永田 お会いしたかったんです。
刈屋 よろしくお願いします(笑)。
永田 あの、簡単に経緯だけ説明いたしますと、
ほぼ日刊イトイ新聞というところで
2年前のアテネオリンピック
そして今年のトリノオリンピックと、
読者参加型の特集をやりまして、
そこで刈屋さんの実況の人気が
ものすごく高かったんですね。
で、ぼく自身も、
にわかスポーツファンとして
いつも刈屋さんの実況に助けられていて。
ぜひ一度お話をということで
うかがわせていただきました。
刈屋 ありがとうございます。
よろしくお願いします。
永田 よろしくお願いいたします!
あの、ニュースなどを見ていますと、
「栄光への架け橋だ!」にしても
「荒川静香にキスをしました」にしても
刈屋さんの実況というのは
いまや完全に一人歩きしていますね。
刈屋 そうですね(笑)。
永田 ご自身は、そのことについて、どうですか?
刈屋 そうですね。
けっきょく、スポーツの中継というのは、
どんな名ゼリフであろうと
言葉だけで成立するというケースはないんですね。
その瞬間の映像とか、
その勝負のすごさとかと
重なって初めてインパクトを持つものであって、
その瞬間にだけ、存在できるものなんです。
ですから、あの言葉にしても、
もう、自分からは完全に
離れてしまっているという感じです。
永田 ああ、そういうものですか。
「そんなつもりで
 言ったんじゃないのにな」
みたいなこともとくに感じず。
刈屋 そうですね。
少しはありますけど、
そういうことを目的として
発した言葉じゃないですからね。
ぼくの表現としては、
もうあそこで完結してしまっているんですよね。
ですから、あとはもう、
お好きにどうぞ、という感じですね。
我々にとって大切なのは、
あの「瞬間」ですから。
永田 後はもう、受け取る人がどう遊ぼうが
デフォルメしようが、自由であると。
刈屋 はい。自由ですね。
そもそも、あとに残るようなことを考えて
言葉をつくりながら実況していたら、
たぶんその「瞬間」に
追いつかないと思うんですよね。
永田 ああ! そうですね。うんうん。
刈屋 あくまでも「生」が勝負ですから。
その「生」にすべてを投入して
もう記録として残っちゃったら
あとは、お好きにどうぞ、という感じですね。
たとえばこれが、活字になるというと、
また違うと思うんですよね。
活字になると、それが残って、
「勝手に解釈しないでほしい」とか
「こういうつもりだった」とか
いうことになるのでしょうけど、
テレビで、しかも生放送ですから、
われわれはあの瞬間がすべて、ですね。
永田 ああー、なるほど。
あっさりひとつめの答えが出て
スッキリしました(笑)。
刈屋 あはははは。

2006-06-05-MON

(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN