ぼーっとしたミーハー通信。
なんだか一生、こうなのかしら。

<牛とミッツ。>

体を洗うヘチマを、泡立てる用に買ったのに、
ヘチマが硬すぎて、まったく歯がたちません。
歯はたててませんが、
泡立てるどころの状態じゃありません。
どうしましょ。春ですね。

今年の3月11日は、
はじめて気仙沼で過ごすことになった。
川沿いで、白鳥たちとむかえた、14時46分の黙祷。



あの日に震災が起こらなかったら、
牛とミッツと暮らすことはなかったんだなぁ。
と、すっかり都会っ子として暮らして、
東京でお留守番をしている2匹のことを思った。

震災が起こらなければ、わたしはへんちゃんのあとに、
また別の、東京都のねこを預かったり、
一緒に暮らしたりしていただろうし、
それはそれで、いまと同じように
たのしく毎日を過ごしていたんだろうと思う。
ねこのいない生活は、そのときすでに、
考えられなくなっていたような気がする。
どのねこも、いい。
見た目の好みとかはあるけれど、
それは興味を持つ、ひとつのきっかけにすぎなくて、
ほんとうは、どのこでもいい。

じっさい、牛を初めて見たとき、
いまも忘れられない衝撃があった。
好みでもなんでもなくて、
「うわ、すごいのいる・・・」
衝撃的な柄をしたそのねこと暮らすなんてことは、
思ってもみなかった。
「か、かわいくない・・・。
 でも、愛嬌ある・・・か、かわいい?
 かわいいかも?かわいいかも」
そんな感じで、こっちが変わっていったと思う。
(その後は、牛みたいな鼻のまわりの汚れたねこが
 ”好みのタイプ”になってしまったし)





当時は、もう、なんでもいいから、
この目の前にいるねこを家に連れて帰ることで、
ミグノンの負担を減らすことしか考えてなかった。
あの頃のミグノンは、週に一度、大量の犬やねこが
夜通しかけて捕獲されて、東京にやって来た。
お店に入ると、犬やねこの入ったケージが何段にも
積まれていて、
犬が吠えて、ねこが鳴いて、おおにぎわいだった。
それが、みるみるうちに、お店から預かり先に移動し、
また、一週間後に新たに動物が捕獲されて、やって来る。
多いときは、一度東京と福島の中間地点で、
動物の引き渡しが行われて、
ふたたび捕獲するというパターンもあった。
いま思うと「どうかしてるぜ」な状態の、くり返しだった。

わたしにできることは、1匹かせいぜい2匹、
持って帰ることだった。
だから、持って帰った。それが4月の中旬くらい。

あれからまる4年が経ち、
わたしは、牛とミッツと暮らしてる。
春の陽気に誘われて、
外の空気を吸いたいとウニャウニャと、鳴く。
あっちで暮らしていたときのように、
自然と家の自由な行き来のない
室内だけでの都会の生活は、
すこしつまらないかもしれないけど、
そこはがまんしてもらうほかないのだ。
だって、もう東京の子になったんだから。





トイレのドアの外で、わたしが出てくるのを待ち伏せる。
人が座ると、すぐさま膝の上に乗ってくる。
朝、おなかが空くと早朝だろうがなんだろうが、起こす。
無言で枕元に座り、ゴロゴロ言いながら、
熱視線を送る。
近くを通っただけで、おなかを出す。
ごはんを食べてるときに呼ぶと、びっくりして、
ひと粒こぼす。



たまたま来た、2匹との毎日。
ちいさなひとつひとつが、
どんどん当たり前になってしまうけど、
たいせつに過ごそう。



まだまだ長い付き合いだよ。
これからも、よろしくね。

ゆーないとさんへの激励や感想などは、
表題に「ゆーないとさん」と書いて、

postman@1101.comに送ろう。

2015-03-16-MON
BACK
戻る