KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(6月20日)

小学1年生の頃、
 なぜだか無性に新聞配達に憧れて
 いてもたってもいられなくて、
 家にあった古新聞をキレイにたたんで小脇にかかえ、
 隣の家の新聞受けに入れました・・・。

 (shu)

小学生の頃の私は、なぜか「味の素」にハマって、
 母が買い物で留守にするたび、
 カーテンに隠れては味の素を必死になめていました。

 ひどいときは、一回に一本。
 今思えば、まったく気持ちの悪いことなんですが、
 当時は味の素をなめるのが一番の幸せでした。
 (メイ)

小学校の通学路の脇の建物が壊された時、廃材を使って
 私ひとりで小屋みたいなものを作ったことがありました。
 小屋といっても、
 しゃがんでひとり入れるくらいのものでしたが。
 一応完成し、脇のたんぼから落穂をひろって
 その小屋の中のテーブル代わりの石の上に置くと、
 「まるで昔の原人がすんでいたみたい」
 とひとり満足して帰りました。
 次の日、クラスでは空き地に突如出現した
 「こじきのいえ」の話題で、
 おおいに盛り上がっていました。

 「こじきのいえ」のなかには
 コメ(落穂だけど)まであって…。あれは
 「大昔のひとのすみか(をイメージしたもの)」
 であって、「こじきのいえ」なんかじゃないのに…。
 私は「自分がつくった」とも言い出せず、
 クラスメイトの勝手な解釈を
 ただじっと聞いていたのでした。
 (mokky)

小学5年生の頃、幼なじみと
 「コケ農場」を作っていました。
 農場と言っても20センチ四方の小さなもの。
 フサフサした気持ちのいいコケを見つけると、
 「いいね〜、この肌触りがたまらん!!」
 と言っては持ち帰って農場へ植えていました。
 渋い趣味の子どもだったなぁと懐かしく思います。
 (ネム)

小学生の頃、下校時に
 「ウンコおしっこ」の2語に伴奏をつけ、
 大声で歌いながら帰ってました。

 友達の伴奏にのせて大声で歌うのは気持ち良かったなあ。
 (とと)

子供の頃、本当に仲良くなったという証として
 お尻の見せあいっこをしていました。
 (知り合い)

小学校低学年の頃、五味太郎さんの
 「みんなうんち」という絵本を読んでいました。
 ラクダのページでは、
 「ひとこぶラクダはひとこぶうんち、
  ふたこぶラクダはふたこぶうんち」
 衝撃をうけた私は、本を放りだして
 家族全員(6人家族)に報告してまわりました・・・。

 (たま)

幼稚園の頃、
 「骨折」と「鼻血」にものすごく憧れた時期があり、
 ハンカチをつなげて
 腕にぐるぐる巻いてギブスのつもりで
 さらに、赤いマジックで鼻血を描いては
 「よし!」と大満足で外へ遊びに行っていた・・・。
 (まい)

子供の頃、家でトイレに入っている時、
 「今世界でトイレに入ってる人
  何人くらいいるんだろう?

  同じことしてるってすごいよなぁ…」
 と一人でしみじみ感動していました。
 (むんく)

子どものころ、懸賞の応募に必死でした。
 「…の場合は無効(むこう)です」の意味がわからず、
 むこうって、一体どっちなんだろうと、
 本気できょろきょろしたのを思い出します。
 (沙羅)

小学生の時、どうしても食べられないものがありました。
 それは、ラーメンに乗っている「シナチク」です。
 なぜか当時の自分は、
 「シナチクは使い古しの割り箸をふやかして作ったもの」
 と、信じ切っていたようなのです・・・。
 (hiro)

私は小学生のころ、
 「電車の中でハンドバッグを膝にのせて座り、
  何かを手帳に書いているおねえさん」
 に、あこがれていました。
 それを実行に移すため、家の中で
 全身鏡の前に椅子を持ってきて正面を向いて座り、
 母のハンドバッグをかりて膝に置き、
 電車に乗っている態で、からだをぐらぐら揺らし、
 なにかをハッと思いついたような顔をして
 バッグにしのばせておいたメモとペンを取り出し、
 その日の予定などを書いて楽しんでいました。
 「7じからごはん」とか・・・。
 (あかり)

小学校低学年くらいまで、
 いろんな妄想に、とりつかれてました。
 あるとき、私ってホントは
 ショッカー(仮面ライダーの悪役軍団)の一味かも、
 と思った時期があり、ふたつ年上の兄に
 いつものようにイジメられたおり、
 「なんでそんなことすんの?
  もしかして私がショッカーやから?」
 と真顔で問い詰めました。
 その言葉にすっかり固まってしまい、
 黙ってその場を立ち去っていった兄の後姿を見て、
 「お兄ちゃんが何も言い返さへんってことは、
  やっぱり私、ホンマにショッカーやったんやわ…」

 と確信を新たにしたアホな私でした。
 (T)

子供の頃は意味不明でした。
 疲れたら後ろ向きに歩くとか、
 布団の上を左右にごろごろしてると
 目が回って眠りやすいとか、
 わけわかんない理屈で行動してました。
 そんなある日、上を向いてランドセルに頭を乗せて歩くと
 なんかラクなことを発見し、調子に乗って
 走りまわってるとドブに転落。
 見事に擦り傷を負いました。
 しかも一番の友達が、翌日クラスの文集にそれを発表。
 「ぼくは将来この町の町長になってこのドブをうめる」
 と熱く語ったことまで公表されてしまいました。
 (kami)

札束に憧れていた小学6年生の私が、あるとき、
 「人生ゲーム」のおもちゃの金を学校に持っていくと、
 たちまち大ブームに。
 いつの日からか、それが我がクラスの通貨になって
 自分が作ったリリアンやら、牛乳の蓋でつくった
 メンコなんかの取引に使われるようになった。
 しかし、みんなが自分の人生ゲームの金を持ち出しはじめ
 超インフレになって経済が破綻した頃、ブームも去った。
 (mi)

これは小学校3年のころだったと思います。
 家族がみんな出かけていて、
 家に一人で留守番をしていました。
 時刻は午後7時ころ。
 居間のテレビでファミコンをしていたところ、
 台所の方から物音が聞こえてきたので、怖くなって、
 「誰だ!?そこにいるのはわかってるんだ!」
 と叫び、座っていた折り畳みのパイプ椅子を
 持ち上げて、台所の方へ行きました。
 びくびくしながら台所の電気をつけると、
 炊飯ジャーがふつふつといっていたのです。
 緊張していた僕はそのことで、
 どっと疲れてしまいました。
 それで家族に話したら大笑いされました。
 (むーみん)

小さい頃、毎晩夕食時、
 食材に使うため台所の裏庭にあった家庭菜園に
 母親がネギなどを積みに行き、1〜2分後に戻ってくると
 なぜかその数分の間に母が
 偽物にすり替わった気がしはじめ、
 母が本物か確認するため、
 「お母さんしか知らない質問をしてみて
  正しく答えられたら本物のお母さんなんだ」
 と思い込み、激しい口調で、
 「お母さん!私の大好物は何でしょうかっ!」
 と毎回聞いていました。
 もちろん、母はごくふつうに
 「納豆でしょ〜」(私は納豆が大好物だったので)
 と答え、食事の支度を続けていました。
 しかし私は
 「ふ〜ん、今日は本物かぁ、でも油断しないからねっ」
 と心の中で言いながら、毎晩のように
 その質問(しかも毎回同じ質問)を浴びせていました。
 しかも、険しい表情と強い口調で。
 その時の私はいつも
 「お母さん安心してね、
  お母さんが偽物が誰かの策略で
  偽物にすり替えられちゃっても、私だけは絶対気づいて
  本物のお母さんを捜しに行ってあげるからね!」
 という気持ちでいっぱいでした。
 (リトル)

砂場のエピソードって結構あるんですね。
 私も自分の
 小学5年生の頃のこと、思い出しちゃいました。
 一時期、「校庭にある砂場を素手で掘って水を出す」が、
 マイブームになったときがありました。
 肩の長さまで掘ると
 水が湧いてくるというのを発見してから、
 どうやらその水が出るのが、おもしかったらしく、
 まず朝登校して始業前に一度掘り、
 お昼休みに一度掘り、放課後に一度堀りと、
 授業以外の一日の大半を穴掘りに捧げ、
 泥くさい男のロマンを感じる時期が、ありました。

 (おのー)

子どもの頃、
 「今」のあとは「昔」が来ると思っていました。
 今あるものはどんどん古くなっていくのだから、
 当然、昔になると・・・
 お向かいの家が古い家だったので
 「ああ、あの家には、もう昔が来ている」
 と思い、私が大きくなる頃は、
 昔になるんだなあと思いこんでいたのです。
 小学一年生という雑誌で「ドラえもん」に出会い、
 「未来」というものを知った時には心底驚いたものです。
 最初は意味が全然わからず
 何度も読み返したのを覚えてます。
 (なみ)

小学生のころ、2つ上の姉とけんかをしたあと、
 「もう私は〜はしません」と
 『証文』を書くのがきまりでした。
 たとえば姉のおやつを横取りして
 けんかした後、姉が勝つと、
 「もうお姉ちゃんのおやつはとりません」
 と書くというもの。
 しかも最後に名前と指紋までつけて。
 私も姉も高校生になってそんなことも忘れていたころ、
 姉が一度部屋の大掃除をしたときに、
 当時の証文が出てきました。それには、
 「私はこれからゼッタイに
  おねえちゃんのブルマをはきません」

 と書かれていました。もちろん私が書いたものです。
 ふたりで大爆笑しました。ブルマって・・・。
 でも当時は、2つ上の姉がとても大人に見えて、
 なんでもかんでも姉が持ってるものがほしかったんです。
 (匿名希望)

子どものとき、ヒマだと
 「田植えごっこ」をしてました。
 庭の土の堅いところを四角く、
 浅く掘って柔らかい土と水を入れて泥にしてから、
 かねて用意の雑草を列にして植えてました。
 ・・・なにがおもしろかったんだろう?
(さ)

レジで会計を済ませるときによく
 「320円」なのに「1020円」出す、
 というようなことが、ありますよね。
 小さいころ、なんだかその出し方が
 オトナだな!カッコイイなーって、
 ずっと思っていたんです。
 「今日は私がお金を払いたい!」って母に言って、
 お金をもらって、100円くらいのの品物に
 1500円を得意げにだしたんです。
 「500円だけもらっとくね」
 レジのお姉さんに言われて、すっごい切なかったです。
 ・・・なんでみんなやってるのに私だけ!?
 じゃああの出し方は何なんだ?
 今でもはっきり憶えているなあ。
 (豆もち)

子どもの頃、
 「ものには終わりがある」ということを
 まったく知りませんでした。
 大好きだったアニメ
 「ニルスの不思議な旅」を見ていたら
 何気に母が「今日最終回だねー」と言い、
 「最終回って何?!終わっちゃうの!!!」
 ワンワン泣きました。
 ろくにその最終回も見ずに・・・アホだ。
 親だっていつか死ぬという事も
 そのついでに(?)聞かされ、それこそ、
 この世の終わりというかのように泣きました。
 たまたま仕事中の父親が家に寄り、
 私が泣いている理由を母親から聞いて、
 「バカだなー」と大笑いされました。
 それで更に泣いたのですが、
 自分が親でも同じ反応しただろうなぁ。
 (ケムマキ)

小学校低学年まで、
 自分のことを世界のお姫様だと信じていました。
 そして私が庶民の気持ちがわかるように、
 周りが隠して、わたしに
 庶民の生活を送らせていると思ってました。
 先生に怒られているときも、
 「ああ、これも私にわざと
  試練を与えるために演技しているのか」

 と思ったり、かなりポジティブシンキングの子で・・・。
 (くっぴ)

小学2年生の時、
 家から一番近い交差点に信号が取り付けられたので
 それを見に行こう!と勇んで飛び出しました。
 なんだかウキウキして、
 目の前にある小石を蹴飛ばしたところ、
 あれ?飛ばないで靴の先についてるぞ。

 もしや・・・やっぱりウンチだ・・・!
 (おいも)

私のもと恋人は小1の時お母さんに、
 「男は家の外に出たら
  いつも7人の敵に囲まれているようなものだ」
 と言う話を聞かされて、
 「知らなかったー。
  今まで丸腰で遊びに行ってて
  何事もなかったのは奇跡やな!」

 と、胸をなでおろし、これからは遊びに行く時も
 まず敵の攻撃に備えなくては、と思ったそうです。
 でも、どんな敵で、何が有効な武器なのか
 いろいろ考えても分からない。
 そこで、子どもだと思って安易に攻撃されるのを避ける為
 大人に見える格好をすれば良い、ということを思いつき
 お父さんの部屋に忍び込み、
 腕時計と万年筆をこっそり持ち出して、
 「これでどこから見ても大人やな」と、
 腕に時計をはめ、
 胸に万年筆をさした姿を鏡で確認してから
 ものすごく緊張して毎日遊びに行っていたそうです。
 バカだけど可愛くて、この話大好きなんです。
 (きょうこ)

はいはいはいはーい!!!!
 ガキの頃ばかだったなぁ。
 って、まさにばかだった私。
 小2の頃、近所の仲良し由貴ちゃんと
 道路にすごろくを作って遊んでたところ、
 私が止まった所は「20回まわる」
 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる・・・・・
 ・・・・・
 ・・・
 ドーン!!!!!
 頭からどぶに突っ込み、3針縫う。
 (あ)

あの頃の私は、道のかどに磁石を当てて
 さてつを取っていました。

 当時も今も、そんな子どもはいませんよね。
 バカというかなんと言うか・・・。
 (サカイ)

子どもの頃、
 「公平にする」ということがマイブームになり、
 右の靴を履いてから
 左の靴を履くと左の靴がかわいそうなので、

 もう一回ぬいで、左の靴をはいて右の靴を履いてました。
 そこではじめて安心して出かけられるのです。
 おかげで出かけるのがワンテンポ遅れる子供でした。
 (katsura)

小学生の頃、下校途中に見つけた手ごろな石を、
 家までドリブルをして蹴ってきてましたが、
 時々、植え込みに入ってしまった時も、
 何がなんでも取る!という気持ちで、
 手を突っ込み、意地でも石をつかみ出しました。

 (兄弟3人みんながそれをやっていたため、
  ある時期、家のまわりには、石が大量にあり・・・)
 他にも、周りにいるカラスに対抗して、
 自分までもカァカァと鳴きながら下校しました。
 それを運悪く、母の知り合いに目撃され、
 それ以来、周囲を確認しながらやるようになりました。
 (えりか)

小学校低学年、動物の好きなわたしは
 下校途中の「犬のいる家々」に寄り、
 犬にさわってまわる「犬のはしご」をする毎日でした。
 ある日ふと犬に給食の残りのパンを
 やってみたところ、犬大喜び!
 それからさわるだけでなくパンもやるのが、
 日課になりました。
 そして何軒もまわるので自分の残したパンだけでは足りず
 給食係の子に頼んで残ったパンを分けてもらい
 それを持って下校しておりました。
 犬達も毎日パンをもらえるので私が行くと
 大喜びしていたのですが、誰かに通報されて、
 「学校の帰りによそのお宅の犬に
  パンをやる人がいます。やめましょう」
 と朝礼で言われできなくなってしまいました。
 手ぶらでは犬達に会えない、
 と犬まわりはやめてしまいました。
 (高槻市・か)

ハングリー世代ではありませんが(現在30歳)、
 お菓子を食べさせないのが母親の方針だったため、
 いつも飴ガムチョコキャラメルおせんべい
 ビスケットポテトチップス等の市販の
 お菓子に飢えていました。
 お風呂場においてある
 真っ白な石鹸を見つめれば見つめるほど、
 それがホワイトチョコレートに見えてきて・・・
 においをかいで見ると石鹸のにおいがします。
 「でもこういうにおいの
  ホワイトチョコレートなのでは?」
 という考えが捨てきれず、
 勇気を出して齧ってみたことが何度も(!)あります。
 学習しろよ。
 (かよりんぐ)

幼稚園の頃に流行った遊びというか
 命をかけていたのが「かたまり」づくり。
 ままごと用のカップに細かい砂を入れて水を掛けて、
 また砂を入れて
 どんどんカップの表面を砂で堅くしていくんです。
 最終的にはこぶのようなものができて
 「かたまり」づくりの仲間うちでは
 「筋肉」と呼ばれていました。
 その「筋肉」の美しさを競うことが
 その頃の私の生き甲斐でした。

 友達の間でもその筋肉を誉めてもらうことが
 最高の喜びでした。
 気に入らない作品は壊したりして・・・。
 今思うと職人気質なバカな遊びしていたと思います。
 (うみ)

小学校時代の下校は毎日が楽しかった。
 同じクラスのアカネちゃんと毎日一緒に帰り、
 それぞれの家路に向かうため、いよいよお別れの曲がり角、
 絶対かかせない儀式があった。
 「ばいばーい、ばいっ、ばぁーーい!
  またあした! ばいばぁーい!」
 と二人でメロディに乗せて歌いながら
 手をパシっとしてお互いの帰る方向に向う。
 でもまだそれだけでは終わらない。
 別れた場所からちょっと離れた所でまたお互い振り返り
 おならをぷーっと出したマネをし、お互いに投げあう。
 そして二人で口をそろえ「あーくさい」と言い、
 それから家に帰ってた。
 真夏の日も、大雨の日も。毎日、毎日・・・。
 どこからそういう発想がやってきてたんだろう。

 あの儀式をやってた
 周りの家のひとたちはどう見てたんだろう。
 そんな私は今22歳、OL。
 (く)

わたしは小学校の頃、暑い日に、
 「黄色い帽子にたっぷり水を入れてかぶる」
 をくりかえしてました。
 母親にビショヌレの理由をきかれると
 「帽子がちょっとぬれてたみたい」
 なんて答えてたそうです。
 ホントのこと言ったって怒られないのに、
 必死だったんだろうなー。
 (ひ)

小学生のある一時期だけ、
 行きと同じ道を帰らないと気の済まない子どもでした。
 例えば、道が二手に別れていると、
 選んだ道を帰りにも通りたいというような・・・。
 自分には蜘蛛の糸の様なものが出ていて、
 通った道を戻らなければ糸がこんがらがる気がして、

 やらずにはいられませんでした。
 よそのお宅にお邪魔した時は最悪で、
 部屋から部屋へ移動しようものなら、
 順番を間違えないように引き返してからでないと
 帰る気になれず、帰り際はこんがらがりを取る為に、
 部屋をグルグル戻ってから帰宅しました。
 周りから見たら意味不明な行動ですよね。ハズカシイ・・・
 (クマ)

子どもの時って、ほんとに
 よくケンカしてましたよね。
 2歳上の兄と、毎日激しくやりあっていましたが、
 小学校低学年の頃のある日のケンカで、
 さんざんとっくみあい、ののしりあっても
 おさまりがつかず、お互いの机の間にあった
 段ボールに、「ばか」と書き合いました。
 当然その「ばか」の数を競う展開になり、
 「ばかばかばかばか」と羅列するのに疲れると、
 「一万倍ばか」「千兆ばか」となっていき、
 「宇宙一ばか」まで・・・

 子供のケンカの定番ですね。
 次の日に、その低レベルな戦いを
 全て記した段ボールを友達に見られて爆笑され、
 その後、なにかというと、その話をされました。
 (はる)
 
 
(ミニコメント)

はじめは「デリバリー版」掲載ぶんを紹介しました。
この特集、メルマガの読者のみなさんからは、
「なんだか、子どもの頃を懐かしく思い出しました」
という感想がたくさんとどいたのが、印象的なんです。
エピソードに込められた思いこみにクスッとすると同時に、
「同じような時、自分だったらどうしてた?」
と常に引きつけることができる題材ですからねぇ。
幸福な子ども時代を送った人も、そうではなかった人も、
不意に、過ぎた時間に没入して、切なくなるのでしょうか。

逃げだすこともできなかったし、
限定された知識しか持っていなかったはず。
わかっている範囲も、1日にできることも、ごくわずか。
でも、それに腐ることなく、笑顔でやっていたじゃないか。
……なんて、そんなたのしみかたも、あるかもしれません。

ちなみに、選者の「ほぼ日」スタッフ木村が好きなのは、
「お母さん!私の大好物は何でしょうかっ!」
「誰だ!そこにいるのはわかってるんだ!」
「もしかして、私がショッカーやから?」
という、子どもなりの、大冒険のところなんですよ。
正義心に忠実なところも、かわいいなぁ、って思います。

たのしいものを、明日も、たくさん紹介していきます。
なんてったって、この倍ちかく、応募があったんですから。
あなたの小さいころの「こんなことがあったな」って話も
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、ぜひ、教えてねー!
土日も、毎日、つづけます。
       

あなたや、あなたのまわりのガキばなしを、
件名に「ガキ」と書いて、
postman@1101.comに送ってくださいね!

2003-06-20-FRI
BACK
戻る