小林秀雄のあはれといふこと

しみじみとした趣に満ちた言葉の国日本。
そんな国のいとおもしろき言の葉を一つ一つ採取し、
深く味わい尽くしていく。
それがこの項の主な趣向である。

其の伍拾・・・・花見


北小岩 「先生、見事ですね」
小林 「そうやろ」
北小岩 「こんなに見事なゴザは、
 わたくし今まで見たことがございません」
小林 「あほ。花見に来てゴザを誉めとるやつがおるか。
 心の目をぱっくりと開けて、
 桜の妖艶とぎりぎりの勝負をしたらんかい!」
小林先生と弟子の北小岩くんは、
上野に桜見物に来ている。
これ以上開けない股のように満開である。
小林 「お前、さっきから何飲んどるんや?」
北小岩 「牛乳でございます。
 わたくしお花見の時には、
 酔って桜を鑑賞できなくならぬよう
 お酒をつつしみ、
 升で牛乳を飲むことにしております」
小林 「なかなかの心がけやないか。
 鑑賞できない状態というのは、
 いうなれば不鑑賞や。
 不鑑賞は不感症に通じる。
 桜を奥の奥まで愛でるには、
 感じやすい状態を保つことが重要やからな。
 ところで北小岩、
 梶井はんの件については、どうやった?」
北小岩 「はい。めくるめく真実が発覚いたしました」
梶井はんの件というのは、
梶井基次郎の小説「桜の樹の下には」のことである。
氏はその短編で、桜の樹の下には屍体が埋まっていて、
それゆえ桜は
神秘なまでの美しさを誇れるのだと著している。
北小岩 「埋まっているのは、屍体だけではありません。
 例えば同じ場所にあるのに、
 一本だけ早く開花する桜があります。
 その樹の下には、
 湯たんぽが埋まっているそうです」
小林 「ほほう。なかなか風流な話やないか。
 そういえば早漏のSさんが
 『早咲き桜は早漏なんだよ。
  でも、早漏だって
  女の人を喜ばせることができるんだ』
 と自分に言い聞かせるように語っていたが、
 それは大間違いというこっちゃな。
 他にはどうや?」
北小岩 「悲劇的な桜もあります。
 花を咲かせているのに、
 やたらと立小便をひっかけられる樹がありますね。
 そこには男の小便器がたくさん埋まっているのです」
小林 「うむ。確かに尿意を催した時、
 まるでおいでおいでをされているかのように、
 ついふらふらと特定の樹に
 すい寄せられてしまうことがある。
 それが小便器の仕業だったとは。
 それにしてもとてつもない災難やな。
 もし俺が桜だったら、
 せめて女性用の便器を埋めておいてほしいものや」
北小岩 「先生、その考えは甘いです。
 女性用の便器は、男性用の大便器と同じです。
 そんなものを埋められたら、
 腹をこわした男たちに
 野糞をたれられるのが関の山です」
小林 「いつの間にか成長したな、北小岩。
 となると、小便器と大便器を
 同時に埋められないよう
 神さまに祈るより方法なしやな」
北小岩 「そうなんです。
 だから桜の樹は、
 自分の所に便器を埋められないようにと
 ナーバスになり、ストレスで
 あんなに肌があれてしまったのです」
小林 「桜にも人知れぬ悩みがあるんやな」
北小岩 「意外なものもありました。
 婚約を破棄された人の
 エンゲージリングが埋まっている樹は、
 そこでつい男の人が
 プロポーズをしてしまいますが、
 うまくいかずに婚約期間中に別れてしまいます」
小林 「桜には魔力があると思っていたが、
やはり侮れんな」
北小岩 「しかし、婚約破棄などまだいいほうです。
 ほんとに恐ろしいのは・・・」
小林 「恐ろしいのは?」
北小岩 「折れたフランクフルトが埋められた桜が
 あることです!」
小林 「なんと!そんなモノを埋められたら
 一巻の終わりや。
 もしそれに気づかずに近づいてしまったら、
 大切なムスコがぽっきんや。
 ここにある桜は大丈夫なんか!」
北小岩 「はい。私もそれを懸念し、
 先日この樹の下を掘り起こして見ましたが、
 折れたフランクフルトは出てきませんでした」
小林 「それにしては、この樹だけ
 急に花びらが散り始めているで。
 もう一度、ようく確かめてみい!」
北小岩 「はい。
 よいしょ。こらしょ。
 よいしょ。こらしょ。あっ!!」
小林 「フランクフルトか?」
北小岩 「いえっ!形は似ておりますが違います。
 これは電気コケシです!」
小林 「何っ!」
北小岩 「しかも、スイッチがオンになっております!」
小林 「それは変やで。
 さっきまでは動いとらんかったのに、
 誰が地中の電気コケシのスイッチを入れたんや?」
北小岩 「あっ!もぐらが逃げていきます」
小林 「そうか!モグラは地上が苦手やから、
 桜の美しさを堪能できん。
 だから腹いせに電気コケシのスイッチを入れ、
 その振動で花びらを散らして
 俺たちを寂しい気持ちにさせよう
 たくらんだんやな。
 北小岩、すぐにその電気コケシを
 引っ張りだすんや!」
北小岩 「はいっ!」



この騒ぎを聞きつけ警官が全力疾走してきた。
公衆の面前で大の男が二人、
動いた電気コケシを片手にわめいているのだから、
職務質問だけではすまされないだろう。
小林先生と北小岩くん、危機一髪である。
桜の樹の下に埋まっているのは屍体だけではない。
そこには人格を根底から否定されるような
危険な濡れ衣までもが埋まっているのである。

2001-04-02-MON

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