もくじ
第1回近すぎる嫁姑関係 2017-05-16-Tue
第2回お母さんを泣かせる 2017-05-16-Tue
第3回お母さんに謝りに行く 2017-05-16-Tue
第4回正直になろう 2017-05-16-Tue

コピーライターです。

中国人のお姑と、日本人の私。

中国人のお姑と、日本人の私。

担当・小森谷 友美

第2回 お母さんを泣かせる

しかし、事件は私の妊娠中に起こる。

お母さんは、
「妊娠していると大変でしょう」と
いつもより長めの2ヶ月ほど日本に滞在し、
毎日毎日わたしたちの家に来て、
中華料理をつくってくれた。

チンジャオロース、
じゃがいもの細切り炒め、
卵とトマトの炒めもの、
春雨の炒めもの、
餃子‥

あれ。

前までだったらぱくぱくと食べていた
料理たちを、なぜか体が受け付けない。

油、油、油、油。
にんにく、にんにく、にんにく‥‥。

食べられないわけではなかったし、
おいしいという感覚ものこっていたけれど、
ひとつひとつの料理が、妊娠中のわたしの体には
異質なものである気がした。

でも、せっかくつくってくれているのに
「食べられません」なんて言えない。
夫だって、お母さんの中華料理を
よろこんで食べている。
それを邪魔しちゃいけない。

かわりに、お母さんのお口にあう
和食をつくればよかったけれど、
そんな自信もなかった。

わたしは毎日、中華料理を口のなかに入れながら、
気持ちわるさと、申し訳ない気持ちを
同時にたたかわせていた。

そして、大変なのは味覚だけではなかった。

毎日お母さんが家に来るとなったら、
家をきれいにしておかなければいけない。
料理をお願いするのだから、
片付けだけはがんばって、
「お姑さん」を迎えなくちゃ。

でも、わたしはフリーランスになったばかりで、
正直言うと、家事に手をかけている暇なんてなかった。
任された仕事をとにかく仕上げることで、
頭がいっぱいだった。

朝ごはんでつかった食器は、
できればそのまま夕飯の支度をするまで
シンクに置いておきたい‥

でもお母さんが今晩も来るとなると、
そうはいかない。
わたしは毎日、お母さんが来る30分前に
洗い物や片付けをダッシュでおわらせた。

けれど、そんな日が長く続くはずもない。
ピークはわたしが風邪をひいた日にやってきた。

いつものように、お母さんが来る前に
片付けるため立ち上がろうとするけど、
体が鉛のようにうごかない。

まだ部屋には、
畳んでいない洗濯物や、
郵便受けから取りだしたままの封筒類、
仕事関係の書類などが散らばっている。
キッチンは、昼ごはんの残骸がある。

どうしよう。
これを見られたら、家事もやらずに、
ダメな嫁だって思われちゃう。

でもやっぱり、体はだるくて、
起き上がることができなかった。
髪はぼさぼさで、とてもじゃないけど、
「お姑さん」を迎える体制は整っていなかった。

こんなことなら、もう来なくていい。
夕飯はてきとうに魚を焼いたりするから、
頼むから、こんな姿を見せたくない。
体調もわるいし、ひとりにさせてほしい。
でもわたしは、それが言えなかった。

そのかわり、わたしが開いたのはスマホである。

「義母」で検索をすると、
インターネットには無数の愚痴がころがっていて、
それを片っ端から拾って読んだ。
わたしの立場をわかってほしい。
わたしの気持ちは正しい。
そう思いたかった。

でも、読めば読むほど、
誰かのお姑さんに対する愚痴が、
わたしのなかに溜まっていく。
不満はどんどん、ふくれあがっていく。

それを夫に、メールで吐き出してしまった。

その日、お母さんはいつもの時間に家にきた。
ソファに横たわるわたしを見るなり、
とても心配そうな顔をして
毛布をかけてくれ、お湯をつくってくれた。

散らかった部屋は、お母さんの手によって、
てきぱきと片付けられていった。
台所からはいつもの中華の
油のにおいがしはじめた。

お母さんが来てくれて、
本当に助かっているのに、
わたしは不甲斐ない気持ちでいっぱいだった。
できればこんな姿を見せたくはなかった。

しばらくして、夫が仕事から帰ってきた。
お母さんは台所で炒め物をしながら、
すごく嬉しそうにニコニコして
「おかえり〜」と声をかけた。

でも夫はそんなお母さんに、
すごい剣幕で怒鳴りつけたのだ。

「なんで毎日ご飯をつくるんだよ。
来なくていいよ!」

いつもおだやかな夫が怒鳴るなんて、
誰も想像していなかった。

お母さんは、
「だってわたしにとって楽しいから
ご飯をつくっているだけよ。」
と精一杯、言い返した。
声は、ふるえていた。
目にはみるみる涙がたまっていった。

お母さんは、とりあえずそばにあった
キッチンペーパーを両手に持って、
あふれ出る涙をぬぐった。
顔は真っ赤になっていた。

どうしよう。やってしまった。
わたしがお母さんを泣かせてしまったんだ。

もう何を言っても、取り返しがつかなかった。

お母さんはそれから、
せっかくつくった料理を食べることなく、
目を真っ赤にしたまま家から出て行ってしまった。
夫は、お母さんを追いかけた。
わたしは家でそわそわしながら待機した。

ひとりで食べたチンジャオロース。
いつもよりずっと、しょっぱかった。

つけっぱなしだったテレビからは、
バラエティ番組のかわいた笑い声が聞こえた。

もう、さっきまでの不満なんて、
どうでもよくなっていた。

わたしのせいで、夫を苦しめてしまっていた。
何も悪くないお母さんのことを
大いに傷つけてしまった。

一生懸命かわいがって育ててきたひとり息子から
「もう来なくていい」なんて言われたら、
いったいどんな気持ちがするだろう。
その日はあまり眠ることができなかった。

お母さんは、そのあとすぐに
北京に帰ってしまった。

(つづきます)

第3回 お母さんに謝りに行く