聞き書きの世界。
『木のいのち木のこころ』と塩野米松さん。


糸井 塩野さんのまとめって、当人が
「それは載せちゃイヤだ」というものを
載せていないにおいがして、
それがとても自分に合うんです。
いつまでも読んでいられるのは
そこだろうなぁと思うんですけど、
そこについては、
もちろんお考えがあってのことですよね?
塩野 はい。
ぼくは人を傷つけに
いっているわけでもないんです。
本人がイヤがることを
掲載しないかわりに、
その人がよその本を読んで言っている話や
テレビで見たような二次情報は
ぜんぶとっぱらっちゃうんですね。
糸井 借りものの部分は、すべて消すと。
塩野 それはすぐ見えます。
本人はせっかく勉強したのに
掲載しないのは
残念に思うそうですけど……。

たとえば鍛冶屋さんなんかだと
「梅干のような色」
「夕日のような色」
「ミカンの薄皮をむいたような色」
と、炎の色で
だいたいの温度がわかるんですね。

でも勉強すると
「七百八十五度ぐらいになると」とか
「臨界温度に達すると」とか
言いはじめるんです。

そんなふうに
本の知識を言わないでくれと
内心では思いますし、実際に
「臨界温度に達するとどうなるんですか?」
と聞きなおすと
「カタかった鉄が、
 やわらかくロウソクのようになる」
と自分の言葉で話してくれたりする。
そっちが聞きたかったんですよね。
糸井 「七百八十五度ぐらいになると」の
つまらなさって、ありますよね。

ほんとは
個人史や主観や感情や意味が
ごっちゃになったような言葉を、
おもしろがりたいんですから。
塩野 客観的な事実というものはないから、
高校生には
「あるひとりのおじいさんに
 高校生が聞いた内容と、
 ぼくが聞いた内容とでは
 ぜんぜんちがうんだよ」と言ってます。

「ぼくはきみたちのような聞き方は
 絶対にできない。頭の中に
 知識が詰まってしまっているから、
 ぼくはひとこと言われると
 わかることがいっぱいある。
 でもきみたちは
 ひとこと言われても
 わからないことの方が多い。
 そのぶん質問が素直で、
 そこに返ってくる言葉も素直なんだ。
 もしも出会ったおじいさんが
 十年後にも元気だったら、
 またたずねていくといいよ。
 絶対にちがう話をしてくれるから」

相手によっても、
話すことは違いますよね。

聞き書きの相手が
昔のつらいことを思いだして泣きだすと、
ぼくは泣き虫なので
泣きながら聞いたりするのですけど、
他に誰もいないから
堂々と泣いているんですが……。
糸井 そうやって共振する資質がないと、
聞き書きってむずかしいかもしれませんね。
きれいに
相手と自分をわけて話をしてたら、
話がとまってしまうような気がしますから。
ほんとはウソで、ウソはほんとなんですし。
  (明日に、つづきます)


2005-06-19
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