『リフレインが叫んでる』
 松任谷由実

 
1988年(昭和63年)
 アルバム
 『Delight Slight Light KISS』収録曲

こんなことが
現実にあるはずはない。
でも、この瞬間に私は
彼に恋してしまったようです。
  (遠き細き道)

どうして どうして僕たちは
出逢ってしまったのだろう

夫婦仲の悪い両親に育てられました。
「お前と子どもたちさえいなければ
 俺の自由に出来るのに」と言い放つ父親と、
夫への腹いせにその言葉を
子どもに告げ口するような母親でした。

愛されたいのに、愛したら裏切られるのが怖くて、
いつも半身で構えて、
すぐにその関係から逃げられるような恋愛しかできず、
やっぱり一度目の結婚は破綻しました。

日本から逃げ出し、出逢ったのが
10歳年下の現地人の大学生。
「好きだ、好きだ」とまとわりつかれ、
全身でアプローチしてくる彼に
とまどいながらも満更でもない自分がいました。
何より「愛されたい」エゴをこんなに満足させてくれる。
こちらが愛し返さなくても、それは彼に取っては
どうでも良いことのように見えました。

彼の実家に泊まりで招待された日のこと。
リビングで彼と彼の母親、私で話していると、
彼の父親が用事を終えて戻ってきました。
そして、そのまま母親のソファの後ろに立ち、
ごく自然に彼女の髪を撫で始めたのです。
母親はそれまでと何も変わらず会話を続け、
それに体面している彼も
顔色一つ変えずに会話を続けます。
目の前で起きている出来事が、
作り物のように見えました。
余りにできすぎている映画のひとコマみたい。
こんなことが現実にあるはずはない。

でも、この瞬間に私は彼に恋してしまったようです。
彼が私に見返りを期待せず愛してくれるのは、
こんな両親のもとで育ち、
愛し愛されるのは
ごく普通のことだったからなのだと思います。
絶対に裏切られることのない愛情を
身をもって知っているから、
無防備に私にも愛情を向けてくれているのだと。
何だか、この人は裏切れない、
と思ってしまったのです。

ヴィザが切れて日本に帰らなくてはならなくなった私は、
ユーミンのCDを彼に預けました。
もう一度、戻って来られるように。
彼は今でもこの歌が嫌いです。
この歌い出しを聴くと、
私がいない不安で寂しかった日々を
思い出すから、だそうです。
でも、意地悪な私は時々彼の前で
この歌を聞いてしまいます。
寂しそうな彼の顔を見て、
愛してくれていることが実感出来るから。
人はそうそう変われない。
半身ではなくなったとは言え、
まだどこかで逃げ出しそうになる自分がいます。
その都度、彼のどっしりとした愛情に
連れ戻されているのに、
何をもがいているんだろうと自分で自分にあきれます。
だんだんと、逃げ出すことさえ忘れて、
最後にここで全身で彼に
相対することができるようになったときに、
彼に見守られて一生が終われれば良いなぁ、
とこの頃思います。

(遠き細き道)

「どうして どうして僕たちは
 出逢ってしまったのだろう」
あまりに悲しい、魔法のフレーズからはじまる
この歌が恋歌になっているということから、
悲しい思い出を覚悟して読みました。

けれど、なんて素敵な予想外。
そして、思い出の背後に大きく流れるのは、
男女の恋を超えて、家族の愛の話。

そう、恋愛って、
概念としても、時間としても、
先へ先へと進めていくと、家族の話になる。
それが重くもあり、すばらしくもあり。

ちょっと違う話だけど、
結婚すると、相手の家族と、
いろんな意味で向き合うようになるから、
ものすごく発見があるんだよね。
相手の根っこが見えると同時に、
自分たちの未来もぼんやり浮かぶような。
あれは、恋だけじゃ経験できないことだなぁ。

大きく傷つき、
その大きな傷はどんな手段をもってしても
治ることなどないように思うことがあります。
実際、直すことがずっとできないケースもあるでしょう。
でも、(遠き細き道)さんのように
治ってゆくことだってもちろんあります。
とても優等生な言い方をするならば、
傷を治してくれるものは
やはりやさしさとよばれる種類のものだと思います。

全身でアプローチしてくる外国の彼と、
そのご家族のみなさんのことを、
とてもとても良い意味でぼくは、
「犬のような人たちだ」と思いました。
無邪気で無垢、
飾りけがなくて、素直で、明るくて、自然体で、
なんかもう、仔犬からあふれだしている
信頼と愛情のかたまりみたいなものが
(遠き細き道)さんを
わあっと包み込んでいるイメージがあります。
あ、そうか、
『やさしさに包まれたなら』もユーミンでしたね。

明るい方向に向かっていく投稿で、よかった。
いろいろあったけど、これからたくさん、おしあわせに!

「でも、意地悪な私は時々彼の前で
 この歌を聞いてしまいます。」
わあ、この「ちょっと意地悪」は、
ほんとうに愛されていることのゆたかさがうむ、
ふたりのあそびのようなことなのかな。
「まだどこかで逃げ出しそうになる自分」は、
彼の愛のエネルギーにもなっていそう。

そして自分の最後の瞬間を彼とともに、
という思いがあるというのも、素敵ですよね。
ずっとずっと先のことだと思うけれど、
そうなると、いいですね。

ところで「リフレインが叫んでる」の舞台は
三浦半島の葉山周辺だそうです。
あのへんをクルマで、というのは
ぼくの青春にはまったくない環境だったけど
(こどものころ逗子には海水浴に行ったけど)
なーんとなく疑似体験した気がしちゃってます。
免許も持ってないのに。
ユーミンってすごいなあ。

どぼぢでどぼぢで、
と、大ちゃんのような歌い出しで
当時リフレインしていた『リフレインが叫んでる』です。
大ちゃんとはつまり、
いなかっぺ大将大ちゃんだす。

京都で町内全員知り合いという
濃ゆい人間関係で育ったワタクシは、
東京に逃げるように出てきました。
そして、都会の友人のお宅におじゃまするたびに
驚いておりましたよ。
お父さんがお母さんを「君」と呼んでるよ!
お母さんがお父さんに敬語使ってるよ!
「ここはアメリカかいっ。
 なんつーアメリカナイズかいっ!」
マックいうてどんなオシャレディスコかと思ったら
マクドやったわい!

ご家族と会って、彼のことを好きになる。
これはほんとうにしあわせですね。
彼の人とのつきあい方の基本が
そこにあるんですもの。
それを垣間見たときに愛がやってくるなんて‥‥。

梅雨の季節ですが、
また水曜日に、変わらず、恋歌あります。
はぁぁー。
シナモンティー飲もうっと。
ではまた、ばにゃにゃい!

ごめん、スガノ、
「♪どぼぢでどぼぢで〜」という
リフレインが頭から離れないんだけど‥‥。

 

2013-06-15-SAT

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