カワイイもの好きな人々。
(ただし、おじさんの部)

ことしいちばんの寒さが告げられた1月某日。
寒風吹きすさぶ武蔵野の住宅地、午前11時。
電話で教えられた住所をたよりに僕は、
とある公団アパートを訪ねていました。

少し鋭い眼をした尾関剛さん(76)は、
まどろっこしい挨拶は抜きとばかりに、
僕(41)を、奥の6畳間へと連れていきます。
そこに、ずらりと並んでいるのは‥‥。


第6回
トールペイントはカワイイ



山下 すごい数ですね。(上の写真はごく一部)
ええと、こういうの何ていうんでしたっけ。
尾関 トールペイント。
山下 あ、はいはい。
尾関 簡単に言や、日用品に絵を描くこったな。
山下 よく主婦の人たちが趣味にしてますよね。
尾関 ‥‥俺の場合はさ、仕事だから。
山下 あ、そうなんですか。
それは、おしぼり屋さんを辞めてから?

“吉祥寺のおしぼり屋さん”のことは、
もう何年も前から知っていました。
街にイイ感じのお店ができると
必ずやってくる、有名なおしぼり屋さん。
フラリと現われては、
内装や商品の配置について、べらんめえ口調で
的確なアドバイスを残して帰る、粋なおじさん。

そんなおじさんの姿を、
ここ数年、街で見かけなくなっていました。
噂によると、おしぼり屋さんを引退したとか。
いまは自宅でカワイイ物をつくっているとか‥‥。

僕はおじさんの連絡先を人づてに調べ、
無礼を承知で電話をかけたのです。
伝説のおしぼり屋さんはいま、
どんなカワイイ物をつくっているのか、
それがどうしても知りたくて。

尾関 そ、おしぼり屋をたたんでからだな。
山下 トールペイント‥‥これはまた
こまかくて、たいへんそうなお仕事ですねえ。
尾関 好きでやってるからね、平気よ。
山下 お店に卸したりしてるんですか。
尾関 うん。あとは知り合いに頼まれたり。
クリスマスは忙しかったなあ。
山下 そういえばクリスマスものが多いですね。

山下 あ、僕はこれがいいかも、カワイイ。
山下 下の子犬! カワイイなあ。
尾関 男のくせに「カワイイ、カワイイ」って、
おかしなことを言うねえ。
山下 だってカワイイじゃないですか、
尾関さんが描いたってことも含めて。
尾関 とても俺が描いたとは思えねえってか。
山下 はい(笑)。
尾関 みんなそう言うんだよなあ‥‥。
山下 ‥‥この6畳間、尾関さんの工房なんですね。
尾関 ああ、俺が占領してるわな。
山下 ん? これ、描きかけですか。
尾関 おう、あんたが来るまでやってたんだよ。
山下 そうですか‥‥‥‥あの、尾関さん、
お願いがあるんですけど。
尾関 あ? なんだい。
山下 僕に、1個、描かせてもらえませんか。
尾関 ‥‥‥‥は?
山下 描いてみたいんです。
尾関 ‥‥‥‥ぐはははははは!
いきなりやって来て、描かせろってか!
山下 あ! す、すみません、あの‥‥。
尾関 いいよ! 描いていきなよ。
あー、おもしれえなあ‥‥。
山下 あ、ありがとうございます。
尾関 こいつが一番簡単だから、これにしな。
山下 これですね、はい。
尾関 じゃあ、ここへ座っちゃえ。
山下 はい。‥‥いいですか、やって。
尾関 おう、自由にやってごらんよ。

道具を借りて、僕は描きはじめました。
尾関さんは、絵を教えてはくれません。
教えてくれるのは、道具の使い方だけ。
絵に関しては、
自由がいちばんとお考えなのです。
「型にはまるな」と何度も言われました。

山下 ドアを丸くしてみたんですけど‥‥。
尾関 いいんじゃねえの。
山下 よし、じゃ次は緑色を使います。
絵の具を出してと‥‥。
尾関 おい、出しすぎ、ちょびっとでいいんだよ。
山下 ご、ごめんなさい。
尾関 それからな、使った筆はこうやって
転がしておかないで必ず水につける。
毛が固まっちまうだろ。
山下 はい、すみません。

僕が描いている間、尾関さんは
いろんなお話をしてくださいました。
生まれはボルネオであること。
小学校からずっと吉祥寺にいること。
昔の吉祥寺にはいい店がたくさんあったこと。
吉祥寺が好きだから、
新しい店には必ず顔を出していたこと。
ボクシング観戦が大好きで、若いボクサーを
おしぼり屋さんで何人も雇っていたこと。
奥様とふたりで暮らしていること。
鎌倉に嫁いだ娘さんが、ひとりいること。
数年前にからだをこわしてしまったこと。
でもいまは元気で、
毎日がたのしくてしょうがないこと‥‥。

山下 ああ、しまったー。
尾関 なに、どうしたの。
山下 家の前の草ですよ、
これを、ドアの前にも描いてしまいました。
尾関 そんなのべつにいいじゃん。
山下 でも、これじゃ、ドアが開きません。
尾関 それはよ、ずっと手前にはえてる草なんだよ。
わかる? だからそのドアは開くの。
山下 あー、なるほど、遠近法。
おじさん、頭やわらかいですねえ。

いつの間にか「おじさん」と呼んでいます。
やがて、作品は完成。
右が僕ので、左がおじさんの。
やっぱり違います。ドアの前に草ないし。


山下 これは、たーのしいですねー。
尾関 あはははは、
しあわせな男だなあ、おめーも。
それ、ふたつとも持ってきなよ。
山下 はい。ええと、道具を片づけないと。
絵の具は、どこにしまいましょう?
尾関 いいよ俺がやるから。
山下 いや、でも自分で片づけないと‥‥。
尾関 いいって言ってんだろうが!!
色によって、しまう場所が決まってんだよ!
山下 は、はい‥‥。
尾関 ‥‥あんたさ、甘いもん食える。
山下 え? 大丈夫ですけど。
尾関 じゃ、あべかわ食いなよ、ほら。
山下 僕が描いてる間に?
尾関 とっくにお昼過ぎちゃったよ‥‥。
ほら、ちまちま写真なんか撮ってねえで、
食いなよ、冷めちまうだろ。
山下 あ、はい、いただきます。
尾関 韓国も食え、うめえぞ、韓国。
山下 は、はい。(キムチのことなんだ)

あべかわ餅4個と韓国を食べて、
お腹はいっぱい。
僕は「次の仕事があるので」と、
おいとまを告げたのでした。

尾関 なんだよ忙しぶりやがって‥‥また来なよ。
山下 はい。
あ、そうだ、トールペイントの
お金を払わないと。おいくらですか?
尾関 しょっぱいこと言うんじゃねえよ。
山下 でも、お仕事のものだから‥‥。
尾関 うるせえな、いいんだよ!
山下 そ、そうですか‥‥ではお言葉に甘えて。
尾関 あと、これもやるよ。ウサギさん。
俺が描いたの。
山下 ええ! こ、これは‥‥‥えええー!
尾関 トールペイントの絵の具でよ、
キャンバスに描いてみたんだよ。
額も俺の手作り。
山下 そんなたいへんなものを‥‥。
尾関 いいから、やるって。
あと、なんかねえかなあ‥‥。
あ、バナナ持っていきなよ、バナナ。
山下 もう、ほんと、たくさんですから。
尾関 ん? 待てよ‥‥ひいふうみい‥11本か。
あんたんとこ、3人家族だよな。
山下 はい。
尾関 じゃあ(2本ちぎる)9本持ってけ。
ひとり3本ずつだ。
ケンカしねえで食えよ、仲よくな。
山下 お、おじさん‥‥‥‥‥‥‥‥。


とても寒い日だったけれど、
かわいさで、こころが、あたたかくなりました。
おじさん、絶対また、遊びに行きますね。

お値段のこととか、
あんまり聞いてこなかったのですが、
僕が描いた家のやつの裏に磁石がついて、
卸し値250円だそうです。

最後に、ひとつ。
76歳はおじいさんではなく、
ぜんぜん余裕で、おじさんでした。

2004-01-14-WED

HOME
戻る