小林秀雄のあはれといふこと

しみじみした趣に満ちた言葉の国日本。
そんな国のいとおもしろき言の葉を一つ一つ採取し、
深く味わい尽くしていく。
それがこの項の主な趣向である。


其の百弐拾六・・・梃子


「どうしたんや、北小岩?」

庭の鹿おどしの傍らで蟻を見つめている弟子を案じ、
先生がマイルドに声をかけた。

北小岩 「わたくしは、このまま何事もなさずに、
 一生を終えてしまうのではないでしょうか。
 世の中には物事を極め、
 その道の神様と呼ばれる方が
 いらっしゃいます。
 先生がそういう方をご存知でしたら、
 ご紹介いただきたいのですが」
小林 「なるほどな。
 たまには他所で修行するのもええかもな。
 よっしゃ、おあつらえ向きの男に
 引き合わせたろやないか」
先生は弟子をともない、
その道の神様のところに出向いた。
神様は気のよさそうな小柄な老人であった。
右手に金属製の太い棒を、
左手には大ぶりの金色の玉を持っている。
北小岩 「こちらのご老人が何の達人なのか、
 わたくしにはまったく見当がつきません」
小林 「まぁ、そうやろうな。
 このお方は
 『梃子(てこ)の神様』の馬鍬井転ノ介
 (まぐわいころがしのすけ)はんや。
 俺に言わせれば、
 転ノ介はんほどの正義の味方はおらんな」
北小岩 「ますますどういった方なのか
 わからなくなりました」
馬鍬井氏は先生と目を合わせ、深くうなずいた。
馬鍬井 「ではまいりましょうか」
氏が先頭になって公園まで歩を進める。
茂みから悩ましげな声が漏れてきた。
馬鍬井 「さてと。仕事に掛かるかのう」
右手の棒を鋭く振ると、中から釣竿のように、
金属が何段か飛び出した。
氏は長く伸びた棒を茂みにもぐりこませると、
金色の玉を転がした。
玉は棒にぶつかり停止。
ありったけの力で棒を下方に押した。
男女 「うぁ〜〜〜」
素っ裸で合体したままの男女が、
茂みから転がり出てきた。

小林 「見事や!」
北小岩 「もしや転ノ介さんは
 梃子の原理を応用したのですか!!」
小林 「そうやな。
 棒を伸ばし、その先端部を
 乳繰り合っているカップルの下に
 潜り込ませる。
 そして玉を支点にして、
 梃子で二人を転がしたんや。
 馬鍬井はんはこの道具を使い、
 不埒なカップルを見つけたら
 即座に転がすことができる。
 ゆえに『梃子の神様』と尊称されとるんや」
氏は高齢でありながら、素早さが尋常ではない。
怒ったカップルに殴られないように、
すでに縮めた棒と玉を手に、
川の向こう岸まで逃げていた。
カップルは全裸の上に
腰を抜かすほど驚くので、
捕まることはないという。

三人は再び合流し、帰途についた。
だが、それだけでは終わらなかった。
しばらく行くと、道に面したハイツから
大音量のよがり声が轟いてきたのだ。
窓を開けたままことに及んでいる。
馬鍬井 「塾帰りの子供たちも多いのに、
 教育上よくありませんなぁ」
言うが早いか窓の隙間から梃子をねじ込み、
カップルを転がした。
二人の叫びと壁にぶつかる鈍い音が同時であった。

北小岩 「確かに馬鍬井さんは正義の味方です。
 ぜひ、わたくしに
 その技を伝授してください!!」


氏は花咲じいさんのように微笑んだ。
梃子の神様‥‥。
性道徳が崩壊してしまった日本で、
今こそ崇められねばならない神様であろう。

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2005-04-17-SUN

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