『どこにいても』
 中島みゆき

 
1986年(昭和61年)
 シングル「見返り美人」B面

何度も何度も、
頭の中で告白のシーンを
シミュレーションしたけれど。
(投稿者・ひとり上手)

元気だと 噂 うれしかった
めげたと 噂 悲しかった
それだけでも それだけでも
迷惑と言われたら 終わりだけど

初めて好きになったのは、高校の同級生。
2人とも、あっちこっちの委員会でバリバリ働いて
ほぼ毎日生徒会室で顔を合わせた人。

好きな音楽なんかを話題に、初めてきちんと話して
こんなに気の合う人は初めてだぁ~と感動してから
それが恋だと気づき始めるまでにも、
それがまさしく恋だと認めてしまうまでにも、
長い長い時間が、あの頃の僕には必要でした。

駅のホームでも、街のコンビニでも、
背の高いなで肩の人に、通るはずのないあの人を疑って
何度心臓を走らせても、自分の恋を認められなかった。
友達として仲良くなりたいんだって思い込んだ。
今の関係を壊すわけにはいかないって思ってたから。

でも、文化祭前夜、準備に疲れて座り込むあの人と
翌日の成功を祈りあいながら、あの人の瞳の輝きに
どうしようもなくあの人を好きだとわかった時、
もう伝える覚悟はできたような気になっていました。

でも結局、あの人には思いを伝えられないまま、
僕たちは卒業してしまいました。

あの人のために生徒会室をいつもきれいにして、
自分の仕事を徹夜して片付けて、
さも暇を持て余すかのようにあの人の仕事を手伝って。
唯一直接してあげられたことは、最後の年、
あの人の誕生日にパウンドケーキを焼いてあげたこと。
それだって、鈍感なあの人なら気づかないって
自信があったからできたこと。

傍にいながら思いを伝えられずにいたのは辛かったし、
何度も何度も、頭の中で告白のシーンを
シミュレーションしたけれど、それでもやっぱり、
あの人にとって迷惑以外の何物でもないことだから、
できなかった。

僕が通っていたのは、男子校でしたから。

そういうわけで、恋=片思いだった当時の僕にとって、
中島みゆきさんは神のような存在でした。
そして最も思い入れを持って聴いていたのが、
渋い声で歌われる「どこにいても」だったのです。

卒業後何度か会う機会があるうちに、
なぜその人が好きだったのか
わからなくなってしまうくらい
すっかり冷めてしまった初恋の人への思いですが、
あの頃の自分を思い出しながら聴くのは、
当時オリジナルバージョンで聴いていた
「どこにいても」の、
『いまのきもち』収録新バージョン。
ほんとうに、今の心境にぴったりの曲調です。

(ひとり上手)

「とくべつな恋人になる」ことと
「だいじなともだちになる」ことって、
どっちがすてきなことだろう?
と、(ひとり上手)さんのメールを読んで
しばらく考えちゃいました。
(ひとり上手)さんは、
恋人になれないなら友達になる、
けれど恋人になりたい、
と思いつづけてきたんですよね。
ユーミンの「DANG DANG」
(♪彼女は知らないなら友達になるわ
 それしかあなたに会うチャンスはないもの)
とか、槇原敬之さんの「君の後ろ姿」
(♪失うことよりもたった一言で
 傷つけてしまうかもしれないのが
 ただ怖くて夢の中の君にさえ
 好きだとは言えずにいる)
とか、いろいろ思い浮かべながら。

人生長くってさ、恋人はいちどにひとりでさ、
でもともだちは大丈夫なんだからさ、
いちばんのともだちになればいいじゃん!
なんて思いつつ、
(ひとり上手)さんはもう
すっかり冷めちゃったんでしたね。
そういうこともある。

ところでメールに
「40代まであと20年弱の道のりを待つ僕ですが、
 さてさて、恋歌口ずさみ委員の皆さんに
 共感してもらえるかどうか・・・」
って添えられてました。
若いんですね! びっくり!
(共感した46歳)

あ、ほんとだ、お若い方なんですね。
でも、そう、
武井さんの言うように年代に関係なく
共感もできますし、
その悩ましさも理解できるつもりです。

「このまま友だちでいるか」
「リスクを承知で告白するか」
むずかしい選択です。
考えても考えても答えが出ない。
よし! と思った決心がすぐにひるがえる。
いや、でも、やっぱりと考え直す。
考えが巡る巡る青春時代。
そんな想いを抱え込みながらの
文化祭の準備という場面描写に胸があつくなります。
「文化祭前夜、準備に疲れて座り込むあの人」
という一文に、なぜだか感動しちゃいました。
一所懸命なんですよねぇ。
がむしゃらに、
いまできることを精一杯っていうのは、
恋でもなんでもやっぱりいいもんだなぁと思いました。
すばらしいぞ、青春!

生徒会や文化会の放課後の活動って
すごく楽しかったですね。
夢中になって作業して、
校舎の窓から見える夕焼けを
いっしょの係の子と眺めて。
「この人、飾り気なくていいなー」
なんて思ったりしましたが、
なぜか友達願望が強かったわたくし、
そこから一歩を踏み出すことは
ございませんでした。
おそらく、関係が壊れてしまうおそろしさから
逃げていたのではないかと思います。

「どこにいても」は
思いを募らせるだけのつらさ、
街で似た人を見るとどっきりしてしまう感じが
おだやかなメロディーのせられていて
切実なのにふんふんくちずさんでしまいますね。
いい歌だ!!

もう、この連載をはじめてから長いので、
コメントする自分の傾向というか、
性質のようなものがわかってくるんですが、
どうやらぼくは投稿された「恋そのもの」よりも
その人の「恋の表現」に
心を動かされることが多いようです。
(山下も、わりとそうかも)

読んで、なんてきれいな投稿だろうと思いました。
とりわけ、自分の恋を恋だと認めるまでの、
自分の思いに耽溺しきらない、
恋と距離感を保つような描写に、
静かな感動を覚えました。
こういう表現をする人は、
こういう恋をするに違いない、という、
ぴったりと腑に落ちる感覚がありました。

そうして、その表現を通して、
当時の感覚が肌を通すように伝わるからこそ、
その恋に「切ないなあ」と共感することができます。
ほんとに、何度も、何度も、
シミュレーションしたんだろうなあ、と。

その立場を完全に想像できているかどうか
わからないのですが、
「かなわないだろうなあ」という
諦観の次元のようなものが
はっきりとひとつ異なるのでしょうね。

で、もうひとつ想像ですけれど、
そういうときに、
「歌」があるというのは、
きっと、救われるのではないでしょうか。

みなさまの、
恋の思い出と、まつわる歌のこと、
まだまだお待ちしています。
どうぞよろしくお願いします。

 

2012-05-16-WED

最新のページへ
感想をおくる ツイートする ほぼ日ホームへ
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN