『サイレント・イヴ』
 辛島美登里

 
1990年(平成2年)


「クリスマスイヴって
 予定空いてる?
 良かったらウチに
遊びに来ない?」  
(確かに恋だった)

いくつも愛を 重ねても 引きよせても
なぜ 大事な夜に あなたはいないの

16歳も歳の離れた彼との出会いは、
とある地方の小さな公立図書館でした。
季節は夏、高校入学後初めての夏休みのことでした。

人見知りが激しく「本が友達」という
厄介な性格をしていたため、
学校からそこそこ離れたその図書館は
同級生に会うこともなく、
秘密基地のようで、心のオアシスで、
安全地帯のような場所でした。

二階の窓際にある閲覧席の長テーブル。
そのいちばん右端がお気に入り。
まるで指定席のように陣取り、
夏休みの課題や読書に勤しむ毎日。

ある日、いつものように指定席へ向かうと
そこには既に見知らぬ男性が。
仕方なく違う場所に座ったものの、
どうにも落ち着かない。
毎日こなしていることを崩されたかのような感覚に、
いらだってきたりもして‥‥
その日はいつもより早めに、図書館を後にしました。

翌日、
図書館の開館と同時に指定席へ向かい、無事に確保。
その刹那、大量の資料や本を抱えた昨日の男性が
こちらへ向かってきました。
彼は「あっ」とした表情の直後、
バツが悪そうな笑顔を浮かべて、
「あーあ、お気に入りの場所、取られちゃったなぁ‥‥」
と話しかけてきました。そのまますっと近付いて来て、
「なら、少しでも居心地の似ている場所に‥‥」
と、目の前の席に座り、資料や本を読み始めたのです。
人見知りなこっちはもうパニック‥‥
いや、むしろ事件でした。

その次の日から、彼との指定席奪取合戦が始まりました。
ほぼ100%の確率で勝てましたが、
その場合、彼は必ず目の前の席に座るのです。
そんなことが幾日も続き、
次第に話を交わすようになり仲良くなっていきました。

短く爽やかに、
でもとってもおしゃれに切りそろえられた美しい黒髪。
本を捲るキレイで、男の人にしては細くて長い指。
何か難しい文章を読んでいる時は、
必ず眉間に皺を寄せるクセ。
丹精な顔立ちに、ノーブルな立ち振る舞い、
優しく温かみのある声‥‥
目の前に座っている彼は、
どんな物語に出てくる男性よりも魅力的でした。

彼のことを好きと気付くまでに、
そう時間は掛かりませんでした。
それから図書館は秘密基地でもなく、
心のオアシスでもなく、安全地帯でもなくなりました。
その代わり、彼との待ち合わせ場所で、
楽しくも静かに一緒に過ごす場所となりました。
どうやら彼は美術関係の研究(仕事)をしているらしく、
様々な美術の本を読んでいました。

季節も巡り、芸術の秋も真っ盛り。
彼は時折、美術館へ誘ってくれました。
「美しいものをみる時は、
 ひとりではなく誰かと一緒にみるモンなんだよ」
それが彼の口癖で、ジャンルを問わず
色々な美術・芸術作品を一緒に見て、説明をしてくれました。
何よりも「誰かと一緒」の「一緒」が
自分であることが嬉しくて嬉しくて。
彼のクルマの助手席が図書館の閲覧席に替わって、
指定席になりました。

さらに季節も巡り冬、街はクリスマスの装飾に溢れる時期。
短い冬休みに入ったものの、図書館は早々と年末休暇。
彼に会う口実もチャンスもぐっと減って、
毎日がなんとも手持ち無沙汰。
「彼と会えるのはもう来年かなぁ‥‥
  一緒にクリスマスとか過ごせたらなぁ‥‥」
なんて思っていたところに彼からメール。
タイミングの良さに嬉々として開いてみると、
「クリスマスイヴって予定空いてる?
 良かったらウチに遊びに来ない?」
との内容。
色々なことが頭を巡り、何だか急に体温が上がった錯覚が。
「クリスマスイヴに一緒に過ごすなんて、
 もう恋人以外の何者でもない!」
そう思いながらメールを目で追って読んでいくと、
最後にこんな一文が。
「実は結婚することになって、
 彼女を○○(僕の本名)に紹介したいんだ」

「なーんだ、そうか。そうだよね。16歳も年下の、
 ましてや同性の男の子なんかに恋心なんて抱かないよね」
いつもなら心の中でしか思わないようなことが、
言葉として口から発せられました。
「ごめんね、実は友達と予定を入れちゃたんだ、
 彼女さんと楽しく過ごして!」
やっとの思いで返信。
涙が出そうだけど、なぜか泣いたらいけないと思い
ガマンしていたところにまた返信が。
「そうか、わかった。それと、なんだかごめんな。」
たった一文のメールが彼から届きました。
と、次の瞬間、
今まで経験したことないくらい涙が溢れてきました。
僕に友達がいないことも、
ましてや友達と予定を入れて遊ぶようなことも
ないということを、彼が知らないはずがありません。
精一杯のウソを吐いている、と彼はすぐにわかったはずです。

クリスマスイヴ、
僕は自分の部屋で布団に包まり過ごしました。
そんな時、つけていたラジオから流れてきたのが
辛島美登里さんの「サイレント・イヴ」でした。

「いくつも愛を重ねても 引きよせても
 なぜ 大事な夜に あなたはいないの」

一緒に図書館や美術館で過ごし、
彼の好きなことを一生懸命調べて話題にして、
多くの時間を重ねて、会話を引き寄せてきたけれど、
大事な夜に彼は居ない。

それ以降、図書館にも行きづらくなって
彼と会うことはなくなりました。

きっと彼は、僕が恋心を抱いていることを
薄々わかっていたのかもしれません。

その表れがメール最後の「それと、なんだかごめんな。」
に込められていたと思います。
当時はひどい仕打ちをされたものだと思いました。
でも歳を経て、今ならわかることもたくさんあります。
いつから彼が僕の恋心に気付いていたかは、
今になってはわかりません。
しかし、早々に気付いていたならそれを受け入れ、
僕を傷つけまいとしてくれたことになります。
残酷と思えば残酷ですが、優しさと思えば優しさ。
僕はここ最近、やっと後者を選べるようになりました。

「サイレント・イヴ」を聞く度に、
当時の彼への思いと
自分の幼さ・拙さ、そして彼の優しさを思い出します。

(確かに恋だった)

ねえ? すばらしい投稿でしょう?
これは、ことしの8月上旬にいただいたメールでした。
委員会内で、「わ、名作!」と盛り上がり、
「クリスマス近くにぜひ掲載しよう」
と温存していた作品なのです。

大げさではなく、
質のいい短編小説を読ませていただいた気分。
アイロンをあてたような、きりっと爽やかな文体。

投稿者が男性であることを途中で知らされて
軽い驚きはありましたけれど、
もはや当コンテンツではそれも
まったくとくべつなことではなくなりました。
「人と人が出会い、心ひかれて、あきらめて、
 いまはやさしい気持ちで振り返ることができる‥‥」
そんな、ちいさいけれどきらりと光るクリスマスのお話。
「図書館」という場所が、またいいんですよねー。

山下の言うとおり、驚きはありましたが
とくべつなことではありません。
図書館から美術館へのエピソード、
ものがたりのようにきれいだなぁ、なんて
読ませていただいておりました。

それと、なんだかごめんな。

そのひと言に、彼のすべてが入っていますね。
強がっている自分としては
いちばん聞きたくない言葉かもしれない。
でも、
「よくわからないけど、
 思ってるすべてを口には出さないけど、
 あやまらなきゃいけない」
という、彼の素直なやさしさが封じ込められています。

私も、もう少し若い頃は
「なんか、ごめん」という人を
ずるいなと思ってたかもしれません。
いまなら、やさしさを感じられる。
そういう成長ができてよかったわぁ。

年の差が、ある恋にとっては
とてつもない障害となることもあるでしょう。
しかし、この恋にとっては
16歳という年の差が、
ふたりの関係を(そして思い出を)
きれいに押しとどめる役目を
果たしたのではないでしょうか。

読んで、しみじみと考えたのは、
性差よりも歳の差についてのことでした。

それも、長くこのコーナーを
続けてきたからかもしれませんね。
ひょっとしたら、
特別な境遇というのはあるけれども、
特別な恋というのはないのかもしれない。

彼の恋愛対象は女性だけれど、
「彼女」だけではうめられない
広い世界を、彼は持っていて、
(確かに恋だった)さんが、
その広い世界を唯一共有することができる
だいじなパートナーであったことは、
まちがいないと思います。
もしかしたら「きみが、女の子だったらな」と、
彼も、思ったことが、あったかもしれません。

彼は、そしてあの図書館や美術館、
クルマの助手席のすべての思い出は、
(確かに恋だった)さんにとって、
けっしてけがされることのないたからもの。
そして、いまの(確かに恋だった)さんをつくった
だいじな経験となっているわけで、
それって、サンタクロースからの
でっかいプレゼントだったのかもしれないですよ。
16歳(かな? 高校入学の年)の恋として、
こんなに上等なもの、聞いたことがないですもん!

みなさま、よい週末を、
そしてよいクリスマスを。

2012-12-22-SAT

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