ひびのこづえさんと ものづくりのはなしを。   2001年の冬、当時まだどこにもなかった 「おしゃれなハラマキ」を ほぼ日がつくりはじめてから10年。 節目となるこの年に、 ひびのこづえさんにデザインをお願いできたことは、 ほぼ日のハラマキチームにとって おおきな経験とうれしさになりました。 ハラマキの制作を振り返りながら、 「ものづくり」のおはなしをあらためて ひびのこづえさんからうかがいます。 聞き手は、ほぼ日ハラマキの提案者・糸井重里。 ほぼ日ハラマキの担当者・ゆーないとも同席です。ひびのこづえさんと ものづくりのはなしを。   2001年の冬、当時まだどこにもなかった 「おしゃれなハラマキ」を ほぼ日がつくりはじめてから10年。 節目となるこの年に、 ひびのこづえさんにデザインをお願いできたことは、 ほぼ日のハラマキチームにとって おおきな経験とうれしさになりました。 ハラマキの制作を振り返りながら、 「ものづくり」のおはなしをあらためて ひびのこづえさんからうかがいます。 聞き手は、ほぼ日ハラマキの提案者・糸井重里。 ほぼ日ハラマキの担当者・ゆーないとも同席です。
 



ひびの ものをつくるときにはいつもそうなんですけど、
ほんとに、
自分の原画の通りになる必要はないんですよ。
意外性があったほうが、おもしろいので。
ゆーないと そのおはなしが、
今回とても勉強になりました。
糸井 刺激になった。
ゆーないと なった。
なりました。
ひびの 今回は、ほぼ日さんに、すごくいい感じで、
つないでくださったというか。
ゆーないと そ、そうでしたか。
糸井 よかったじゃない、ほめられて。
ゆーないと よかったぁ‥‥。
糸井 あいだにこういう曖昧な人をはさんだのが
コミュニケーションをよくしたんでしょうね、
このケースでは。
ひびの (笑)そうかもしれません。
糸井 つまり、
「だまされたと思ってやってみてください」
っていうのと、
「理屈から考えて、できるよね?」
のちがいなわけです。
ひびの (笑)
糸井 これ、意志はどちらも同じですものね。
ひびの そうです。
糸井 なんて言うんだろう‥‥
「ただ再現する」ことなんかは
作り手は望んでいないわけですから。
製品にするっていうのは、
それ自体が「画材」みたいなものですよね。
ひびの そう、ほんとにそうですね。
ゆーないと ああー(すごく勉強になっているため息)。
ひびの それに、基本的にわたし、
自分の絵が好きじゃないんです。
ゆーないと え、そうなんですか。
糸井 それはおもしろいですね。
ひびの だから、絵としてそのまま人に見せることは、
ずっと拒否し続けてます。
糸井 言われてみれば、そうですね。
ひびの 製品というのは、完成に近づくほど
もとの絵から離れていくものですよね。
ハンカチなんかはけっこうそのままですけど、
それでもやっぱり布なので透けていたりで、
原画からは離れているんです。
私の場合は、
そうやって「離れていくこと」がたのしくて、
ものづくりをしている感じがありますね。
糸井 うん。
ひびの 自分の絵をあんまり大切に扱ってほしくない、
みたいなところがあるんです。
糸井 じゃあ、まさしく今回の、
ドット絵に直されるっていうのは、
うれしいんでしょうね。
ひびの ええ(笑)。
糸井 そうかぁ、ひびのさんは、
「離れていくこと」がたのしくてものづくりを。
なるほどねぇ‥‥。
ひびの 糸井さんは?
糸井 ああ、ぼくですか。
ぼくは‥‥さっき、ひびのさんが、
「自分で描いた方が楽しい」
とおっしゃいましたけど、
ぼくもそれに近いんです。
最近は、現場仕事がたのしくてしょうがない。
ひびの 現場仕事。
糸井 ここ何日かのあいだに、
「おれが書くわ」っていう仕事が
いくつか続いたんですよ。
コピーライターとして企業からの仕事は
もう受けてないんですけど‥‥
ひびの ええ。
糸井 知り合いから頼まれたんです。
「やってもらえる?」って言われたら、
「やりたい!」って思った。
もうね、頼まれた途端から、
うれしくて、うれしくて、
すぐにアイデアを考えはじめてる。
ひびの へぇー。
糸井 仕事っていうより、
友だちと野球で遊んでるような感覚なんです。
それがまた、
遊びの草野球なのに、
やたらとスイングがいいんですよ。
へたするとプロでやってるときより
スイングがいい。
ひびの それは、なぜなんですか?
糸井 なぜだろう‥‥。
答えたいですね‥‥なぜだろう。
‥‥うん、そうだ。
誰もジャッジができないんです。
つまり、
いいだの悪いだのって
誰かが言うものじゃない。
自分が決めるしかない。
ひびの はい、はい。
糸井 自分が「いんじゃなーい?」と問いかけると、
もうひとりの自分が
書いた途端に「オッケーだよ」って言うんですよ。
ひびの でも、知り合いとか友情とかが絡むと、
逆にやりにくくはないですか?
糸井 ということも思ったんですけど、
ぜんぜん心配なかった。
もう、「でっきる、できる!」みたいな感じで
どんどん思いつくし、
自分がつくるものが、ぴちぴちしてるんですよ。
ひびの へええー。
糸井 いやぁ、だから、
職人仕事は取り戻してくれるなぁーって。
ひびの なるほど。
糸井 いったん細かい絵を描きはじめちゃったら、
自分自身に従って
ぜんぶ描き切らずにはいられないのと同じで。
ひびの ええ。
糸井 コンセプトだの何だのっていうのを
言っている自分じゃない自分が、
もう1回、グイッと起ち上がってくるんです。
ひびの ああ、すごくよくわかりました。
まるごとの自分がやっている、
そのときの快感っていうことですね。
糸井 そうですね、そうです。
ひびの うん。
糸井 はじまりは、
矢野顕子さんとの作詞だったんです。
あっこちゃんが
「こんなのできたんだけど」
ってつくりかけのを送ってきちゃったんですよ。
『気仙沼においでよ』っていう歌を。
ひびの ああ。
糸井 曲があって、詞も半分できてました。
それが、
「あと何とかしてくれる?」
って投げられてきて。
ひびの いいですね(笑)。
糸井 「やらせてほしい」
という気持ちに素直になれたんです。
で、つくりはじめたら、
なんかもう、
現場仕事がどんどんたのしくなっちゃって。
そこに和田誠さんがやってきて‥‥。
ひびの え?
糸井 いっしょにポスターをつくることになったんです。
和田さんが来てくれたことも
なんかうれしくてしょうがないんですよ。
そのうちに今度は、
永ちゃん(矢沢永吉さん)の40周年で、
「糸井さん、頼めますかね」
みたいなのがあって。
ひびの へぇー。
糸井 あっこちゃんにしても、
和田さんにしても、永ちゃんにしても、
よく知っている人が
どういうことをよろこぶかは、
自分の感覚が知ってるじゃないですか。
ひびの ああ、そうですね。
糸井 理屈じゃなくて、手が動いちゃう感じ。
だから、
ひびのさんの原画を見たときに、
「そう、こういうことがしたかったんだ」
って強く感じたんですよ。
これはまさしく、
理屈じゃない手が描いたものですよね。
  (つづきます)


2011-11-14-MON