それから数ヶ月後に、わたしにも息子が生まれた。
子育てに夢中になっていたら、
あっという間に、あの日から1年が経ってしまった。
お母さんは家に来ることもあったけれど、
あれから、なんとなくわたしに
気をつかっているように見えた。
近すぎた距離は、いつのまにか、
少しだけ離れてしまったように感じた。
わたしは意外にも、それが寂しかった。
そしてずっとあの日のことが気がかりだった。
本当はわたしが泣かせてしまったことを、
お母さんは知っているの?
わたしのこと、どう思っているんだろう。
知りたいけれど、聞くのはこわい。
でも、お母さんにわたしの気持ちを誤解されたくない。
わたしはお母さんのことが、嫌いなわけじゃないんだ。
ただ、距離のつかみかたがわからなかっただけなんだ。
だからわたしは、お母さんに
謝りに行くことにした。
会って、自分の気持ちを話してみることにした。
向かった先は、中国の武漢市。
お母さんとお父さん、
それに夫が生まれて育った街だ。
お母さんの帰省中に、すこしだけ時間をもらった。
あの日のことを、自分から切り出すのは
ちょっと勇気が必要だった。
でも話すなら、今しかない。
わたしはなるべく緊張しないですむように、
お母さんの隣に座って、話しはじめた。
ーーー
- わたし
- 今日は、お母さんとゆっくり話したくて。
- お母さん
- うん。いいよ。
- わたし
-
わたしは、その、自分が日本人だから
本当はお母さんが、中国のお嫁さんが
よかったんじゃないかと思って、
心配になることもあるんです。
- お母さん
-
そうね。
本音はたしかに、中国の女性のほうが
いいかなと思っていたこともあって。
生活のしかたとか、習慣とか、合うしね。
- わたし
- はい。そうですよね。
- お母さん
-
でもわたしにとって、いちばん重要なのは、
チャンジ(夫の名前)の意見を尊重することで。
あの子が自分の意思で、結婚したいなら、
それをわたしも応援したいと思ったの。
- わたし
- はい。
- お母さん
-
それに、わたしはふたりを見て、
「ああぴったり合う。この子なら大丈夫」
って思ったのよ。
- わたし
-
ほっとしました。
中国と日本のお嫁さんを見て、
違うと思うことはあるんですか?
- お母さん
-
中国では、おじいちゃん・おばあちゃんが
子どもを見ることが多くて。
お嫁さんはそのかわり、仕事に行くの。
- わたし
-
へえ!
わたしは、お母さんが家に来て
家事をしてくれるとき、
ちょっと「申し訳ないな」と
思っちゃうんですけど‥
- お母さん
-
中国のお姑さんが家事を手伝うのは、当たり前のこと。
そうすれば、お嫁さんも仕事とかできるでしょう。
- わたし
-
そうなんですか‥?
わたしは自分が仕事に行くのは、
わがままかなと思っちゃうこともあって。
- お母さん
-
わたしが手伝いに行くときね、
友美ちゃんちょっと緊張してるでしょ(笑)
- わたし
-
あはは(苦笑)
わたしはお母さんが来るたびに、
部屋を掃除しなくちゃいけないと
思っていたんです。
でも妊娠中は、体調がわるいこともあって。
「あと30分でお母さんがきちゃう!
でも掃除できない‥」って、
思ったこともありました。
- お母さん
-
そのときはちゃんと、お互いのことが
わかっていなかったのよね。
妊娠中はなおさら、寝ていてもいいのよ。
だから手伝いにいくわけだから。
- わたし
- そうだったんですね。
- お母さん
-
友美ちゃんの気持ちもわかるよ。
でもわたしが来るからって、
掃除はしないで。自然なままで。
- わたし
-
お母さんが、すごく家事が早くて、
掃除も洗濯もかんぺきなので。
わたしもそんなふうに、やらなきゃいけない!
って勝手に思ってしまって。
- お母さん
-
わたしね、友美ちゃんと同じ年齢のころは、
ごはんもつくれなかったの。
- わたし
- そうなんですか!?
- お母さん
-
そう。
子どもが3ヶ月のときから仕事に戻ったから、
わたしのおばあちゃんが朝ごはんも昼も夜も、
ぜんぶつくってくれていたの。
- わたし
-
‥‥‥なんか、その、前に。
チャンジさんが帰ってきてすぐ、
お母さんに強く言っちゃったときがありましたよね。
- お母さん
-
ああ‥‥そんなこともあったよね‥
(ここでお母さんは、涙が出てしまう)
- わたし
-
わたしは、あのときちょっと、
風邪をひいてしまって、イライラしていて。
「いろいろしなくちゃいけない」って
勝手に追い詰められてしまって‥
- お母さん
-
たぶん友美ちゃんはわたしがくると、
気をつかっちゃったり、
チャンジはチャンジで真ん中に立って、
きっと大変だったんだろうって後からわかったの。
- わたし
-
あのときは、本当に、
申し訳ないことをしてしまったなって
今までずっと思ってきました。
- お母さん
-
うん、うん。
でも大丈夫。
大丈夫、大丈夫。
- わたし
-
中国の習慣もわからなくて。
お母さんに誤解させちゃってたら
どうしようって、思って。
- お母さん
-
でもいまは、友美ちゃんの
気持ちも状況も、よくわかったから。
- わたし
-
お母さんだって、子どもが4歳のときに
日本にはじめて行って。言葉もわからなくて。
文化もちがう中で子育てするのは、
大変なことも多かったんじゃないですか?
- お母さん
-
そうね。
お父さんはずっと中国で単身赴任だったし、
わたしは朝から赤坂の中華料理やさんで働いて、
夕方からは八王子の会社に行って、
1日かけもちで仕事していたからね。
- わたし
- 朝から晩まで、ふたつも仕事を!
- お母さん
-
そのときは、
チャンジを夜ひとりにしちゃうから、
本当にかわいそうな気持ちで。
わたしが帰ってくるまで、
ご飯も食べずに待っていたからね。
でも仕事をやめるわけにはいかないし、
大変でしたよね。
- わたし
- それは本当に‥‥大変です。
- お母さん
-
特にね、12月25日。
クリスマスもね、夜遅くまで
会社で仕事をしていたから。
一緒に過ごしてあげられなくてね。
そのときは、本当に、
心からチャンジにわるいなっていう
気持ちがあって。
(お母さんは、涙がでてしまう)
- わたし
- ‥‥はい、はい。
- お母さん
-
スウェーデンに住むわたしの妹に電話して、
「仕事で遅く帰らないといけないから、
チャンジに夜、国際電話してくれる?」って、
お願いしたりしてね。
- わたし
- ‥‥‥‥‥‥。
- お母さん
-
でもそのときから、家事がどんどん上手になって。
どういう風に子育てして、仕事して、
家庭のこともしたらいいだろうって考えて、
うまくなっていったの。
- わたし
-
わたしも、お母さんのように
いろいろできるようになるのかなあ。
- お母さん
-
できる!できるできる。
友美ちゃんもね、この先、
仕事とか、家庭のこととか、
つらいこともあるかもしれないけどね。
でもだんだん、自分が、強くなるの。
やっていくうちにね。
それをわたしは、手伝うからね。
- わたし
-
そうなるといいです。
ありがとうございます。
窓からみえた長江は、
とても大きくて、広かった。
夕陽は、中国人のお母さんのことも、
日本人のわたしのことも、
平等に包みこんでくれているようだった。
いろいろな嫁姑関係があっていい。
わたしはこの話を終えて、
なんだかとてもホッとした。
お母さんも、それまでより
すっきりしているように見えた。
お母さんとわたしの関係は、
それまでよりもずっと、
強いものになった気がした。
最後に、わたしがいま感じていることを
書いてみたいと思う。
(つづきます)