ほぼ日の塾
■「ほぼ日の塾」第1期生の声。 ──終了後のアンケートより抜粋──
コンテンツをつくるときの
そもそもの動機や
「ほんとうにそれがうれしいのか」
ということについて
何度も考えるようになりました。
乗組員のみなさんが
コンテンツに対して
「それほんと?」「おもしろい?」と
向き合う姿にハッとさせられました。
課題を始める前はどこか、
自分にも面白いコンテンツが
作れるだろうという慢心がありました。
が、いざ課題を作ってみると、
そこそこの物しか作れない。
丁寧に、独創的に文字を綴れない。
例えるなら、甲子園のような立派な野球場で
試合ができると喜んで臨んだものの、
試合ではコールド負けを
食らってしまったような気持ちです。
最初は、いつも読んでいた
「ほぼ日」の裏側が学べるなんてラッキーだ、
と軽く浮かれていましたが、課題を重ねるごとに、
その気持ちは冷や汗と一緒に流れていきました。
なぜ冷や汗をかいたかというと、
自分の名前でページに掲載されるということは、
ただの「お客さん」では
いられないことがわかったからです。
正直にまっすぐ書くことが
こんなにも難しく、恥ずかしく、
勇気の要ることだと知った半年間でした。
大人になればなるほど、
キャリアを重ねれば重ねるほど
「もっとこうすれば仕事になるよ」
「成長できるよ」
とアドバイスしてくれる人もいなくなります。
「ほぼ日の塾」は、良いところは良い、
良くないところは良くないと、厳しく、
そして愛をもって指摘してくださいました。
「書ける『だけ』ではなんにもならないな」
とあらためて気付いたのが「ほぼ日の塾」でした。
もっと広く見渡して、 文章を上手に
手段として扱える人間になっていきたいと思います。
今の今まで『自分探し』をしていたように思います。
しかしふたを開けてみると
あっけないほど何もなかったです。(笑)
落ち込むと同時に、初めて
自分の立ち位置をちゃんと見れた気がしました。
あの時間は、みんなで「30人31脚」を
しているときのような感覚がありました。
参加する皆が本気だから、成り立つ。
ここまで、手厚くめんどうをみてもらえるとは
思ってもいませんでした。
「本気の正体」を教わったとも言えるかもしれません。
「本気」って「なる」ものじゃなくて、
「細かく『本当』を積み重ねたら、なってた」
みたいなものなのかなあと
塾を通して思いました。
80人クラスの時は
「ほぼ日刊イトイ新聞」よりも
「東京糸井重里事務所」の在り方について
知る時間が多かったなと思います。
一方「実践編」は、それを踏まえた上で
「読み物コンテンツ」に限定されていました。
「読み物」ではなく
経営的な部分に重点を置いていた人にとっては
実践編は参加しづらいよなあと思いました。
私的には、悩みながらも
楽しく取り組めましたが、もっと丁寧に
色々なことを教えてほしいという立ち場だったら、
個人に委ねられる部分が大きすぎて
難しい形式だったように思います。

「ほぼ日として正しいこと」が
「物を書くことすべての正しさ」ではない
という違和感を
私は解消しきれませんでした。

これが
「ほぼ日的な文章を書けるようにしましょう」
という講座だったら、それに馴染もうとするか
あるいは途中で
ちょっと合わないかもしれないと
判断できたかもしれません。
塾の課題では、「ほぼ日」で学んだことを、
思いっきり何の迷いもなく実践できて、
それにみなさんが反応してくださって、
すごくうれしかったです。
これが「拍手」なのか!と腑に落ちました。
転送してくださったメモや
読者のかたからの感想メール、
うれしくて何度も見返しました。
へへへ‥‥これであと3年くらい生きていけます。

今回仲良くなった塾生の人は
「これは普通に暮らしていたら、会えなかったなあ」
という人ばかりで
良い友達がたくさんできて、とても嬉しいです。

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