ある年の4月の末、金沢に帰省中のこと。
実家にて地元の新聞をぱらぱらとめくっていると、
巨大な埴輪が一面を大きく飾っていました。
キャッチコピーには
『「中能登」という能登もよいなぁ‥‥』
中能登って聞き慣れない地名‥‥
そして、こんな武人埴輪が?
巨大古墳でもあるのか?
ともかくそれは観に行かねば!




 
さっそく翌日
春雨がしとしと降る中、金沢を出発。

内灘から「のと里山海道」という
道路に入り
上棚矢駄(うわだなやだ)で降り、
出発から約1時間で
中能登町にやって来ました。

まだ八重桜が咲いていますね。

中能登町の場所。
 

どうも!
わたくしは
二代目スソさんのかばんの中の土人形、
ミミズク土偶の健太郎、
通称、ミミケンともうします。
そろそろこの自己紹介もなく、
「ミミケンです!」というところから
初めてまいりたいと思いますが、
みこちゃんほどわたくしの存在は
みなさまに浸透していませんよね。
(ぐっすん。)

いや、落ち込んでる場合ではございません。
中能登町の場所でございます。
能登半島はみなさまお分かりですか?
あの半島のほぼ中央部にありまして、
いまから10年ほど前に
鳥屋町、鹿島町、鹿西町 が合併して
中能登町となったのでございます。

ミミケンはスソさんの
かばんの中ではありますが、
いろいろなところに旅行ができて、
土偶としては幸せな部類でございます。
贅沢をもうしますと、
スソさん、海外旅行とかいかないですかね。
ミミケン、おともします!





 
古墳群
そうです、
この周辺には
雨の宮(あめのみや)古墳群が
あるのです。

昨日見た新聞の埴輪は
どうもここにあるらしいのです。

そうかー、
この古墳群には古墳が36基も!

中央に大きな古墳が2基!
わくわくしますねー!

燃え上がるスソさん。
 
スソさんは看板をみて、
めらめらっと燃えています。
こんなに古墳にあふれた場所ですから、
それも当然のことなのでございます。
「雨の宮(あめのみや)古墳群」という名前が
なんだかとてもうつくしくて
ミミにやさしい感じがいたします。
ちなみに、ミミケンのミミは
ミミズクのミミ。




 
手書き地図
見学の前にトイレに寄ろうと歩き出すと
こんな看板が立っていました。

1周40分?
さっきの地図よりも
ざっくりした感じを受けるのは
子ども向けの看板なのかな~


 
雨の宮能登王墓の館
能登王墓の館?
資料館っぽいですね。
現地へ向かう前に、
中を見ることにしましょう。

資料館には必ず。
 
メインはもちろん古墳ですが、
そのそばに資料館らしきものがあれば、
スソさんは必ず立ち寄ります。
そして、古墳めぐりというものは、
かなり歩くのが普通です。
古墳は駅から遠い場合が多いし、
公園などの中にあったりもしますから、
辿り着くまでにかなり距離があったりします。
そして、資料館でも展示物をみるのに
いったりきたりします。
みなさんも、古墳をみてみたいなと思った時は
歩きやすい靴がとても重要とスソさんは言います。
ミミケンはかばんの中なので、
あるかないのでスニーカーは履かず、
人間でいうところの裸足なのでございます。




 
展示室へ入ろうとしたら...
館長さんらしき職員のかたから
声をかけられました。

「まず、
 廊下の奥のビデオを見てください!」

「はい!」

解説が始まります。

ミミケンが
ビデオの内容を
ざっくり説明します。
 

これぞ、ミミケンのしごとでございます。
かばんのなかで
心のメモ帳にメモをしていましたので、
覚えてるかぎりのことを
はりきってご説明いたしましょう。
うおっほん。
「雨の宮古墳群」は、
標高188メートルの眉丈山(びじょうざん)の
山頂を中心に造られた古墳でございます。
4世紀の中頃から5世紀の初めにかけて
造られました。
ちなみに、36基の古墳で構成されています。
(古墳は1基、2基と数えます)
そのうち1号墳は、金沢県内でも最大規模で、
長さが64メートルもある前方後円墳。
ちなみに、国内最大の仁徳天皇陵は、
長さ486mもございまして、
それに比べると、ではありますが‥‥。
ミミケンは微妙に一言おおいですか?







 
ビデオ終了
テレビの横の壁には
いろいろな資料が貼られています。

新聞の切り抜きや、
国指定の史跡の一覧などなど。

ふーむと見ていると
さきほどの職員のかたがやってきて
詳しい解説が始まりました。

お話は15分を越え
なかなか終わりそうにありません。

えーと、そろそろ展示室に入りたいのですが!

まあまあ、スソさん!
 

スソさん、
まあまあ。

あわてない、あわてない。
スソさんはふだんはのんびりやさんなのに、
こと古墳となると、
こころがはやるのでございますね。







 
お許しいただきました!
展示室に入ると、
足元に真っ赤な埋葬部がありました。

これは、
1号墳にあった
粘土槨を復元したものです。

太刀や鏡、短甲、腕輪などがあって…

そして盗掘坑の跡が
残っていたということは、
他の豪華なものは
盗まれてしまったのかもしれません。

残念です。
 
盗掘というのは
仕方のないことなのかもしれませんが、
本当に残念なことですよね。
ミミケンは想像力をつかって、
埋葬されたときはこんな感じ、
と想像するのが大好きです。
本当は目をつぶって想像したいのですが、
なにせ土人形、まぶたが閉じないので、
目を見開いたまま想像します。




 
わっ!
これが実物の
粘土槨(ねんどかく)の写真ですね!

なかなか迫力ありますねー。

粘土槨
 
粘土槨については解説が必要でございますかな?
まず、古墳ができあがったら、
墳丘の上から掘られた土坑の内部の
粘土の床に木棺を安置。
そして、その木棺をまた粘土で覆って
埋め戻した埋葬施設のことをいうのでございます。




 
出土品
銅鏡やつぶれてしまっている短甲、
直刀、短剣、
石釧(腕輪)などが展示されています。

全部を泥棒に盗られなくてよかった!

あれ? 埴輪はないの?

逆に。
 
盗賊はなんで全部を盗まなかったのでしょうか。
暗すぎた? 手が届かない部分だった?
なんで何でございましょうかね。
ちょっと不思議に感じます。




 
航空写真
空から1号墳と2号古墳を見たら
こんな風に向き合っています。

ほんとに山のてっぺんに
造っちゃったんですね。

実測図はコピー用紙が貼ってあります!






 
あらためて
雨の宮古墳群は
羽咋市から七尾市にかけて斜めに伸びている
邑知地構帯(おうち・ちこうたい)をはさむ
北西側の
山地の一番高い尾根にあります。
(一枚目の地図は、
 中能登町のマップより転載しています)


地構帯とは?
 

ここもちょっと解説を
させていただきましょう。
地殻変動がおこったときに、
並行してはしる断層の間の部分が沈みこんで、
帯状の峡谷になっている
地形のことをいうのでございます。
世界で有名なものは
アフリカの東にございます
グレートリフトバレーでして、
なんと総延長は総延長は7,000km。
日本で有名なものは
「フォッサマグナ」ともうします。
こちらは、西日本と東日本の境目にございまよ。





 
さてさて

あれ? 気になる写真があります。

三角縁神獣鏡!

魏の皇帝から
卑弥呼が百枚もらったとか、
もらわなかったとか
言われている、
とにかく注目されている鏡です。

これがなんと能登にも?

この小田中新王塚とはどこなんでしょう?
なんで写真だけ?

崇神天皇の皇子の墓が
小田中新王塚だとされているって!

能登に天皇とつながる人がいたの?
そんな話、まったく知らなかったなー!

この古墳は、すぐ近くにあるそうです。
あとで行ってみることにしましょう。

でも、まずは雨の宮古墳群を見なきゃ!
外に出ましょう!

次回も中能登で。
 

次回はいよいよスソさんが、
古墳群を歩きます。
古墳三原色、
茶・灰・緑の風景を
ごらんいただけますかどうか!
おたのしみに!


 
2015-09-06-SUN
 
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