娯楽映画の運命。
真夏の深夜の『キリクと魔女』座談会より。

第1回 娯楽ってなんだろう?


糸井 こういう集まりのときに、
鈴木さんとぼくが同席すると、なぜか
ぼくが司会をするという不文律があるようで、
かならず鈴木さんが安心しはじめちゃうんです。

でも、映画のプロデューサーという
役割でもあるので、
今日はぜひ、鈴木さんに言い出しっぺを。
鈴木 (力強く)糸井さん、おねがいいたします!
糸井 (笑)……じゃ、まぁ、この映画を
ジブリで扱うようになったきっかけを、
高畑さんから、教えていただけますでしょうか。

高畑 去年の3月、
『キリクと魔女』が
日仏会館というところで上映されて、
オスロ監督が日本に来ていたんです。
その上映会のトークの相手役になれ、と、
ぼくがなぜか呼ばれまして。

ぼくのほうは、
まだ、オスロ監督の作品を
見たことがなかったんですよ。
むこうはけっこう見てくれている。
それなら、こちらもとにかく
見せてもらわなければということで、
ビデオを見せていただいたんです。

そしたら、びっくりしちゃったんです。
すごい傑作だ、と思ったんです。
それなら、お話を聞いても
おもしろいのではないかと、
その日仏会館のイベントに当日行きまして、
お話を聞いて、さらにスクリーンの
大きな画面で見て、ますます、
「これは、なんとかしたい」
という感じがした。

それで、オスロさんに
スタジオジブリに行ってもらったと。
なんとかならないだろうか、
あるいは協力できないだろうか、と。
何しろ、98年にできた映画なのに、
これまで、日本ではどこでも
配給をしなかったんですね。

糸井 98年ごろ、ニュースとしても、
まだ入ってこなかったんですか?
鈴木 実はこの映画、
フランスで大ヒットしたんですよ。
フランスで作られたアニメーションとしては、
120万人が見たということで、フランスでの
今までのアニメーションの記録なんですね。

その後、世界中のいろいろな国で
公開されたということがあって、
当然、ずいぶん前から、
作品は日本にも紹介はされていたんですよ。
日本の興業関係者、配給関係者は、
実は、全員、この映画をすでに見ていた。

ところが、映画界っていうのは、実は
いろんなジンクスっていうのがありまして、
「世界中でうまくいった作品は、
 どうしても日本ではうまくいかない」

……聞いた話なので、
どこまでかはわかりませんが、端的には、
「アフリカが舞台で、
 アフリカの人が主人公の映画というのは、
 なかなか日本ではうまくいかない」

と言われていたわけです。

それでみなさん、映画関係者は
引き受けることをやめた、二の足を踏んだと、
ぼくが、以前に聞いていた話は、
そういうことだけだったんですけど。

糸井 映画界は、知っていたということですね。
高畑 そうです。
興業界と、それから一部のファンも
知っていたと思うんです。
広島に、
アニメーションフェスティバルというのが
あるんですけど、そこでもちゃんと
上映されていたんです。
糸井 ただ、高畑さんは、見ていなかった。
アニメ作家どうしの
情報のやりとりがあるわけではないんですか?
高畑 やりとり、ある人たちもいるんですけど、
要するに、世界に
アニメーションの団体があるんですが、
それは短編を中心とした、こないだですと、
アヌシー国際アニメーションフェスティバルを
受賞した『頭山』とか、ああいう世界の
アニメーション作家たちの団体はあるんです。

オスロさんも、その会長をしてたことが
あったらしいんですけど、
われわれ、娯楽アニメをやっている
日本の団体というのは、そういうものに
ほとんど参加していないんですね。
ですから、何も知らないでやっているという。
糸井 いま、高畑さんがいみじくも
「娯楽アニメ」という
おっしゃられかたをしたんですけど、
「娯楽」について、お話していただけますか?
ぼくも、『キリクと魔女』は、
芸術作品としてではなく、娯楽作品として、
たのしんでもらいたいんですけど。
高畑 ぼくも、『キリクと魔女』は
娯楽アニメとして見てもらいたかったんです。
これは、いい娯楽のアニメーションであって、
決してアート系とか何とかじゃないんだ、と。

もちろん、新鮮な視点はあるんですけど、
基本的には、みんなに見てもらおうと思って
『キリク』は作っているわけですから、
それを大事にしたいと思っていますけどね。

鈴木 現に、フランスではこの映画は
映画がヒットしたのみならず、
それにまつわる出版物だとかゲームが売れた、
と聞いています。
糸井 え、『キリク』のゲームがあるんだ?
鈴木 あるんですよ。
キャラクター商品が非常に人気があって、
またオスロ監督というのが、
キャラクターがとても好きで、
そういうのに対しても、
非常に大きな感心を持っていて、
グッズにも非常に関わっているみたいです。
糸井 へぇー。

……あのう、わざわざ
平均的にしゃべらすように
仕組むわけじゃないんですけど、
話の前後として、大貫さんに振るのが、
ずっと後になっちゃうのもさみしいので。
大貫 (笑)
糸井 今のうちにまず
しゃべってほしいこともあるんです。
ぼくら、この映画について話しあっていて、
大貫さんのことをすぐに思いついたんです。
それで、テーマソングをお願いしたんだけど、
まぁ、なんで思いついたのかも、
大貫さんは、想像がつくだろうけど……。
大貫 「アフリカ」と「フランス」でしょ?
糸井 はい。
それと、重々しい人が
ほめるのが、こわかったんです。
「人間の哲学的ななんとか」だとか、
日本に来たこういう映画には、かならず
太鼓判みたいなのを押したがるヤツが
いるじゃないですか。
だから、大貫さんが歌って、
あの声で音楽を流すと、
いいなぁ、と思っていました。
大貫 重々しくないというなら、
もっと軽めの方のほうがよかったのでは?
糸井 大貫さんがよかったんですよ。
『キリク』を見たときの
感想を、思い出していただけますか?
大貫 さっき、「娯楽」ということを
おっしゃったんですけど、
わたしは、アニメーションの
「娯楽」と「娯楽でないもの」との
区別がわからない
ので、
娯楽な感じでは、見なかったんですよ。

やっぱり、
何か考えさせられて見ていたので。

糸井 高畑さんに、そのへんの話を
してもらいましょうか。
高畑 映画っていうのは、もともとみんな、
娯楽として見ていたんですね。
娯楽として見ているうちに、
考えさせられたりもするじゃないですか。
それが『キリクと魔女』です。

ところが、そういう傾向の映画って、
昔はいっぱいあったのに、
今、日本や当たるアニメやハリウッド映画は、
その中でも、ある傾向に
しぼられてきてしまっている。

それが、気になっていたんですよ。

大貫さんがおっしゃるとおり、
この映画も考えさせられますし、それこそ
そういった内容について、今ここで
しゃべりたいくらいですけど、ぼくは、
「こういうのも、娯楽として
 おもしろいんじゃないですか」
と言いたいんです。
『キリク』の作中で歌われている曲なんかも、
非常にいいですし。
大貫 いいですよね。
高畑 ほんとに、たのしめますよね。
糸井 ぼくもさっき「娯楽」という言葉を、
高畑さんがおっしゃったのと
非常に近い意味で言っていたつもりです。

もともと、画面が動くからおもしろい、
というところではじまった映画なのに、
その中の一部分の芸術映画のようなものを
志す人たちがいたり、それとは逆に
ある一定のおもしろさだけを
全面に出すのが娯楽とされていたり……。


そういう傾向が、
ずっと続いていましたよね。
小説なんかでも、わからないまま
「純文学」だとか固定されちゃう。

娯楽としての質の高さがあったからこそ、
見ていてたのしかったことになるのに、
「ああ、考えさせられたなぁ」
だけが残ってしまう映画は、
嫌だなぁと思っていました。

だから、「娯楽」と言いたかったんです。


(つづきます!)

2003-08-19-TUE

HOME
戻る