので
もういちど書きたい。

うみねこ。


「カモメ」と「ウミネコ」はどちらもチドリ目カモメ科の鳥だ。

「カモメ」は体長は45センチほどで、くちばしは黄色。
「ウミネコ」は体長47センチくらいで、
くちばしには赤と黒の模様がある。

結構動くのでその2センチの差を目視で測るのは難しいし、
なんとかくちばしの色を見分けようとして2時間経ってしまった。

そういや『かもめが翔んだ日』って歌があったな。
…かもめなんて毎日飛んどるわ。

あと、『かもめはかもめ』って歌があったな。
…そらそうや。

そうこうしているうちにまた1時間経ってしまった。

みんなほんとうにこういう原稿の書き方は真似しないでほしい。
似た人があらわれるとキャラが被って困るからだ。

昨日。3月11日。きのうもぼくたちは海のそばで目を覚ました。


女川の町には喪服を着たひとが行き交う。
ここでは10人にひとりが亡くなった。

物見遊山なような、自分の場違いさに泣きそうになる。
だが勝手によそから来て勝手に泣くのも失礼な話だ。

よく見て、よく人に会い、よく話を聞き、
よく車を走らせる1日にしよう、そう思った。

南三陸町に立ち寄る。
なにもない。なにもないのだ。
港町、漁師の町。市場があり、酒場があり、家族が住んだ町。
人間の営みの何もかもがあった場所に、なにもない。

ぼくは、あれから7年、震災に関して、いや、津波に関して、
かなりウブだったということを白状しておこう。

福島へは震災後、何度か通った。
しかし、ここ東北のリアス式海岸に沿った港町については、
ニュースなどで目にした映像があまりにも怖くて、
それ以上なにも知ろうとしなかったのだ。

怖くて目をそらし、目をそらすことが板についてしまっていた。
その間、自分のすごした時間と全く同じだけの時間がそこに流れ、
悼みがあり、日常があり、片付けがあり、普通の暮らしがあり、
たてなおしがあったのに。

かつて賑わった海水浴場だった駅は、
線路が途切れて廃墟になっている。

喪服の男性がひとりきり、手を合わせたあと、
しばらく海を眺めていた。



今日はいよいよ気仙沼まで車を走らせる。
運転は永田さんがいつでも代わってくださる姿勢なのだが、
ぼくはできるだけハンドルを握りたがる。

運転が好きだ。
地面から振動を、ロードインフォメーションを感じる権利、
次々と変わって行く景色を自分で作る権利、
運転者はそれらを特権的に保持できる。

別れ際に手を振ってくれる人に、窓を開け、
ハンドルを握りながら大声でありがとうと叫ぶ瞬間も好きだ。
去っていくスピードを自分で決められる。


車内で、古賀さんから
きょうお目にかかる気仙沼のかたには
とてもかなしいできごとがあったんです、
という話を聞いて、ぼくは緊張しながら目的地にたどりつき、
車を降りた。すると

めちゃくちゃ、明るいやないかーーーーーい!!!!!


もうこれが圧倒されるほど、明るい。
ぼくは根が暗かったのかと思うぐらい明るい。

ついた瞬間から、さわがしたのしすぎる。
わらかされることしかおきない。大笑いしかできない。

糸井重里さんとここで落ち合えた。

「なんですかここは。なんですか気仙沼の人たちは。
ぼく、さわがしい親戚のおばちゃんおっちゃんの集まりに
急に連れてこられた子供みたいに面食らってますよ」

というと

「そうでしょう」

当然という顔をしている。

そして2時46分、みんなで海に向かった。

笑顔、笑顔、笑顔、のこの場所で
1分間だけ完全な静寂があった。

黙祷の1分間ではない。

黙祷の後の、完全な沈黙の1分間に、
ほんとうの静寂があった。

ただ、うみねこが一度だけ、ないた。

ぼくは目をあけた。
海が陽光を返すのと同じように、
頬が光る人がいた。

糸井さんはその人の肩に手をかけていた。

そうだ、ぼくは
大きな祈りなんぞを車のトランクに積んでここへきたのではない。
ただ、この旅で出逢った人に、人たちに、
ハンドルを握る両手の分だけ、手を合わせたのだ。


そう思った。

別れ際に手を振ってくれる人に、車の窓を開け、
大声でありがとうと叫ぶのが好きだ。



福島に、宮城に、岩手に、東北に。
わたしに何かできるだろうか?

と思ってるひと、もう笑っちゃうと思います。

なぜって、
東北が先にあなたに何かしてくれるから。

これ、ぼくの感覚ですよ、
あくまで今回の旅の経験からいえばですよ、
でも、出会った人、出会った人、そうだった。

そして大好きになってしまった。
大好きってなんだ?と考えたんだけど、

やさしかったり、おいしかったり、
ほほえましかったり、うつくしかったり、
かわいかったり、おもしろかったり、

じゃない?

それを共有できる人と

つらかったり、
かたづいてなかったり、
はらだたしかったり、

するところを

それはええようにしたいね、いっしょにやろうよ

って一緒になんかしたらいいんじゃない?


なにかを共有できる人、また会いたい人を
ぼくは「ともだち」と呼びたい、呼ばせてほしい。

だからまた会いにきます。

4日間の旅がおわる。
おわって見たらあっという間でした、

というのが慣用句で、
いまぼくも一瞬、手が自動的に書きかけていたのだが
そんなわけはない。

この旅は長く長く、長く感じたし、
これからも長くなる。
旅こそ、学びだからだ。

学びというのは、
なにか賢くなって、知識を増やして、
トクをするためにすることじゃない。

変容する世界を、
変容する自分を、
眺めるためのものだ。

道路の振動を感じ、景色が変わるのを
見るためのものだ。


たった4日間の旅のくせに、
おれ、すごいポエミーでしょ?ポエミアンでしょ?
でもあなたも旅をしてみよう。
ボヘミアンになれば、きっとポエミアンになれる。

ボヘミアンとは、
自由に移動し、放浪する人だ。
ボヘミアンは、ポエミアンになって、
うみねこみたいに港で歌うのです

『かもめはかもめ』って。
…そらそうや。


最後に、
この旅にさそってくれた永田さん
いっしょに旅した古賀さん
おこってばかりで申し訳なかったけど
楽しかった鴨さん
東京でまっててくれた燃え殻さん
気仙沼でまっててくれた
糸井さんとほぼ日のみなさん
毎日遅い僕の原稿をまっててくれた
東京のほぼ日のみなさん

そしてこの4日間
たくさんのおたよりをくださったみなさん

なによりなにより
この旅でともだちになれたみなさん

ほんとうにほんとうに感謝します。

また会いにきます。
車であなたのところまで。

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