秋です。秋の恒例行事、福岡県京都郡みやこ町の古墳フォーラムが
今年も開催されることになりました。(2012年のことです)
そして、なんとまたご招待いただいたのです。
九州へ行くなら、今まで見ることができなかったあれやこれも…
また欲張りな旅になりそうです。






 
初めて
九州へ出発する前夜、
表彰状を制作しております。

みやこ町で、モノづくり体験教室の
審査委員に任命され、
手作りの賞状を依頼されたのです。

受け取った人が喜んでくれるかどうか
とっても心配!

スソさんのイラスト!
 
わぁ! スソさんのイラストよ!
古墳のお話ばっかりしてるけど、
ほんとうはスソさんって、
すばらしい帽子作家さんなの。
そして、味わい深い絵を描く
イラストレーターでもあるのよ。
かっこいいスソさん!

あ、こんにちは、
ハニワのみこちゃんです。
今回からはじまった北九州編も、
みこちゃんはスソさんのかばんに
こっそり入ってお供しますー。


 
快晴
飛行機で福岡に到着しました。

空港から地下鉄に乗り、西新駅で降りて
北側の海のほうへ向かって歩いています。

目的は、福岡市博物館。

りっぱな博物館!
 
「福岡市博物館」のウェブサイト
ぜひぜひ訪れてください。
見るものが、たーくさんありそうな
博物館でしょーー?






 
中に入りました
ロビーの横に、
かわいいものが並んでいます。

昔の子どもの玩具は
木製に手描きの絵で味わいがあります。
今も作られているといいな~。


 
2階に行きます
福岡市の博物館のフロアがあります。

ガイコツが笑顔でお出迎えしてくれました。

おおー。
 
古墳の中で、お見かけしたことのある、
あなたがたはガイコツですね。

左のガイコツ「よくきたなー!」
右のガイコツ「カタカタカタ(←笑ってる)」
左のガイコツ「ま、ゆっくりしていけ」
右のガイコツ「おもてなしは、しないけどな!」
二人のガイコツ「カタカタカタカタ!」




 
ひゃー
なになに!
貝の顔だ!
貝面だって~~。

左は韓国の貝塚から、
右は熊本の貝塚から出たもの(複製)。

そうか、朝鮮半島との交流が縄文時代に
あったということですね。

貝面で遊ぼうっと!
 
左の貝面「ぽかーーん」
右の貝面「おい、ぽかーんとしてる場合じゃないよ」
左の貝面「ぽかーん」
右の貝面「だーかーらー、お客さんだってばよ」
左の貝面「ぽかーん」
右の貝面「おい、ぽかーんとしてる場合じゃないよ」
左の貝面「ぽかーん」
右の貝面「だーかーらー、お客さんだってばよ」
    (以下くり返し)




 
土器
これが遠賀川式土器!

遠賀川土器は、
弥生時代前期に使われた土器で
初期の水田稲作とともに
九州から各地へ分布していったのです。

稲作の広がりがわかる目安となる土器として
重要なのです。

遠賀川
 
遠賀川は、福岡県の馬見山から
筑豊を流れて響灘に注いでいる1級河川よ。
その川底から、
大量の遠賀川土器が発見されているの。


 
すてき!
上のほうだけ赤いストライプ!

おしゃれ!

ストライプは時代を超えた意匠だ!




 
魚穫り
古代の錘(おもり)を
ときどき博物館で見かけるけど
針とこうやって結びつけてるって、
これでわかった!

石に紐の溝をいれているのは
紐を安定させるために必要だったのかも。
なるほどー。




 
木製品
最近は木製品も
多く見つかるようになったみたい。
(普通は、酸性雨のために溶けて
 ぼろぼろになってしまうから残りにくい)

固い栗の木なんかを器用に加工して
いろんな形を造っています。
今も使えそうなぐらい!

あっ、指先とか手が「きよう」を
「器用」って書くのは
器がうまく作れるってことなのかな!






 
ほーー
石を加工して道具が出来るまでの
過程を紹介しています。

磨製石斧と石包丁。

石包丁は稲刈りにとっても重要な道具です。
ハンディータイプの稲刈り機かな。

今山遺跡は石の要所だったのですか!

北九州に人が集まってきた
重要なポイントでもあったのかも!!

今山遺跡
 
スソさんがノッてるわ!
次々と展示を見ては推理をたのしんでいる!

みこちゃんは「今山遺跡」の解説をがんばる!

「今山遺跡」は、
福岡県西区横浜にある
標高80mの今山にある遺跡のことよ。
今津湾に面して、
南北にふたつ頂があったんだけど、
北は宅地化で消失してしまいました。
南に、熊野神社があるの。






 
あらら?
古墳時代の匂いがする!

りっぱな副葬品がずらりと並んでます。
銅戈と銅矛、鏡、勾玉‥‥
かなり位の高い人の埋葬品って感じです。

ヒスイの勾玉! いいなー。

吉武高木遺跡(よしたけたかぎいせき)?
はじめて見る名前だよ。

ほんとだわ!
 
古墳の匂いがする!
ああ‥‥なつかしいわぁ‥‥。




 
なんと!
すごい!
こういう甕棺墓のお墓ってことは、弥生時代!?

そうかー、吉武高木遺跡は弥生時代なんだ!

ということは‥‥
この豪華な副葬品から考えると、
東の奴国、西の伊都国に挟まれたところにも
クニがあったということになるのかな~???

知らなかったー。
いや! これは、新しい課題だ!

情報整理を
 
スソさん、すっかり興奮しています。
ここで、情報の整理をするのがいいかも。

「吉武高木遺跡(よしたけたかぎいせき)」は、
福岡市の早良平野の室見川中流、
左岸にある遺跡のことよ。
弥生時代前期末から中期初頭の遺跡なの。
甕棺墓や木棺墓から
銅剣、銅戈、銅矛や多鈕細文鏡、
玉類が多数出土しているんですって。
大型建物の柱跡が発見されたことで、
周辺の遺跡とあわせて、
紀元前2世紀頃のクニを知る手がかりとなる、
重要な遺跡のひとつとされているのよぉ。

そして、
「多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)」。
=鏡の裏に紐を通す部分
「鈕(ちゅう)」が複数ついていて、
細い幾何学模様が施された鏡よ。
韓国半島系のものなんですって。








 
そうそう
ここらで
ちょっと地図をみておこう!

あった! 室見川と吉武遺跡群。

前に行った伊都国の平原遺跡や
三雲・井原遺跡の山を挟んで
東側に位置しているのかー‥‥。

那珂川の奴国の遺跡群とは
だいぶ離れているなー‥‥。

それにしても遺跡が多いわ~!
やっぱり川のあることろに遺跡あり!

伊都国、壱岐島編
 
スソさんが伊都国に行ったひとり古墳部は
こちらからご覧くださいー。






 
さてさて
今日の目的はこれこれ!
志賀島でみつかった
金印の本物を見たかったのです。

わーーー、小さい!

そしてうまく撮れてない!
ごめんなさいーー。
実物は肉眼で、観にいってくださいね!

蛇の飾りのついた金のハンコです。
穴のところに紫の紐を結んでいたということです。

ハンコ部分に
「漢委奴国王」という5文字が刻まれています。

『後漢書』に
「建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫
 倭國之極南界也 光武賜以印綬」
と記されています。
略して訳すると、
「後漢の光武帝が57年に
 倭の奴国王に金印を下賜された」となります。

それが、コレなのか?! どうなんだろう?
倭が委になったのは間違えた? 略した?
謎です。
その出来事から、
もう2000年近くも経っているんですから!

博物館の、金印の画像と解説はこちら。

ひとり古墳部 志賀島の回はこちら。

今回はここまでー
 
わー、やっと金印が見られたわ!
小さかったけど、存在感がすごいの。
金の魔力? 歴史の重み?

福岡市博物館には
他にも面白いものがたくさんあるの!
そして次回は、唐津へも。
続きをおたのしみにー。

 
2015-04-26-SUN
 
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