『悪女』
 中島みゆき

 
1981年(昭和56年)

この疑似片思いも悪くない
と思っている自分がいます。
(かりん)

隠しておいた 言葉がほろり
こぼれてしまう『行かないで』

同窓会で彼は私の手を握り、
学生時代好きだったと告白してくれました。
その頃の私は、いずれ離婚しようと
秘かに決意していました。
男性に触れられることも数年ぶりです。
告白されて嬉しくないはずがありません。
その場では笑ってサラリとかわしたものの、
胸は高鳴っていました。

その後、何度か近況報告のような
メールをやり取りしました。
彼の家庭はとても円満のようで、
たまに綴られる私への想いは当然ながら全て過去形です。
それはむしろ彼の誠実な人柄を感じさせ、
好ましいものでした。

時が経ち、私は離婚をしました。
しばらくして彼にそのことを伝えました。
彼は驚き、温かく励ましてくれました。
そのメールを保護し、何度も何度も読み返す自分。
彼からの着信音を、
他のメールと違うメロディに設定する自分。
これって恋に限りなく近い感情だよねえ、と思う自分。

でももう1人の自分がそれを冷やかに見て否定します。

学生時代、私は彼の好意に薄々気づいていましたが、
それは私に対するというよりは
彼の理想のマドンナ的なものを
私に投影させているだけと感じていました。
今は思い出となって
ますます美化されているのかもしれません。
私の感情にしても、今の彼のことをよく知らず、
ただ少し優しくされたのが嬉しくて、
一人暮らしの寂しさと解放感から
恋に恋する乙女のように勝手に盛り上がっているだけです。
今の感情に任せて進み万が一成就したとしても、
きっとすぐお互いに幻滅するでしょう。
そもそも私は、奥さんを大切にしない男は大嫌いなのです。

彼からのメールにはできるだけあっさりと、
それでいて微かな好意は伝わるような文面を必死で考え、
素早く何気ない返信のようにしてみせる。
友人として、今のままの関係を続けていけるように。

さらにもう1人、この疑似片思いも
悪くないと思っている自分がいます。
恋愛とか結婚とかはもう面倒だけど、
ちょっとだけときめきや切なさを感じて
女性ホルモンが出れば、少しは綺麗になれるかも?

昔好きだったみゆきさんの歌を久しぶりに聴いて
彼を想い涙するのも、
涙にはストレス解消効果があるって言うし、
なんて考えてしまいます。

どの自分が本当なのか‥‥
どれも本当で、どれも嘘、なのかもしれません。

(かりん)

これまで、中島みゆきさんの曲は
この「恋歌くちずさみ委員会」に
たくさん登場しているのですけれど、
なぜか、一般によく知られるヒット曲よりも、
どちらかというと「隠れた名曲」的な選曲が多く、
この『悪女』もはじめての掲載となります。

といっても、
ちっとも「悪女」になりきれてない感じですが‥‥。
あ、違う、歌のなかの主人公も、
ちっとも「悪女」じゃないんだった。

恋に通じるような接点を無邪気に喜ぶ自分と、
それを客観的に見下ろすような自分。
いろんな自分がいろんな態度で
宙ぶらりんな関係を取り巻いているようですが、
最終的な落としどころがどうなるとしても、
はじまりは「無邪気なうれしさ」なんですよね。
ブレーキをかけるのは、速度が出ているからこそ。

きちんと客観的な理由付けをすればするほど、
「隠しておいた」ことばと気持ちが
ほろり、こぼれてしまうような気がします。

それにしても『悪女』は
ほんとうに「日本語が気持ちいい」歌だなあ。
ぜひ、みなさん、くちずさんでください。
ことばというよりも「言い回し」が
メロディーとぴったり合って、
まるで自分の思いのように、感じられますよ。

ほんとだ。
(かりん)さんはちっとも『悪女』じゃない。
そして名曲『悪女』のなかの女性も、
やっぱり『悪女』になれない女性でした。

「そもそも私は、
 奥さんを大切にしない男は大嫌いなのです。」
という矛盾をはらんだせつなさが、
じわりと胸に響きます。
たぶん、具体的にはなにも起きない恋なのでしょう。
彼の方だって、(かりん)さんのその誠実さに
好意を持っているのでしょうから。

でも、「好き」という事実だけは、
様々な事情を飛び越えて、しっかりと、ある。
すごく、ときめいている。
そのきらきらが、この投稿を
キュートなものにしているのだと思いました。

「どの自分が本当なのか‥‥
 どれも本当で、どれも嘘、なのかもしれません。」

最後のこの2行は、とても正直ですよね。
「最後数行でのどんでん返し」は
当コンテンツの名物ですが‥‥
あれですね、最後の最後に人は、
いちばん正直なことばを
ぽんと置きたくなるのかもしれませんね。

彼からの着信音を、
他のメールと違うメロディに設定。
メールにはできるだけあっさりと、
それでいて微かな好意は伝わるような文面を。
みゆきさんの歌を久しぶりに聴いて、
彼を想い涙。

‥‥(かりん)さん、もう、これって
「疑似片思い」じゃないと思う。
はっきり片思い。
学生時代に置いてきちゃったその気持ちが、
戻ってきたんだと思いました。

そして、片思いも、恋。ちゃんと恋。
成就させるつもりはない、
という分別があるからなおさら、
「悪女」になれたらどんなにラクかと、
あの歌の主人公の気持ちが、わかっちゃうんですね。

で。ぼくは思うんだけど、
「叶えてはいけないとわかっている片思い」
「叶わないとわかっている片思い」
「ぜったいに叶わない片思い」
どれも、いいですよ!
がんばるもん。
恋を成就させるエネルギーを、
「あの人にはずかしくないように生きていく」
ための力に変換できるもの。
悪くないです。

ところで「悪女」の別アレンジバージョンの入っている
アルバム「寒水魚」、名盤です。
「歌姫」なんて、もう‥‥。

若いときは「好き!」と思ったら
猛進してオッケーでしたけれども、
人間も熟してくると
「いま、私は、恋に恋しているのだ」
「彼は、私の、虚像を見ているにすぎないのだ」
なんて考えてしまって、
まぁそれが後で考えるとあたっていたりするので
困ってしまいますね。
人間は他の動物にくらべて前頭葉がひじょうに大きい。
だから、考えます。何のために生きるか。
それは、誰かを幸せにするためか?
飢えないためか? 何かを果たすのか?
きっと、自分が最後に「満足」と思えるように生きる、
ということなんだと、いまの私は考えます。
生きててよかったなぁと思える毎日だったら
そんなの、すっごくいいですよねー。
だからこそ、自分の取るべき道を
「むむ?」と考えてしまうのです。
しかし‥‥何が自分の「最後の満足」なのか。
私にはその答えが出ません。

そして、そのとおり、これははっきり片思いとして
やっていくのがいいですね。
(かりん)さんのおっしゃるとおり、悪くない。
いいです、片思い。
恋歌、みゆきさん、くちずさんでいきましょう。
『悪女』みたいなかわいげのある女性に
みんなでなっていけばいい。

土曜日も、もちろん
この「委員会」の更新がありますよ。
みなさんの投稿、お待ちしていまーす!

2013-03-13-WED

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