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 『夢が夢なら』
 小沢健二

 
1996年(平成8年)

なにも起きることは
ありませんでした。
僕たちは
「親友」なのですから。
(トーテム)

夏から秋へと空は高く
はっきりと今僕には判る
僕はあなたに逢えたことを
ずっと幸せに思うはず


僕は今大学二年生なのですが、
高校生の頃から大学一年まで、
ある女の子に片想いしていました。
その子とは、部活もクラスも一緒、
目指している大学も一緒、通学路も一緒と、
仲良くなるきっかけはありあまるほどあり、
もちろん仲良くなりました。

しかし、僕は恋愛対象として
彼女を見ていたのに対し、
彼女は僕のことを
性別を越えた友人として見ていました。
それでも、側に居れるのであれば、
友人として見られていてもいいと僕は思いました。

その後、彼女とは、
音楽や映画、漫画など色々な趣味が合い、
いつしか僕たちは
「親友」という間柄になっていました。
二人で映画を観に行ったり、ライブに参戦したり、
ちょっとした旅行に行ったりもしました。
しかし、もちろん、
その時なにも起きることはありませんでした。
僕たちは「親友」なのですから。

高校を卒業し、別々の大学に進学しても、
僕たちの関係は変わらず、頻繁に会っていました。
ある日、恋人が出来たと、
彼女は嬉しそうに言ってきました。
気になっていた同じバイト先の先輩に
告白されたそうです。
僕は、もちろん心から祝福しました。
「親友」ですから。

会う頻度が少なくなった今でも時々、
恋人についてののろけ話を聞かされていますが、
日に日に胸が疼くことが少なくなっていることが、
嬉しくもあり寂しくもあります。

この曲は、僕がカラオケで歌う曲の中で
彼女が一番気に入ってくれた曲です。
ああ 君が居た頃のことを思わない
僕は一人で生きることを学ぶさと思いながら
これからも「親友」として
付き合って行きたいと思います。

(トーテム)

自分からは、片思い。
相手からは、友だち。
よくある、ほんとうによくある話です。
その「よくある話」が、
こんなにまっすぐに語られると
どうにも心に響きます。
それが現在進行形であるというのも、
大きいような気がします。
いまも、彼は、彼女を、
「親友」として見ようとしているのですね。

小沢健二さんの詞はどの作品も一級品で
読むたびに違った響き方をする、
いわゆる「魔法のフレーズ」が
たくさんあるのですが、
この歌もそうですね。

「ああ 君が居た頃のことを思わない」
この「思わない」というのは
どういう「思わない」なのだろうか、など。

また、『夢が夢なら』は、
歌詞が進んでいく心地よさと
メロディーのゆったりとした巡りが心地いいため、
歩きながらの鼻歌に最適です。

「○○ちゃんは、分け隔てないよね。
 男でも女でも、同じようにつきあえる。
 それってすごいよね」
と、同い年の友人女子に言いましたら、
「ん? あ、そっか。
 わたし、人を『性』で見ないから。
 一緒にいて気持ちがいいかどうか、
 話がしやすいかどうか、
 趣味が合うかどうか、
 そういうところから入っているから。
 ついでに、年齢でも見ませんよー」と。
彼女は、同性の友人も異性の友人もなく、
年長の人も、年下の子も、「ごっちゃ」なつきあい。
いまは年下の彼氏がいるけど、もしかして急に
「女の子と付き合うことになった」とか
「ふたまわり上の紳士と結婚」なんて言われても、
ぼくはすっと受け入れるだろうなあって思います。
しかも、彼女、別れた彼氏と
ふっつーに「親友」なんだよなあ。

そんなのが理想だななんて思いつつ、
恋心って、やっかいなもので。
やっかいだけど、すてきなもの。
いま、それがだんだん薄く消えていくとしても、
そうだった、という時間の思い出は
きっとゆたかな人生をつくる。
ぼくはそんなふうに信じています。

やはり私も、まっすぐに、
時系列で書いてある投稿文に
心を打たれました。
それは、彼女の
「友人として大切にしている」
という気持ちを、
彼が尊重してくれているからでしょう。
そんなふうに大切にしてくれる人がいるのは
とてもしあわせです。
読んでいて、うれしい。

でも、彼のほうからすればそれば
とてもやっかいな状態なわけで。
がんばれ、と思います。
そうかぁ、日に日に胸が
疼くことが少なくなっていることが、
嬉しくもあり寂しくもあるのかぁ。
そうかぁそうかぁ。

やはりそう、このお話の骨格というか、
いちばん大切に守られているものとして
「尊重」や「尊敬」が各行ごとに感じられて、
それが読み手であるぼくらの胸をうつのだと思いました。

切なさに似た「疼き」という感覚。
そもそも抑えられたものであるその「疼き」が、
さらに日に日に少なくなる‥‥。
グッときます。

「親友」というかたちで守られ残ったその記憶は、
辛さがともなうかもしれませんが、
やはりかけがえがなく、誇れるものですよね。
その関係がうらやましいです。

クリスマスが近づいてきました。
けさ、うちのあたりでは雪が降りましたよ。
2014年の終わりまで、あと何回更新が?
次回もよろしくお願いいたします。

2014-12-17-WED

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