『東京行進曲』
 佐藤千夜子

 
1929年(昭和4年)
 編集アルバム
 『昭和を飾った名歌手たち(1)
  東京行進曲』収録曲

私の祖父母は
恋愛結婚をしました。
 (海)

ひろい東京 恋ゆえ狭い
粋な浅草 忍び逢い

私の祖父母は、恋愛結婚をしました。
その時代、珍しかっただけではなく、
あまり世間的から良いと思われる
風習ではなかったのでしょう。
でも、私にとってその事実は、
きらきらと、格好良くみえました。

祖母が教えてくれた祖父のプロポーズの言葉は、
今の時代の日本人でも
なかなか言えるひとはいないんじゃないか、
と思うくらいのロマンチックな言葉でした。
子供心に、どきどきしましたし、
今でも思い出すだけでどきどきしちゃいます。

他愛ない口喧嘩は日常茶飯事でしたが、
祖父母のお互いへの行動は、言葉よりも饒舌で、
お互いを大事に思いやって、
いたわり愛しあっている事が感じられました。

祖母は歌うことが大好きで、子守唄代わりに、
あるいは家事をしながらの鼻歌として、
大正・昭和初期の歌謡曲をいろいろと歌っていました。
彼女がよく口ずさんでいた『東京行進曲』は、
その歌詞とメロディーのハイカラさが、
「恋愛結婚」という(当時の風習から鑑みるうえで)
大胆な事をした祖父母に似合ってるなあと
感じながら聴いていました。

祖父母はもうこの世にはいません。
私は、祖父母が築いたような、
他愛無い口喧嘩をしつつ、じゃれあいつつ、
お互いを愛し思いやる、
そんな夫婦の関係を夫と続けていきたいと思います。
二人みたいな、
大胆なハイカラさんにはなれないだろうけれど。

(海)

あけまして、おめでとうございます。
こんな素敵な投稿で
2013年をはじめてみたいと思います。

『東京行進曲』、資料によれば
発売は1929年。昭和4年。
いまから80年以上前の歌ですね。

そこに重なる、
おじいちゃんとおばあちゃんの「恋愛結婚」。
「きらきら」とイメージしていた
投稿者のとらえかたも含めて、
なんだか、いいなぁ、と思えます。

それにしても、子ども心にどきどきしたという
おじいちゃんのプロポーズのことば、
どういうものだったか知りたいなぁ。
あ、でも、どういうことばだったのかなと
想像しているほうがいいのかも?

あけまして、おめでとうございます。

行動が饒舌なんて
なんとすてきなことか。
そうです、言葉はいりません。
お互いを思いあうだけで、
行いはついてくるものですからね‥‥。

おふたりを見習って
しあわせににこやかに
すごしたいものです。

みなさま
今年もよろしくお願いいたします!

あけましておめでとうございます。
「結婚するその日まで、
 相手の顔も知らなかった」
というようなことや、
「小さな頃から、結婚する相手が
 決められていた」
というようなことが、あたりまえだった時代。
ひとくちでそれを否定するわけにもいかないでしょうが、
恋愛があたりまえの現代からすると
びっくりしちゃう時代に、
おじいさんとおばあさんは、
「つらぬきとおした」んですね。
もちろん祝福もあったろうけれど、
風当たりも、さぞや強かったでしょう。
それだけにふたりのむすびつきは
強いものだったのかもしれないですね。

(海)さん、そうそう!
「他愛無い口喧嘩をしつつ、じゃれあいつつ」
ことしも仲良く!

みなさまも、どうぞ本年も
恋歌くちずさみ委員会、よろしくお願いいたします。

いいなぁー、いいですねぇー、
ほんとにお正月にふさわしい、ハイカラな投稿でした。

ねえー、
その「プロポーズの言葉」、ぼくもすごく気になります。
どんなすてきなフレーズだったんだろう‥‥。

子どものころにね、考えましたぼくも。
自分は将来プロポーズというものをするのだろうか?
するのだとすればどんな言葉を告げるのだろうか?
それを考えるのはすこしばかり気が重いことであり、
もちろん大きな期待を含んだことでもあり‥‥。
で、実際はどうだったかというと、
まあ、なんだかむにゃむにゃと曖昧なもので。

‥‥と、ついつい、
私事を書いてしまうのがこのコンテンツ。
みなさんの投稿が、ゆさぶるのです、ぼくたちを。

2013年も、投稿をお待ちしています。
その思い出の側に忘れられない恋歌があったなら、
いっしょにここへ送ってください。

本年も「恋歌くちずさみ委員会」を
なにとぞよろしくお願いいたします。

2013-01-02-WED

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