聞き書きの世界。
『木のいのち木のこころ』と塩野米松さん。


糸井 負の事実が重なったほうが
潤う業界って、
一生懸命な人が行かなくなりますよね。
塩野 漁師が働かないと
お金がもらえるとか、
農民が減反したら
お金がもらえるとかいうのは、
やはりすごく「ちがう」と思います。

話を聞いていれば
身にしみてわかるんですが、
日本人はみんな
心底真面目で生き方に真摯なんです。
それが……。
糸井 もともと持っている
被害者意識みたいなものと
掛け算になるから、
さらにややこしくなるんだろうなぁ。
塩野 そのうち補償金の金額に
不満が出てきてしまったり……
次の世代に仕事を受け継ぐなら
守るのでしょうけど、
受け継がないと決めてしまえば
たいへんなことになりますね。

この仕事をしていると
消えていくものが多いんです。
人も仕事も技も。
ですからどうしても
「引継」と言うことに
興味が湧くんですが、心配になります。
糸井 塩野さんは、
声高に警鐘を鳴らすという
仕事はしていないから、
つまりそういう事実が体内に静かに
蓄積されてゆくということなんですね。
塩野 ええ。体に悪いです。
お年寄りがしゃべる現実には
ドキッとすることが多いです。
たとえば、ぬかる田んぼに
胸まで浸かりながら
田植えをしていたような
宮城県の山奥に住むおじいちゃんは、
太平洋戦争の時に、飛行機の整備係として
都会に出てきたわけです。
カレーライスというものをはじめて食べて、
エンジンの音を聞き分ける訓練をさせられて……
敗戦になって田舎に帰ると、
飛行機も自動車もない中で、
また胸まで田んぼに浸かりながら
田植えをするというような人なんだけど、
すごく実感のともなったことを言うんです。

「あのカレーライスはうまかったなぁ。
 都会から来た人たちは
 兵隊は辛いって泣いてたけど、
 わしはラクだったなぁ。
 あんなにしあわせな生活だったら、
 兵隊もいいなぁと思ったなあ」

その一方で、
佐渡のおじいさんは十五歳で、
学校の先生に薦められるまま
飛行場に働きにいったんです。

飛行機が飛んでくる滑走路に
石油ランプみたいなものを
置いていく係だったんだそうです。
あまりに寒くて、
転んで生きるか死ぬかの
大火傷を負うたそうです。

敗戦後に故郷に帰るために
混んだ電車に乗ると、
あんなに混んだ中でも火傷を見て
助けてくれる人がいたりして、
ようやく佐渡に帰ってきたそうなんです。

そのおじいさんが
「あの戦争は馬鹿な戦争だった。
 十五の子供が
 戦いに駆りだされた戦争なんて、
 勝てるわけがねぇだろう。
 十五の子供を駆りだすような
 考え方をしていた国だったんだよ」
とポロッと言うんです。

そのおじいちゃんが言うから
いいのであって、
ぼくらが
「反戦」
「戦争は嫌いだ」
なんて言ってもダメなんですけど。

やっぱり、
生のものを見ている人の声ってすごいですよね。
  (明日に、つづきます)


2005-06-21
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