『LIFE』
 キマグレン

2008年(平成20年)

そこで見たのは、
まだほんの数ミリの
トクトクと動く心臓でした。
 (くりくり坊主の母)

ホントの自分
ガマンして伝わらなくて
君は誰の為に生きてるの?

ある晩、夫がトイレに行っている間に
携帯の着信がありました。

何気なく目にした画面には明らかに女性の名前が。
トイレから出てきた夫に、
「着信あったけど、誰から?」
と尋ねると、親しい男友達の名前が返ってきました。

一番信頼していた人に裏切られた衝撃は
想像以上のものでした。
それから何度も夫と話し合いました。
彼は心底反省して誠意を見せてくれました。
私も彼を好きな気持ちは変わらない、
でも彼を信じることがどうしてもできませんでした。

このまま一緒にいたら自分が壊れてしまう、
もう別れるしかない。
そう思い始めた頃、
お腹に赤ちゃんがいることが分かりました。

頭が混乱し、何がなんだか分からないまま、
夫に連れられて病院へ。

そこで見たのは、まだほんの数ミリの
トクトクと動く心臓でした。

「赤ちゃん、元気ですよ。」

その言葉に、何の混じり気もなく純粋に、
よかった、と涙が止まりませんでした。

病院の帰り道、
車の中でラジオから流れてきたのがこの歌でした。

ホントの自分 ガマンして伝わらなくて
君は誰の為に生きてるの?

私は夫が大好きで、
そして赤ちゃんが本当に本当に大切で。
その為に、もう一度、彼を信じることに決めました。

先日、夫と5ヶ月になる息子と3人で
こんぴらさんにお参りに行ってきました。
長い石段を登りながら、
ふと、こんなふうにこれからも3人で
てくてくと歩いていくんだなぁ、と
当たり前だけどあらためて思いました。

なんというタイミング!
故事ことわざに「子はかすがい」ってあるけれど、
ほんと、この世にやってきたばかりの
「くりくり坊主」くんが
ふたりをつなぎとめてくれたんですね。
別れちゃったあとにわかったのではなくて、
別れようとする直前にわかったということや、
この曲を聴いたのが
病院の帰り道にというのも奇跡的なタイミング。
しかも、ふつうだったら
(そんなことがあった後なら、なおさら)
カーラジオから流れる曲の歌詞が
すぅっと入ってくるって、
なかなかないように思います。

キマグレンってちゃんと聴いたことがないんですが
男の子のデュオなんですね。
スイミングスクールで出会った友達どうしで、
結成のきっかけが
「一緒に海の家、やらない?」
というようなことだったと知りました。
なんだかいいなあ!

私の知り合いの、80歳近くの
とてもなかのよいご夫婦に、
円満の秘訣を伺ったことがあります。

そうすると
「いやぁ、そんなに円満じゃないんですよ、
 わたしたちにもいろいろあったんでね」
というお答えでした。
でも、ふたりはとてもなかむつまじく
お互いこれ以上の相手はなかった、
という感じで暮らしているのです。

なんとなくその場が深刻になるのがいやで
「なにかこう、溝があるんですか?」
と訊いたら、
「とっても深〜い、谷がね」
と笑顔のお答えでした。

何十年もいっしょにいるということは
つるんとハッピーなことだけではない。
お子さんのことか、親のことか、お金のことか、
はたまた、やっぱり
だんなさんの女性関係かもしれないし、
おくさんの男性関係かもしれないし、
それはわかりませんが、
いろいろいろいろいろいろあるんでしょう。
家族ってそういうものなんですね。

さまざまなものから励みを与えられ、
赤ん坊につないでもらいながら
大波小波を乗り越えて、
自分たちの根や幹をつくりあげていく。

こんぴらさんのような長い階段を
てくてく着実にのぼっていって
最後はやっぱり、
強い友情でつながるといいなぁ。
ぎゅっとつないだ手を、離さないようにしながら。
投稿、ありがとうございました。

いつもと違う場所で、これを書いています。
仙台の親戚の家です。
布団を敷いてもらった部屋で深夜にひとり。

この家の、叔父さん夫婦にぼくは、
ちいさいころからとても可愛がってもらいました。
仲のいい夫婦です。
なのに、「昔からずっと仲がいいよね」とぼくが言えば、
「そんなことねぇ、いろいろあったんだからぁ」
「けんかばっかりだよぉ」
「布巾のたたみかたひとつで腹が立つ」
きまって口をそろえ、夫婦でかぶりをふります。

きょうはその叔父さん夫婦の子どもふたりが、
それぞれの子どもたちを連れてきました。
つまり、孫集合。
孫の中に生後数ヶ月の赤ちゃんがひとり。

その赤ちゃんの、デーンという感じが、もう、
たいへんすばらしかったのです。
なんでしょう、あれは‥‥
かわいいということはもちろんとして、
圧倒的な「かすがい力(りょく)」とでも言いますか、
バチーーンとみんなをいやおうなく束ねる存在感。
でもそれは当然、自由を奪うムードなんかではなく。
あの場で感じたあれは‥‥
互いを愉快に思いやるあの雰囲気‥‥
たのしくやっていくべ、という総体の明るさ‥‥
あれらはやっぱり、
「友情みたいな感じ」がいちばん近いのかもしれません。

火事でおうちが焼けちゃったり、
仕事がいろいろと変わったり、
その親戚家族の山や谷はほかにも知っていますが、
つくりあげられたこの幹の太さ、これはすごいなぁ‥‥。
‥‥と思っていたところで、
(くりくり坊主の母)さんの投稿を読みました。

手と手をはなさないよう階段をのぼっていく人たちが、
たくさんたくさん、いるのですね‥‥。
東北の、敷いてもらった布団の中で、
しずかに励まされた気持ちになりました。

自分に子どもができたとき、
それまで自分にあった価値観の
バランスがガラッと変わるというのではなくて、
まったく思いもしなかった
新しい価値観の柱が
にょきっと姿を現したように感じました。

つき合っていたふたりが
結婚していっしょに暮らし出すと、
かならず「こんな人だと思わなかった」と
感じる部分があるように、
自分が親になるということは
新しい「生活と人生の扉」を
自動的に開けることになるのだと思います。

ひょっとしたら、それによって、
さらに谷や溝が深まってしまう場合も
あるのかもしれませんが、
扉の向こうに新しい三人の暮らしが
広がっていて、よかったなと思いました。

みなさんの恋の思い出に
歌を添えて送ってください。
次回の更新は土曜日です。

2013-03-06-WED

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