──ほぼ日刊イトイ新聞は
気仙沼に、なぜ支社をつくるのでしょうか?
まず最初に「めぐり合わせです」っていう
言い方をしておいたほうがいいかもしれないですね。
自分たちになにができるのかということを、
ほかの多くのみなさんと同じように、
ずっと考えていました。
いまやっていること以上に、なにができるだろう。
ずっとつき合っていくために、なにができるだろう。
そんなとき、気仙沼を中心にして起ち上がった
「セキュリテ被災地応援ファンド」を知って、
そのメンバーのみなさんと知り合って、
何度も会って、いろんなことを話すうちに、
「気仙沼に支社をつくりませんか?」って言われた。
たぶん、提案したほうも、
そんなに具体的なビジョンがあったわけじゃないと思う。
それは、それはいいなと思ったぼくのほうも同じです。
ただ、長いつき合いになると思ってるんだから、
長いつき合いになるための場所を
つくっちゃえばいいやって思った。
自分にできることを想像する前に、
誘ってもらえたんだから行きますよ、って思った。
ちょっとね、「遊びにおいで」っていう
言い方に似てたかもしれない。
といっても、もちろん、
すぐにぜんぶ決めたわけじゃない。
そこに場所をつくることを思ってから、
現地にいって、あちこちめぐりました。
その場所を歩き回るうちに、
「ぼくらにできることがあるかもしれない」って
だんだんと感じられるようになってきた。
でも、同時に、「なにができるんだろう」って
最初に考えすぎたらいけないなとも思った。
少なくとも、自分たちの組織については、
こんな言い方ができると思ったんです。
そこに「ほぼ日」の支社ができるというのは、
身体を「指圧する」みたいな効果がある。
離れた場所が刺激されることで、
物理的にも、気持ち的にも、
言ったり来たりすることが増えて、
自分たちの血流がよくなるんです。
交流が増える。血のめぐりがよくなる。
まずは、それが、わかりやすく大事なことです。
めぐりがよくなることが
なぜ大事かというと、
憶えていられるということです。
震災以後、いろんなひとたちに話を聞くと、
どこの被災地のひとたちも、
「忘れられてしまう」ということを
いちばん怖がっていると感じました。
そして、被災地以外のひとたちは
「忘れてしまう」ということを
ものすごく恐れているんです。
こうやって日常がはじまっていくんだね、
むかしのことになっちゃうんだね、
ということを、みんなが恐れている。
でも、ほんとは、忘れたりしないんですよ。
ふつうに血のめぐりさえよければ、
日常を取り戻しながら、憶えていけるんです。
そういうことがやりたいし、
まず、それができるというよころびがあります。
だから、一気にちからを爆発させて、
「さぁ、なにとなにをやるぞー」
っていうようなことよりも、
毎日、ずーっと、心臓がどっくんどっくんいって
動いているようなことが大切だと思う。
そういうふうに、まずは、
身体の健康を取り戻す、みたいなことが、
ぼくらが向き合うべきことかなと思う。
それがお役に立つかどうか、っていうことは、
いまはあまり強く考えすぎないようにしてます。
少なくとも、
「糸井さんがそこに支社つくったから
オレ、行ってみたんだよ」
っていうひとが出てきたりとか、
「なにやってんの?」って訊かれることとか、
「ああ、いいね」って思うひとが増えるとか、
そういうふうなことで、
小さなツボがぽつぽつと指圧されて、
全体のめぐりがよくなればいいなと思う。
それで、さぁ行くぞって、
実際に行動しはじめたら、
手伝いたいとか、乗せてくださいとかって、
うれしい声があちこちから聞こえはじめてきて。
ちょっとね、これは予想よりも、
お役に立てることがあるかもしれないな、
って感じはじめているところです、いま。
お邪魔になることも、当然あると思う。
そこはもう、最初からごめんなさい、です。
100人くらいはよろこんでるけど
5人くらいのひとが怒ってる、
っていうようなことがあるかもしれない。
これは申し訳ないけど、
全部は考えられないよっていうのを、
もう最初に言っておこうと思います。
そうじゃないと、なんにもできないから。
そういうことも含めてね、
まぁ、おかしなやつらがやって来て、
ヘンなことしてるねぇ、しょうがねぇなぁ、
って、笑われたり許してもらったりしながら、
長く、おつき合いができればと思ってます。
──「気仙沼のほぼ日」は
この先も、ずっと続くのでしょうか?
期間のあることとして、考えます。
ぼくらは、大きくて立派な組織ではないし、
どう言ったらいいんでしょう、
人を助けたいっていうような、
きれいなこころみたいなものだけで
やってるって、あんまり思われたくない。
そうじゃなくて、
お互いに生き生きしたいからやりたいんだ、
というくらいにとらえてもらうと
ちょうどいいんじゃないかと思うんです。
お互いに、生き生きと、
なんか会いたいね、っていう気持ちを
維持したままでやりたくて、
それには、どこまでやるのかを
一旦、きちんと決めたほうが、
のびのびやれると思ったんです。
で、11月1日にスタートさせて、まずは1年。
あの震災の日から1年後の日を超えて、
まずはつぎの11月1日まで、1年。
その1年は夢中でやることになると思うんだけど、
1年経ったら、ようやく先のことが
少しは見えるようになってくると思うんです。
だから、そこから、もう1年。
つまり、2013年11月1日まで、2年間。
そこまで続けて、理想的なことをいえば、
自分たちが続けてきたものを
「居抜き」の状態で残していきたい。
できれば、「ありがとう」って
言われるようなものをつくって、置いていきたい。
そんなふうに考えています。
もちろん、そのあとも関係はつづくし、
2年経って、動かしようのないものができてたら、
期間はどんどん更新するでしょう。
だけど、はじめるいまは、
いまのメンバー、いまの組織でできることとして、
2011年11月1日からの2年間という
期限を切ってスタートさせたいと思ってます。
そして、2年経ってみて、
へぇ、こんなことがやれたんだねって、
みんなで言い合えるようになってたらいいですね。
ほぼ日刊イトイ新聞の気仙沼支社、
「気仙沼のほぼ日」が、
こういうふうな気持ちでつくられている、
っていうことが、
センセーショナルな感じではなく、
できればちょっと品よく、自然に、
伝わっていけばいいなぁと思っています。
冬はちょっと暖かい場所になって、
夏は涼しい風の吹き込む場所になって、
「あそこ、いいんだよ」って
言われるような場所になるといいんですけど。
────2011年10月末 糸井重里、談。 |