第3回 現役復帰。

糸井 コーチになることを前提に
引退を決意した川相さんが、
原さんが辞めたことによって
ちゅうぶらりんになってしまった。
そのへんのことは、
元野球記者の人がきっと覚えてますね?
赤坂 よーく覚えてます(笑)。
あのときは、けっきょく、
球団フロントも原さんの辞任と
その対応で手一杯になってしまって、
川相さんのこと忘れてるわけですよ。
まぁ、忘れてるわけじゃないにしても、
川相さんのフォローまで手が回ってない。
だけど、いくらなんでもこれは
時間が経ちすぎだぞ、っていうときに
スポーツニッポンの記者が
球団代表のところに行って訊くんです。
「すいません、川相さんは
 どうなってるんでしょうか?」って。
で、「ああ! しまった!」って
あわてて電話することになるんです。
糸井 すごい話ですね!
川相 そうですね(笑)。
赤坂 当時、ぼくは日刊ゲンダイにいたから、
その対応のまずさについては
ずいぶん書いた記憶があります(笑)。
球団、後手後手だと。
糸井 なにをやってるんだと。
赤坂 なにをやってるんだと。
監督は辞めちゃうわ、
功労者は店ざらし(たなざらし)だわ。
糸井 「店ざらし」(笑)。
で、店ざらしされてる本人からすれば、
カンベンしてくれよ、ですよね。
川相 そうですね。
糸井 どんな気持ちでした?
川相 そのときに、まず考えたのは、
「現役復帰できないか?」ということです。
糸井 あーーー、そうか。
川相 まずはジャイアンツで、
現役復帰できないか。
ジャイアンツがムリなら、
それ以外の11球団のどこかでできないかと。
糸井 コーチではなく、選手として。
川相 はい。
声をかけてくれるところがあれば
やってみたいと思ってました。
赤坂 ‥‥こういう話が出るだろうと思ってね、
いろいろ用意してきたんですよ。
たとえば、これなんか、どうですかね?
2003年10月6日のスポニチ1面です。
糸井 うわーーー(笑)。
川相 なんでまた(笑)。
赤坂 あると、わかりやすいじゃないですか。
ほら、なかなかいい一面ですよ。
『堀内巨人断った 40歳まで現役で』
川相 断ったときのやつですか。
赤坂 そうです。
川相 ああ、そうだ。10月6日だものね。
原さんの会見が9月26日だったから。
糸井 そうか、コーチ就任の要請が
あとからあらためてあったわけだね。
つまり、原さんが辞めたあとの
「堀内巨人」から打診があったと。
赤坂 水面下だったと思いますけど、
流れとしては、そういうことですね。
糸井 で、川相さんがそれを断って、
現役復帰を目指す、という一面なんだ。
赤坂 そう。で、『40歳まで現役で』。
糸井 なるほど、なるほど。
じつは、ぼくも、ただの巨人ファンとして
報道を見ながら、原さんのいない来年に、
川相さんがコーチとして残るっていうのは
きっとないだろうと思ってた。
赤坂 はい、はい。
糸井 で、現役復帰っていう選択は、
もう、大拍手なんですよ。
ただ、それがなにを意味するかというと、
あの川相がほかの球団の
ユニフォームを着るということで。
川相 (笑)
糸井 それはね、
スポーツファンとして拍手しながらも、
「やりづれー!」って思いましたよ。正直。
赤坂 しかも、けっきょく、同じセリーグの
中日に決まったわけですからね。
糸井 そうなんだよー(笑)。
そりゃぁ、複雑だったよ。
だって、川相だからね!
川相 (笑)
糸井 いや、選手を続けてくれるのは、
ほんとにうれしかったんだけどね。
ここでまた、元野球記者の人に訊くけどさ。
赤坂 はい。
糸井 誰が、どういうふうに動いて、
川相さんが中日へ移ったわけ?
赤坂 落合さんですよ。
糸井 あ、やっぱり。
赤坂 あのとき、落合さんは、
日刊スポーツの専属評論家だったんです。
で、ある日、落合さんが──。


(続きます)
2010-12-03-FRI
まえへ トップページへ つぎへ
(c) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN