『玩具のような振る舞いで』
 キリンジ

 
2001年(平成13年)
 アルバム『Fine』収録曲

気持ちの矛先はいつも夫に
向けられていたように
思います。
 (会えてよかった)

喜びはいつだって痛みのあとに訪れるもの
そう信じたいね
軽はずみなことをしたくはない
そうだろ、したくはないさ


こんにちは。いつも楽しく拝見しています。
今日は山下さんが顔をしかめる系の話を
投稿してみようと思います。

インターネットを通じて私はある男性を知り、
興味を持ちました。
時間をかけて言葉のやり取りをするうち、
私は彼を好きになり、
彼も私を好きになってくれました。

遠距離恋愛となった私たちは、
毎晩の電話を欠かしませんでした。

同じタイミングで全く同じ単語を喋ったり、
あれ、電話が通じないな、と思ったら、
向こうも同じタイミングでコールしていたため
お互い「話し中」状態だったり、
不思議で楽しい偶然がたくさんありました。

会えるのは年に数回でしたが、
毎日の電話やメールで連絡を密にして、
それはお互いをいたわりあう、
とても大切な時間でした。
たくさんたくさんお喋りしました。
いつも笑っていた気がします。

思考、感覚、価値観まで、こんなに深く
分かり合える人は他にいなくて。
私は運命の人と出会ったんだなあ、
嬉しいし不思議だなあと思う日々でした。

出会いから数年後、私たちは結婚しました。

二人暮らしはとても楽しく、幸福な日々でしたが、
良くも悪くも
「二人しかいない」「濃密過ぎる」時間で、
ときにとても辛く悲しく惨めなものでもありました。

生活習慣の違い。考え方の違い。リズムの違い。
求めるものの違い。許容できる範囲の違い。
別々の人間だから違いはあって当然なのに、
私たちはあまりに似ている部分が多すぎて、
「違い」があることが怖く、悲しく、
許せなかったのかもしれない。

仕事と家事のバランスも、
私にはちょっとしんどくなってきて。
話し合いをしようとしても感情が先立って
うまく成り立たない。
私はこんなに頑張ってるのに!
私ばっかりこんなに辛い! と、
いじけた気持ちで泣く日々が増えていきました。

彼だって、言わないだけで、
辛い気持ちなんかたくさんあったはずなのに。

また私たちは、まるで兄弟の猫が
毛づくろいをするようにじゃれることはあっても、
男女として交わることはありませんでした。
私はそれが寂しかった。
私は彼のなんなんだろう? と、
頭が心がぐるぐる混乱するような時間が流れました。

その日々の先で、私は、別の男性と寝ました。
そのときは彼のことを好きだと思ったし、
好きだと耳元でつぶやきもしました。

でも、わかってほしい、認めてほしい、
仲良くしたい、なのになのに! と、
気持ちの矛先はいつも夫に
向けられていたように思います。

その頃いつも通勤途中に、
「玩具のような振る舞いで」を聴いていました。
この美しいメロディの歌が、
軽はずみばかりを積み重ねる私を
たしなめるように聴こえて、
季節は秋で、こんなにも紅葉が美しいのに、
私は恋をしているはずなのに、
あーあ、うまくいかないなあ、と、
ふいにたくさん泣きました。

その後、彼と会う間隔が少ずつ広がって行き、
そのうちまったく会わなくなりました。

夫とは、時々泣き叫ぶような喧嘩をしながらも、
そのたび私にはこの人しかいない、という気持ちを
再確認して、
泣きながら強く抱きしめ合い、
また日々に戻って行きます。

できればいつも穏やかに、楽しく笑いながら、
死ぬまで夫と仲良く過ごしたい。
そのためにも、過不足なく適切に
愛を扱えればいいのだけど、と思います。

寝た彼への気持ちは果たして恋だったのか?
何度考えて見ても、よくわかりません。
言えることは、夫との濃密な日々の中で
溺れずに生きてこれたのは、
間違いなく彼の言葉や身体や気持ちがあったからで、
そのことに対して、強く感謝しています。
息継ぎをさせてくれてありがとう、と。

(会えてよかった)

夫と「濃密過ぎる」時間を持てること、
すべての気持ちの矛先が夫に向いていること、
それ、うらやましいと言ってもいいでしょうか。
いいのなら言いたいです。それは、
おふたりにしかない関係で、世の中で、ほかにない。
そういう人と、いちばん近くにいることができる。

夫のほうは、悩みや迷いはないのかな。
だとしたら、どーんと頼っちゃっても
いいかもしれませんね!
パフェとか食べたり、旅して
息つぎしつつ、ね。

こういう、「倫理」がからむエピソードは
表現がなかなか難しい。
ぼくらと読む人たち数人が、
深夜の居酒屋にでもいれば
極論や突飛な意見をたのしむこともできますが、
小さなページとはいえ、
公共性のある場所でもあるので。

恋人どうしの日々と、
結婚生活の違いのひとつは、
「お互いの根本的な違いに
 向き合っていくこと」だと思います。
それこそ、みそ汁の具から、
親との距離感、便座の上げ下げまで。
そういうことは、地味ながら、
「ひとつひとつ乗り越えていく」以外ないし、
夢心地で万事快調、みたいなことは、たぶんない。

なにが言いたいかというと、
結婚するって、ある程度衝突することですよね。
どんなに仲がいいとしても。

うんざりすること、面倒なこと、
非常識なこと、許せないこと‥‥。
それと向き合って、それでも乗り越えていく。
「結婚」ってそういう面を必ず含むし、
「結婚」に限らず、「濃厚な1対1の関係」は
どうしてもそういうふうになる。

「だからしょうがない」でもなく、
「我慢しよう」でもなく、
そういうもんだよなあ、と思います。

それでもいっしょにいたいという気持ちを
ぼくらは重んじているのでしょうね。
だから、いろいろと個人で工夫して、
上手にそれらを乗り越えようとする。

ま、今回のエピソードを
そういう文脈に載せていいかというと、
軽はずみには言えませんけどさ。
居酒屋じゃないから。

ぼくはどこで顔をしかめるのだろうと、
緊張しながら読みました。

なるほど。

永田さんの言う
「ちいさくても公共」であるこの場所で、
どうやらぼくは
「正義」を語りすぎていたのかもしれません。
危険な道に進みそうな展開では、
「やめておいたほうが」とたしかに言ってきました。

(会えてよかった)さんのこのケースは
どうなんでしょう‥‥?
すくなくとも、
顔をしかめることはありませんでした。
‥‥発言に一貫性がなくてすみません。
でも、ほんとです、
顔をしかめる気持ちにはなれませんでした。
濃密なご夫婦の関係は、うらやましくも思えます。

伴侶とともに生きていくための「バランス」は、
自己の判断で決めていくしかないわけで。
「論理」や「倫理」で説明できないことだらけです。
そのことを今回、あらためて認識しました。

うーーーむ‥‥
それにしても(会えてよかった)さん、
なんという密度の「恋」でしょう。
こういうかたちもあるのだから、
「正義」を語りすぎないよう気をつけないと‥‥。
ありがとうございました。

あくまで個人的な意見なんだけれど。
「寝た彼への気持ちは果たして恋だったのか」
──ちがうような気がするなあ。
恋、愛、そう呼びたくなるものが、
恋でも愛でもないってこと、あります。
心が発信し、受け止めた愛の分量にくらべて、
どうぶつとして身体がもとめるものが、
圧倒的に不足しちゃっていた、
そのときにもった関係だったわけで、
枕をひとつにした、そのエネルギーの交換を、
身体が恋や愛と錯覚しちゃっていたり。
耳元でささやかせたのも、心じゃなくて身体。
それは言葉じゃなくて吐息。
これは定義じゃなくて
あくまでも「そういうこともある」という話ですけれど。

「(夫との濃密な関係に)溺れずに生きてこれたのは、
 間違いなく彼の言葉や身体や気持ちがあったから」
と、(会えてよかった)さんは言うけれど、
だとしたら、逆のことも言えるのかもしれません。
「彼との関係に溺れずに生きてこれたのは、
 間違いなく夫との暮らしがあったから」って。

文章を読み終えて、あらためてペンネーム
(会えてよかった)
の意味を考えると、わからなくなります。
ありがとうは「彼」に向けてですものね。
でもこの投稿で、「彼」との関係は
完全にジョーブツさせちゃいましょうよ!
「夫」は素直に
(会えてよかった)って思ってたらいいなあ。

 

2013-10-02-WED

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