9、北部九州最大最古の前方後円墳

東京の書店で、みやこ町のことを調べているときに
ふと目についた本がありました。

京都郡苅田町(かんだまち)にある
前方後円墳のことが書かれていました。

「午後はその古墳へ行ってみる予定です」
と川本さんに言ったところ、
「もう少し時間があるので車で送りますよ」
ということになりました。






 
みやこ町最後の古墳見学
みやこ町を離れる前に
この地方では珍しい装飾古墳
”呰見大塚古墳(あざみおおつかこふん)”
のそばを走ってもらいました。

今はブルーシートに囲まれています。

高速道路にぶつかる計画があったのを
なんとか保存されることになり、
迂回する道路工事が終わるまで
シートに覆われているそうです。

呰見大塚古墳
 
呰見大塚古墳は、直径約25mの円墳。
石室の壁には、赤色顔料で
同心円や三角文、×印文などの
模様が描かれているのよ。

‥‥高速道路さん、
迂回をしてくれてありがとう。






 
古墳到着
古墳じゃなくて神社?

お目当ての前方後円墳の墳丘には
浮殿神社(うきどのじんじゃ)が建っているのです。

神社あるところに
 
もう、4年近くも前のことです。
(とはいえその年月、
 私たち埴輪にとっては
 刹那に短い時ではあるけれど)
「ひとり古墳部」のプロローグで、
スソさんはこんなことを話しているのよ。

「神社が目印になることもあります。
 いい場所だから、神聖な土地として
 守られることも多くなりますよね。
 そういうエリアには神社ができるんです。
 だから神社がある場所には、
 古墳がある確率が高いと私は思ってます。」

このプロローグ
未読の方は、ぜひーー。






 
古墳のおもかげ
これを、北部九州最大最古の前方後円墳
”石塚山古墳”
と知っている人は
少ないのかもしれません。

この境内が前方部です。

石塚山古墳
 
3世紀末頃に築成された古墳なの。
全長なんと、約130m。
竪穴式石槨からは、十数枚の
三角縁神獣鏡などが出土しているのよ。

奈良の箸墓古墳などに次ぐ規模と、
出土品などから
ヤマト政権との関わりなどを考察する意味で
注目される重要な古墳なのっ!

なのにこんなに、古墳に見えない‥‥。






 
古墳らしさを探す
わずかに斜めになっているのがわかります。
(前方部から後円部を見ているつもり)

墳丘の今の高さはこれくらい。

古墳の土は‥‥
 
昭和13年に苅田港を大きくするにあたって
苅田町の古墳の多くの土が使われ
消滅しました。
石塚山古墳も墳丘の多くを
削り取られたそうです。

そんな場所で
一所懸命に古墳らしさを探してくれる
スソさんのことを、
みこちゃんは‥‥
たまらなく愛おしく思うの!


 
社殿の向こう側が後円部
社殿が建っています。
この裏に後円部があって
竪穴式の石槨が2つみつかっていますが
今は見学することができません。

出土品は、鏡以外にも
琥珀の勾玉、管玉、武具、多量の鉄鏃があり
宇原神社と苅田町歴史資料館で
見ることができるそうです。


 
歴史資料館へ
古墳を降り、
町役場の駐車場の脇を通ってゆくと
歴史資料館がありました。








 
展示品を見学
大きな部屋にガラスの棚が並んでいます。

旧石器時代のナウマン象の歯から見て
縄文、弥生時代へ。

これも名物
 
歴史資料館の、展示物。
これも「ひとり古墳部」の
名物のひとつと言えるでしょう。

化石、石器、土器、装身具‥‥。

ああ‥‥
こころ休まる写真の連なり‥‥。






 
古墳時代
子持ちの須恵器、
瀬戸内文化の特徴的なものです。

線刻の入った人物埴輪や
豪華な装身具類もあります。






 
松山城の記録
あ〜!

昨日空港からバスに乗っていたときに
写真を撮っていた小山は古墳ではなくて
松山城の跡だったんだ!

海に突き出た山にお城を造っていたんだ!

「小山」
 
スソさんが言っている「小山」というのは、
この「みやこ町編」の第1回に、
ちらっと出てくるのよ。
よかったら振り返って読んでみてね。






 
面白そうな祭り
白山多賀神社(等覚寺ーとかくじ)で
毎年四月の第三日曜日に行われる
松会(まつえ)と呼ばれる修験道の祭り。

締めくくりに山伏が松柱の上で
刀で弊を切って(弊切り)
収穫を占うらしいのです。

これは是非見てみたいなー。

みこちゃんも!
 
切られた弊は
種籾の上に落ち(神の御霊が宿る)、
その籾を持ち帰って
各家の種籾に混ぜると豊作になる
というお話もあるんですって。

みこちゃんも見てみたい!


 
苅田町ガイドブック
現在の展示では
石塚山古墳の解説は、
レプリカと写真だけでした。

三角縁神獣鏡の実物や装身具など、
いつか見てみたいものです。




 
行橋市の歴史
川本さんは仕事に戻る時間になりました。

「行橋市歴史資料館」の建物の前まで
送っていただきました。

特別展開催中のようです。

川本さん
 
ありがとうございました、川本さん。
スソさんに親切にしてくださって、
ありがとうございました、川本さん。
ハニワは何にも言えないけれど、
感謝のきもちでいっぱいです。




 
下稗田村遺跡
あ、これってみやこ町の
勝山コースで歩いた場所のすぐ近くです。

庄屋塚古墳から東に見えそうな丘陵地ですね。

近いけど行橋市側なんですね。

下稗田村遺跡
 
下稗田村遺跡は、
「しもひえだむらいせき」と読むのよ。
弥生から古墳時代にわたる遺跡なの。














 
出土品
弥生時代前期からはじまった高台の集落で
米、海産物や猪・鹿を食べ、
材木の伐採をし、
集落が大きくなっていく様子がわかります。

お米を収穫する道具の石包丁と
材木を伐採する道具の蛤刃石斧の
石の流通が詳しく調べられています。

ムラのなりわいが何かっていうことを
探るてがかりにもなるんですねー。

それにしても
アワビの石包丁ってすごく豪華な道具です!








 
美しい!
下稗田村遺跡と
すこし北の長尾遺跡の土器ですが、
貝殻を押して繊細に模様をつけています。

強い地域性があるそうですが
初めて見ました。

なんて上品な文様!
これはすばらしいー!

美しい!
 
ほんとうに美しい!
「ひとり古墳部」名物の、
展示品が続いています。
うっとり‥‥。






 
歩いて駅に向かいます
展示品をゆっくり観て、
今日の見学を終えました。

古代の苅田町と行橋市とみやこ町は
地形や文化圏としてまとまっているようなので
合同の展示があったらもっと
わかりやすいのになー
と思いました。

20分ぐらい歩いて
行橋駅が見えてきました。

あれ! あれは昨日来た食堂だ!

昨晩はホテルからぶらぶら歩いて来て
ここで長崎チャンポンを食べたのです。






 
昼抜きでした!
もう3時ぐらい?
死にそうにおなかがすいています。

オムライスをいただきます!


 
博多へ戻ります。
満腹で行橋駅に到着しました。
今日は博多に泊まります。

博多での古墳部が続きます。

ひと区切りです
 
博多での「ひとり古墳部」は続きますが、
「福岡県京都群みやこ町編」は、
今回で終了となります(今度はほんとに)。
たっぷりと、濃ゆい、シリーズでした。

次シリーズも、
スソさんの思い入れたっぷりで!
またお会いしましょうねー!!

 
2012-07-29-SUN
 
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