会社はこれからどうなるのか?
「むつかしかったはず」の岩井克人さんの新刊。
『会社はこれからどうなるのか』(岩井克人/平凡社)
これは、いま読むべき、とても重要な本だと思います。
経済学のプロ中のプロが持っている重要な知識を、
1冊で「素人の知識」として受け取ることができるから。

「会社」を経営する人も、「会社」で働いている人も、
「会社」からモノやサービスを買う人も、
「会社」って何で、「会社」をどうしたいのか、
どうつきあっていくか、考えてもいい時期だと思うのです。

あまりにもおもしろい本だったので、
岩井克人さんに、興奮気味に、いろいろ訊いてきましたよ!
インタビュアーは、「ほぼ日」スタッフの木村俊介です。

第2回 成功を約束されていたけれど


『会社はこれからどうなるのか』
(岩井克人/平凡社)

今回、特に気合いの入った
話をしてくださる岩井さん。
一所懸命働いている人には、
必見の談話が、続きますよ!
ほぼ日 『会社はこれからどうなるのか』は、
どこの章を読んでも、すごくおもしろいです。

そのおもしろさの理由は、
「岩井さんの理論自体」にも、
もちろんあると思いますが、同時に、
「個人は、どう生きるべきか」
という問題意識が、
いつも本文に反映されているからでは?
と感じたんです。

その点が、ふつうの経済の本を
読んでいるよりも、読者にとっては
「おもしろい!」と感じるところだと思います。
岩井 インタビューという共同作業の中で、
編集者の西田くんが、常に
「会社の中でどう生きるか?」
という問いにわたしが答えるように
プレッシャーを与えてくれましたから(笑)。

わたしのほうでも、そういうテーマに
なるべくお答えするように心がけていたことが、
結果に出たんですね。
ほぼ日 この本を読んでいると、
会社に勤めている人も経営者も、
途中で何度も、自分の仕事と生き方に関しての
刺激をあたえられるだろうなぁ、と思うんです。

岩井さんは、本の冒頭で、
「わたし自身、
 一度も会社で働いたことがない
 純粋培養の学者です。
 そのようなわたしにできる唯一のことは、
 現実とはすこし離れた位置から、
 物事を構造的・長期的に眺めてみることです」
と書かれてはいらっしゃいます。

ただ、勇気の出てくるような
本の書きかたをされているので、ふと、
「どんな生き方をしてきた人が、
 こういうものを書いたんだろうなぁ」
という興味が沸いてきたんです。

岩井さんの経歴は、
マサチューセツ工科大学で博士号を取り、
イェール大学で助教授をつとめたあとに
日本に戻るというドラマチックなものですし、
研究生活のなかでは、当然、
学問的な動機の変遷もあったと思うんです。

30年前ぐらいからの
岩井さんの学問的興味が、
どう推移して最近の研究に至っているのかを、
お聞かせいただけますか?
岩井 わたしがアメリカで研究するようになったのは
ほんとうに「偶然」なんです。
わたしは日本の大学院に
行こうと思っていたのですが、
1969年に日本で大学を卒業した時、
有名な東大闘争というものがあって、
行くことができなくなってしまいまして……。

ゼミの先生などを中心とした
さまざまなかたが、その時
大学院を志望していた学生のうちの
何人かに対して
アメリカに推薦状を書いてくださり、
それでわたしは、
アメリカの大学院に行くことになりました。

家もお金持ちじゃなかったので、
外国なんてあんまり考えていなかったのに、
まったく思いがけず
アメリカで大学院生活を送りまして。
そのまま研究者として居残りました。

わたしの場合は、そこで
研究者としての「大志」を抱いてしまいました。

大学院一、二年の時に、
研究者としての論文を
いくつか、すぐに書けちゃったんです。
数理経済学をやっていまして、
わたしは当時、
世界でいちばん期待された若手と言っていい。

でも、ちょっと、
わたしは、野心も非常に強かったので、
それだけじゃ不満になってしまい、
いわゆる「偉大な著作」を書こうという
意図を持ってしまいまして……。


そこからも7年間くらいかけたんですけど、
『不均衡動学』という本を、
わたしは、ずーっと書くことにしました。
そして、それを発表した。

これは、いまだに、
わたしが書いたもののなかでも、
いちばん重要な著作の
ひとつだと思っているんですけれど、
それを書いて提出したおかげで、
わたしは学会の主流から見事にはずれました。
主流派から、一気に、異端、ですね。

日本では評判がよかったですし、
ヨーロッパでも、イタリアかなんかでは
読まれたらしいのですが、
アメリカでは黙殺に近いかたちでした。

わたしは、一時は、
アメリカでの成功を約束された人間でした。
ただ、アメリカの中で
学者としてガンガンやっていくためには、
ある面では、わたしが大学院生のときに
書いたような主流派の論文を
どんどん量産しなくちゃならなかった
わけです。

ところが、わたしは、
ケインズやハイエクといった
古典に匹敵するようなものを書こうなどと
7年間も本を書くことに没頭してしまった。
しかも、主流派にさからう内容……。


これでは、アメリカの学問の世界では
出世しないわけで、ともだちは、
「おまえはバカだ。
 もうちょっとガマンして、
 たくさん論文を書けばよかったじゃないか。
 著作は、教授になってからでも、よかったはず。
 なんで、そういう身の処し方をしなかったのか?」
わたしに、そう言いました。

でも、そういうことをしていたら、
すぐに40歳以上になってしまうと
思ったんですね。

実際、当時のわたしのまわりで
近い考えを持っていた優秀な人はいましたが、
それこそみなさん、いまは主流派のなかで
ものすごく偉くなっています。
「ミイラとりがミイラになってしまった」
というのが、ほとんどですから……。
ほぼ日 自分だけの道を、開拓したんですね。
岩井 いや、いま、すこし
自分のことを美化したところも
あると思いますが、たぶんわたしも、
もし、もっと貧しい国から来ていたとしたら、
そういう道は絶対に選ばなかった
んです。

すでに、
日本では高度成長が終わっていた時期に、
わたしはアメリカに来ています。
だから、日本というのは
ある程度は繁栄した、戻れる場所でもあった。
正直言って、そういう保証があったからこそ、
わたしは、異端的な道を選べたわけでして……。
やはり、生活がかかっているとか、
アメリカで一生過ごさなければならないだとか、
そういう人だったら、絶対に
わたしのようなことは、しなかったでしょう。

ですから、自分の選んだ道は、
冒険でもなんでもないんですよ。

日本という、世界の中でも恵まれた国から
アメリカに出てきているという要素は、
わたしの決断に際しては、大きかったと思います。

いまの会社員の方々だって、
外に出ようと言っても、いきなりは無理でしょう。
ある程度は、会社で働いて、人間関係を作って、
ということがなければ、なかなかね……。

だから、わたしは、若い学生たちにも
無謀な冒険を礼賛することはできません。
学生には、
「ある程度、論文を書いたほうがいいよ」
と言ってますから……。
ほぼ日 (笑)そのリアルさが、気持ちいいです。
極端なことは、言おうと思えば言えますもの。
岩井 当時のアメリカでのクラスメートや
わたしが教えた若い人の中には、
アジアやラテンアメリカや南ヨーロッパから
単身でやってきて、ほんとうにがんばって、
アメリカで名を成した学者が何人もいます。
そういう人たちは、
わたしよりも、ある意味でオトナでした。
わたしは日本人で、
ロマンチックなコドモだったんです。
ほぼ日 その人たちは、ちゃんと
「職業としての学問」を意識していた、と。
岩井 そうなんです。
わたしに関しても、
日本の出身ですから、
当時すでに、日本の先生や日本の学会での
コネクションもある程度持っていたわけで、
「アメリカで仕事をしていても、
 いざという時には日本に戻れる」
という意識や計算が、
どこか、見えないところに、あったわけです。
それが、わたしの決断に影響を与えないわけは
ないですから、包み隠さず申したほうがいいですね。
ほぼ日 (笑)
 
(※後記:
  「冒険でもなんでもない」という
  抑えた言い方も含めて、青年・岩井克人の決断に
  興奮しながら、お話を聞いておりましたよ……。
  「このまま安全な道を進んでいいのか?」
  分野は違えど、同じような気持ちになった人は、
  働き者の多い「ほぼ日」読者の方には、
  きっと、たくさんいることと想像していますが、
  あなたは、岩井さんの話に、どう思いましたか?
  postman@1101.com
  こちらに、感想をお寄せくださるとさいわいです。
  次回も、数日内に、また、お届けいたしますね!)



もくじ
  第1回  悩みは無知から生まれる
  第2回  成功を約束されていたけれど
  第3回  違和感が発見をきりひらく
  第4回  会社は株主のものではない
  第5回  「信任」こそ社会の中心
  第6回 差異だけが利潤を生む

2003-04-17-THU


戻る