『ONLY YOU』
 BOØWY

 
1987年(昭和62年)

見えない何かに流されるように、
お互いを見失いました。
(ともちゃん)

いつも愛はすり抜けたけれど
傷つく事に おびえないで
今の俺を信じて

14歳から19歳の頃まで
中学、高校、そして高校を卒業してからも
いつも一緒にいた、家族のような存在だった彼。

あるときから、何かの歯車が狂ったかのように、
ちょっとしたすれ違いを繰り返し、
わたしたちは見えない何かに流されるように
お互いを見失い、離れてしまいました。

そのまま音信不通になり、
その間、それぞれのパートナーと出会い、
それぞれの人生を歩いてきました。

わたしは、結婚、出産を経験し、
幸せになったつもりでいました。

けれども、現実は決して幸せを感じることはなく、
苦しくて、悲しくて、泣いて泣いて泣いて‥‥
自分が壊れてしまわないように、その場に
必死で踏ん張って耐えているような時間の繰り返し。
子ども達がいるから、その笑顔に支えられて
かろうじて笑顔を作って過ごしているような暮らし方。

自分が何をしたいのか、自分がどう思うのか、
自分はどう感じているのか‥‥
考えようとしてもなんにもわかりません。

わたしはすっかり
自分を無くしてしまっていました。
自分の存在さえも
意味があるようには感じられなくなって、
私はやっと、自分を取り戻したいと思ったのです。 

そして、16年の結婚生活を終わらせました。

この間にも、苦しくて崩れそうになる気持ちを
かろうじて支えてくれていたのが
彼との思い出でした。

彼と過ごした時間、彼と交わした言葉、
彼と聴いた音楽、彼と見た景色、
彼からもらったたくさんの愛情と安心感とが
自分の存在は価値がないものではないはずなんだから、
と私を頑張らせてくれていました。

もう、きっと二度と会うことはないだろう。
でも、どこかであの頃のまま、
好きなことをして輝いて、元気でいてくれたら‥‥   
どこかでだれかと幸せでいてくれたら‥‥

わたしは、大切な、大切な彼の
幸せを願い続けていました。

そんな想いが、実は
自分自身のことも支えていたのです。

社会の中で働く環境にいるわたしは、
パソコンを使う機会が多く、
おかげさまでちょっとだけ扱うことができます。

彼と離れてからこれまでの間、
時代はめまぐるしく変わりました。

彼と一緒に過ごしたのは携帯電話なんて無かった頃。
公衆電話をさがして
小銭を握りしめて電話をしていた日から思うと
いつのまにかポケベル、PHS、携帯‥‥と、
どんどん通信の手段が豊富になり、
今ではインターネットを介して
世界中の人と一瞬で繋がることさえ出来る。

いまだったら、きっとあの頃の私たちのように、
なんでもないすれ違いがおこることも
なかっただろうに、と思います。

その、通信手段によって、
思いも掛けない出来事が起こりました。

長い長い年月を経て
彼と連絡がとれたのです。
24年ぶりでした。

生きていてくれてありがとう。
みつけてくれてありがとう。

メールで近況をやりとりするうちに、
いろんなことがわかりました。

あの頃、まるでドラマや映画のような
運命のいたずらとしか思えないような
すれ違いを繰り返して
離ればなれになってしまったこと、
あのとき、言えずにいたこと、
あのとき、知らないままでいたこと、
いまだから、こうしてやりとりできるからこそ
はじめてわかったことがたくさんありました。

‥‥離れている間、わたしたちは
お互いが同じ想いでいたのです。

どうして、離れてしまったんだろう‥‥

どうして、あのとき
しっかりつかまえていなかったんだろう‥‥

ごめんね

そんな後悔が押し寄せてきて、夜中に、
わたしたちは、お互い
指先から言葉をだしながら泣きました。

彼とは、またこうして巡り会うことが出来ました。
でも、会ってはいません。

メールのやりとりだけで、あっというまに
時間の溝が埋まり、お互いを支え合っていることも
確信できました。

30年もの間、離れていても
実はずっと想いが繋がっていたのだということも
知りました。

あの頃、流行っていた音楽の話になり、
ふと彼が好きだったこの曲の歌詞をよく聴くと‥‥
今の私たちの気持ちそのものだったのです。

私たちの運命はどうなっているんだろう。

一緒に同じ道を歩くことなく、こんな風に
離ればなれの人生を歩くことになってしまいましたが
離れたことも、またこうして巡り会えて
繋がったことも、なにかきっと、意味があるはず。

離れて過ごしてきた24年の歳月は
けっして無駄なものではなかったんだと、思います。

この曲は思い出の曲と同時に、新たな「今」の曲として
わたしたちの大事な曲になりました。

(ともちゃん)

待ち合わせでうまく出会えなかったり、
おとうさんが睨みをきかせるなか
電話のコードを引っ張って隠れ長電話したり‥‥。
そんな思い出がなつかしくあります。

恋も暮らしも、あたりまえですが、
うまれた場所と時代に翻弄されます。
いまだったら、またちがう
すれちがいがあるのでしょうね。
(いろんな面でデジタル化がすすんで
 言いわけもしにくかったりするだろうし)
もっとちがう、抗えない力によって
ひきさかれたカップルもたくさんいたことでしょう。

親しい人を失った場合、その後の人生で
違和感を感じている人も
私は、きっといると思う。
それでも、前を向いて歩くしかないですよね。
自分の歩く道ですもの。

で、そんななかで、再会できた!
わー、よかった。

そのまま時間が縮まったわけではなく、
お互い「離れていても幸せを願ってた」24年が
あるからこそ、また別のいい関係を築けそうですね。
いいなぁ。
自分を肯定してくれる人、というのは
ひとりでも多いほうがいいと思います。
連絡取れてよかったですねー。

またしても、
「どうなるんだろうとドキドキしながら」
画面をゆっくりスクロールして読みました。
お互いがお互いを見つけて、よかった。
そして、直接会ってないというのも、
なんだかよかったなあと感じました。

昔の思い出が今を支えること、
あるんですね。
物理的なものでもないし、
金銭に替えられるわけでもないけど、
それが、崩れそうな人を
しっかりと支えることがある。
すごいことだなあ、と思います。

今の思い出や、過ごす時間も、
未来の自分を支えるのかもしれないですね。

インターネットがこんなに広がったことで、
もうぜったいに会えないと思っていた人と
ふいに連絡がつく‥‥。
そういうケースは、きっととても多いはず。
乱暴な言い方になるかもしれませんが、
そういうのって基本的にぜんぶ
「よかったね」って思うんです。
連絡がついてからどうなるかは、まったく別問題ですよ。
いい展開もあれば、悪い結果になることもあるでしょう。
それでもやっぱり、
「久しぶり! まさか連絡がつくとは思わなかったよ」
「元気だった? いろいろあったけど、こっちは元気」
「メールでこんなふうに話せる時がくるなんてねぇ‥‥」
こういうやりとりって、いいものだなぁと思うんです。

(ともちゃん)さんが、
ぼくらのところに投稿してくれたのも
そんな再会があったからなわけで。
また繋がったことがうれしくて、
いままでの時間が決して無駄じゃなかったのだと
肯定的に心の整理がついたから、
「くちずさみ委員会」に送ってくださったんですよね。
何度も申し上げているお礼ですが、
たいせつな思い出をありがとうございます。

(ともちゃん)さんの、その大事な関係が、
これからも大事に大事に進んでいきますように。
‥‥また巡りあえて、ほんとうによかった!!
あせらず、でもたくさん、幸せになってくださいね!

たしかに、通信手段の発達は、
恋のかたちにすごく影響しているかもしれません。
十円玉を握りしめて公衆電話に向かった頃と、
だれもが携帯電話を持っている今とでは、
「すれちがい」の数は減ったのだろうし。
そう、待ち合わせは便利になりました。
遅れたり、遅れられたりしても、
「いまここ」みたいに連絡が取れるから、
待ち時間に「ほんとうに会えるだろうか」
とドキドキしたことや、
「会えないかもしれない」
とすら疑っていたことは、いまは、なくなったかも。
ただ、心がすれちがっちゃうことについて、
以前は、もっと敏感だった気がするんです。

(ともちゃん)と彼が、
携帯電話の時代に恋に落ちたとして、
携帯電話があったから別れなかった、
とも言えないわけです。
ふしぎな巡り合わせ、運とか縁とかって、
そういうことよりもまた別次元の強力さがある。
携帯電話の時代の恋、
はたして数十年後まで、こんなふうに強く
思っていられるだろうかと、自問しちゃいます。

数十年会えなくても、
その存在がこんなに力になってくれた。
そしてそれは、ふたりとも、だった。
つながっていた。
そのことに感動しました。
そういうことってあるんですね。

さて、おとなも夏休みの時期になりますね。
あたらしい恋がうまれたり、すすんだり、
もしかしたらこわれたり、再燃したり、
いろいろあったりして?!
本とCDも、ぜひごいっしょに!

2013-08-10-FRI

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