都築 ぼくもやっぱり
演歌は歌詞に惹かれました。
そこから好きな歌を探していくと、
けっこうおんなじ作詞家がやってるな、
というのが、だんだん見えてくる。
糸井 たとえば、吉岡治さん。
都築 そう。どろどろ系と言えば、
この人だな、という感じがありました。
亡くなる直前にインタビューできて、
すごくうれしかったです。
いまはああいった職業作詞家を
レコード会社が育てるシステムがありません。
だから、専門じゃない人が書くしかないという
実情もあるでしょう。
最近、歌に深みがなくなってきたというのも、
しかたないのかもしれない。
だって、二十歳の子に、ねぇ?
みうら うーん、作れないですね、あれは。
田島 いま、レコードを作る現場は、
当時からすると、
違うものになってると思います。
物事を決めるとき、
「このアーティストをこうしよう、
 このキャラでいこう」
とか、言ってくれる人は、
あんまりいないですし‥‥。
都築 昔のプロデューサーみたいな人が。
糸井 「先生、この“足の爪”はちょっと‥‥」と、
吉岡さんを止めるような人が。
一同 (笑)
田島 そうですね。
それはもうけっこう、
10年ぐらい前からいなくなっています。
糸井 わりとすべて「バンドまかせ」なんでしょうか。
田島 だいたいそうなってるんじゃないかなぁ。
都築 そっか‥‥。
田島 ぼくがデビューした当時は、
レコード会社に
歌謡曲のディレクターのような方がいました。
そういう人と歌入れをすると、
まず、歌詞のことをわかってくれてるから、
パッと見て、
じゃここ、こう歌おうよ、ああ歌おうよ、
ということになります。
だけどいまそういうことはなくなってて、
歌入れする場合は、エンジニアの人と
ピッチがいいよね、リズムがよかったよね、
という話しかしないです。
糸井 田島くん、すごいね、その話は。
都築 うん‥‥。
田島 いま、アーティストが
自分で歌詞書くことが多いですよね。
糸井 もう、当たり前ですよね。
田島 自分とディレクターがいっしょになって
作りあげていくというよりは、
ひとりで書くようになって
それで「よし」ということに
どんどんなっていきました。
都築 うーん‥‥それは、
雑誌界に編集者がいなくなったのと
一緒かもしれない。
いま、名編集者みたいな人、いないですから。
田島 この地点から当時のジュリーを見ると、
対極として、
いろんな人がものすごく
練り上げたものがあるように思えます。
糸井 「TOKIO」だって、
ぼくは、作詞を頼まれたんじゃないんです。
田島 えっ、そうなんですか?
糸井 まず、ジュリーのプロジェクトというものが
ありまして‥‥
つまり、「ジュリー」で
たくさんの人がごはんを食べているわけです。
その中にはプロデューサー、
ディレクターもいました。
彼らがぼくに
「ジュリーのアルバムタイトルを作ってください」
と言ってきたんです。
都築 そうだったんですか。
糸井 当時のジュリーには
「勝手にしやがれ」とか「抱きしめたい」とか、
そのままアルバムタイトルにできるような
名曲がたくさんありました。
だけど、新しく作れということだったので、
「えいっ」と思って
主人公を東京(TOKIO)にしちゃった。
そうこうしているうちに、
「中の曲のタイトルも作ってください」
と言われました。
つまり、沢田研二さんの
「TOKIO」というアルバムは、
曲のタイトルだけ、全部
俺がつけてるんです。
都築 すごい。
そんなことあるんだ。
糸井 当時はね、ありました。
それぞれのタイトルを
作詞家に配って、詞を書いてもらいました。
「じゃ、アルバムタイトルのTOKIOって曲は
 糸井さんがやってください」
と言われて、書いたのがあの歌です。
そうじゃなければ、俺は、
作詞をあんなふうには引き受けませんでした。
みうら いかにジュリーのプロジェクトが
本気で動いてたか、ってことですね。
田島 「タイトルを考える人」
「ステージに立つ人」
「パフォーマンスを考える人」
と、寄ってたかってひとつのものを
作っていた時代です。
都築 そうですよね。
ステージに立つ人と詞を作る人が
いっしょになって
よくないことがあるとすれば、それはやっぱり
「経験がないものは書けない」ことです。
二十歳ぐらいの子に、
「自分に自信を持とうよ、イエイ」
とか言われても、
うるせー、という感じに、どうしてもなります。
だったら、足の爪がいいです。
一同 (笑)
田島 若くしてそういったことを
書ききる人はなかなかいません。
以前は、ディレクターなり、いろんな人に
教えてもらって自分で作っていく、
ということがありましたが‥‥。
糸井 だけど、その状態でも
音楽産業はありえたんだ、
ということに
逆にすごみを感じますよ。
田島 でも、それが行ききっちゃったのかな
という気がします。
いまは、そのツケが来ちゃってる。
糸井 そういえば1年ぐらい前、吉本隆明さんに
「軍歌がいい理由は、
 依頼した先の作曲作詞の人が
 一流だったからだ」
と伺ったことがあります。
都築 そうなのか。
田島 そうかぁ。
糸井 作り手が「いやいや」でもなんでも、
すごい人が作ってたんです。
だから、いいんですよ、って。
田島 そうかぁ。
歌謡曲だって、ずーっと
すごい人が作ってましたね。
(つづきます)


2011-01-31-MON