主婦と科学。
家庭科学総合研究所(カソウケン)ほぼ日出張所

研究レポート44
すっごいなあ、南方熊楠!


ほぼにちわ、カソウケンの研究員Aです。

科学の研究をしている人たちは
もちろんやりっぱなし〜、ということはなく
研究の具体的過程や結果を
文書、つまり論文にまとめねばなりません。
みずからの研究を世界中の人々と共有できるように
英語で書かれた学術的な雑誌に投稿するのです。
そこでその雑誌の審査員に
「うむ、この論文は載せてもよかろう」
と許可されると
その学術誌に掲載されることになり
研究の「成果」となるわけです。

そして、当然というかなんというか
その雑誌の種類にも「ランク」というものがあります。
科学の学術誌の中で最高位に位置するのが
イギリスのNature誌アメリカのScience誌
これらの雑誌に論文が掲載されることは
ちょっとしたステイタスです。

ランクの高い雑誌に論文を載せることが
研究の目的ではないにしても
研究者としては「いつの日か」と
憧れるもの(だと思います)。
例えて言うならば
スポーツ界におけるオリンピック出場であり
文学界における芥川賞・直木賞であり
芸能界における「笑っていいとも」出演であり
…って、なんだか例えが相応しくなくなっている気が。
まあとにかく科学者的には
「一流の仲間入り」の証明である名誉なこと!

研究員Aの学生時代でも
「あの研究室はNatureに論文載ったことがあるらしい」
とか「こっちの研究室は2報あると聞いたよ」
なーんて会話がされたものです。

さて、日本人でその一流誌Natureに掲載された
回数の記録保持者は? というと
南方熊楠(みなかたくまぐす)という人なのです。

Natureに載った南方熊楠の論文は
なんとその数50報。ケタ違いですよケタ違いっ!
「あの研究室は載ったことがある、ない」
のレベルじゃーありませんっ。
明治生まれの南方熊楠ですが
未だにこの記録は破られていません。

しかもこの南方熊楠、
○○大教授、とか、△△研究所主任研究員
とかの肩書きナシ。
まるっきりのフリーの研究者でありました。
勤め人ですらなかったのです。
つまり、自分で勝手に「研究をしている」
と称しているという点では
「カソウケンの研究員A」と
大差ありません(ほんとかよ)。

この南方熊楠、密かに「知の巨人」の誉れ高い
すっごーーーー(15秒くらい延ばしてね)い人。
でも、実はその割には国内での知名度が低い。
「初めてそんな名前聞いた」って人も
多いのではないでしょうか。
日本にもこんなにスケールの大きい
科学者がいたというのに
余り知られていないのは残念極まりない!
というわけで、今回はこの南方熊楠という人について
レポートしたいと思います〜。

居酒屋で外国語習得?!

先ほど南方熊楠を「科学者」と書きましたが
彼のことを「科学者」と言ってしまうのは
正確な表し方ではありません。
もちろん、科学的にも大きな成果を残しましたが
それ以外にも人類学、民俗学、宗教学、考古学…
などなどキリがないのでこの辺でやめときますが
素晴らしい研究成果を残しているのです。
まさに日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ!
科学の分野でも多岐にわたり
植物学・動物学・天文学…
とこれまたキリがないのでこの辺でやめときます。

語学の天才で18カ国語に(一説によると22カ国語!!)
通じていたと言われています。ありえなーい。
そんな彼の語学学習法、興味ありますよね?
どんなものかと言いますと…。

・その土地の居酒屋に行って、会話を聞く。
 どの土地でもたいてい会話の内容は一緒なので
 自然と言葉を覚えられる。
・対訳本(同じ文章を片ページ毎に
 違う言語で書いてあるもの)を
 一冊も読めばたいていの言葉は理解できる。

参考になりました? いや、ちっともなりません。
どーしてそれで18カ国語もマスターできちゃうのさ。
ま、とにかく、語学の天才であったわけです。

そして、抜群の記憶力を誇る彼。
幼い頃から神童といわれた熊楠は
一度読んだ文章を暗記してしまうのです。
8〜9歳頃の話ですが
蔵書のある友人がいれば遠路であろうが訪れ
借りて読みます。
そして読みながら頭の中に叩き込み
帰宅してから(!)その暗記したものを書き写すのです。

そのように筆写したものは
「和漢三才図絵」105巻・本草綱目25巻・諸国名所図絵…
ときりがないのでこの辺でやめときますが
これらを12歳の時までに成し遂げてしまいます。

南米のサーカス団で菌の研究?!
ほがらかさんも研究?!

経歴も普通の学者らしからぬもの。
大学予備門(現在の東京大学の前身)に入りますが
落第して退学してしまいます。
そしてアメリカに渡りますが
またもや二度にわたって中退。
その後熊楠の場合は南米に渡り
サーカス団に入ったりして菌類の採集に励むのです。
そして、今度はイギリスに渡り
大英博物館で研究を続けました。

学問は大好きだが、学校へはろくに通わなかった。
その後も高等教育を受けるわけでもなし
特定の師につくわけでもなし。
南方熊楠は数十人分もの研究をした
と言われますがその下地はほぼ独学なのです!

今回あらためて何冊か彼の本を読んだのですが、
分野がとにかく広いし、
一つ一つも深くて難しい(ように見えます)。
「ほがらかな人々」なんていうことについても
大論文を書いて、
ひとつの立派な学問にしているほどなのです。
これだけ凄い人であるからこそ?
やはりというかなんというか
奇人としても名高いのであります。

酒癖は悪いし
暴力事件はたびたび起こすし
常識人とはほど遠い人。
というわけで大多数からは
「ただの変人」と見られることが多かったみたい。
でもこの熊楠の「変人」ぶりを伝えるエピソード
もーとにかく面白くてアホで魅力的で!

彼のプライベートのエピソード、
下ネタ系のものが多いんですよ〜。
暑いからとほとんどの場合「すっぽんぽん」でいたので
あるときおチンチンの中にダニが入ってしまいました。
腫れ上がって熱くてかゆくてたまらないので、
ふと思いついて
殺虫剤を尿道に吹きかけて退治することに!
(しかも、信じられないくらい大きくなったからと
 わざわざ測定までしている)
やはりというか、なんというか痛くて痛くて
(「灼け火箸を突っ込まれたような痛み」ですって)
熊楠は絶叫して庭を転がり回る羽目になりました。

ここで終わったらただの変わった人ですが
ここはさすが南方熊楠。
インドの仏教の似た話を引用して
「大考察」を展開しちゃいます。
何しろ、天下の博覧強記ですから何でも知っているのです。
ただのヘンな人かすごい人かよくわかりません。

ここから先の詳しいところは下に紹介する
参考文献にお任せしますが
とにかく「愛すべき存在」であったことは確かです。

エコロジーということばを
日本で最初に使った人!

恐ろしいまでの多方面にわたる成果を残した彼ですが
今の私たちにとって特にびっくりするのは
「エコロジスト」としての側面でしょう。

エコロジーとは対象となる生物を
単独で見るのではなく
他の生物や環境との関係で捉える学問。
最近はエコロジーという言葉は普通に使われているし
「エコなんとか」「なんちゃらエコ」という用語も多く
ちょっとした流行にもなっている感があります。
このエコロジーという言葉を日本で最初に使ったのも
南方熊楠だといわれているのです!

当時「神社合祀令」という
国を挙げての神社を統廃合する法令が出されました。
神社をつぶしてしまうだけでなく
森林を伐採してお金にすることを目的とした
不合理な合祀も数多く行われてしまいました。
なんとこの合祀令のあと、三重県の神社の数は1/7
和歌山県は1/5に激減してしまったのです。

これを憂う熊楠は
全力を挙げて合祀反対運動を繰り広げます。
このとき「エコロジー」という言葉を紹介して
自然保護を訴えているのです。
「植物の全滅ということは、
 ちょっとした範囲の変更よりして、
 たちまち一斉に起こり、
 そのときいかにあわてるも、容易に恢復し得ぬを
 小生まのあたりに見て証拠に申すなり」
(南方二書)

粘菌など植物の研究に尽くし
しかも大局的な視点を持って学問をしていた
熊楠だからこそ言えた「先見的」な言葉です。
なんといっても今から100年近く昔ですからっ!

また他の書でも、アブラムシのような害虫も
福をもたらすという俗説にも一理あるとして
「世界に不要のものなし」とも言っています。
レイチェル・カーソンが
環境保護の先駆的名著と言われる
「沈黙の春」を出版したのが1962年。
それよりも半世紀も前にクマグスは同じ趣旨を訴え
しかもエコロジーの運動をしていたのですね。

孫文、柳田国男、昭和天皇にも
認められた、にもかかわらず‥‥

Natureへの投稿論文などから
世界では名の知れた学者であった熊楠ですが
日本での評価は芳しくありません。
学歴もナシ、職もナシ、しかもすごい変人。
学閥だとか権威だとかを大事にする日本には
受け入れてもらえなかったんです。
学問的に価値があれば無名だろうがなんだろうが
論文を掲載するNature編集部ですが
これが当時の日本の雑誌だったら…まずないかも。

一方で、そんな熊楠の才能を見抜いた人たちもいます。
友人づきあいをした中国の革命家、孫文。
大量の手紙をやりとりして
共に民俗学を作り上げた柳田国男などなど。

そして、昭和天皇もそんな熊楠を評価した一人でした。
当時皇太子だった昭和天皇は
宮中に生物研究所を設立するほどの学問好きで
生物学者として知られています。
天皇はあるときイギリスからの文献で
南方熊楠という人物を知ります。
そこで、彼の進講を希望したのです。
進講とは天皇の前で学問を講義すること、です。

熊楠ような無位無冠のものがご進講をする
というのはほんとうに珍しいこと。
昭和天皇の学問への情熱が伺えますね〜。
戦前の話ですから、皇太子といえば神様のようなもの。
国内では不遇な立場にいた熊楠にとって
相当名誉なことであり、喜びであったようです。

今でこそその業績を再評価されている熊楠ですが、
当時の評価は勿体ないなあ、気の毒だなあって
思ってしまいますよね。
実際、柳田国男も彼のことを
「巨人が縛られたような状態」と評しています。
確かに、時代が早すぎたばかりに
その才能は無視されていました。
もし当時の日本が彼を受け入れていれば
もっと恵まれていたのになあ、なんて…。

でも、熊楠の長女である南方文枝さんは
「誰にも束縛されることもなく、ただひたすら
 自ら選んだ自然科学の世界に生き抜いた父は、
 よき時代に生れ、よき友人を得、
 幸せな生涯を送った人である」
と語っているのです。

なーるほどっ! 正真正銘の自由人だったからこそ
興味の赴くまま、ぽんぽんと飛び石をするがごとく
広い分野に足跡を残すことができたんでしょう。
彼はアウトローになって「しまった」のではなく
自分にとってふさわしい
アウトローとしての道を選択したのでしょう!
だって、彼のスケールに収まるような
学校なんてあるわけないし
勤め人としての研究者なんてこともあり得ない話。

オリンピックで日本人の活躍を見ると嬉しくなるように
こんなユニークで偉大な学者が日本にもいた!
と思うと嬉しくなっちゃう研究員Aでありました。



参考文献
自由のたびびと南方熊楠 三田村信行 PHP研究所
南方熊楠を知っていますか? 阿部博人 サンマーク出版
南方熊楠物語 高沢明良 評伝社 *絶版
縛られた巨人 南方熊楠の生涯 神坂次郎 新潮文庫

参考サイト
南方熊楠記念館

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2004-09-10
-FRI


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