ボサノバをつくった男。
ジョアン・ジルベルトが日本にやってくる!

プロローグ──舞台の上で時間が止まった話──


──2003年は、火星がやってきましたよね。
  6万年にいちどの火星が。
  ジョアン・ジルベルトと、同じ時代に生きて、
  彼が演奏し、歌う姿を見ることができたということは
  それに近い奇跡だと思います。

  あの広い空間にたった一人で
  歌っている姿を見たときに、
  そこに一つの宇宙が存在しているかのようでした。
  ジョアン・ジルベルトという宇宙が。
  ジョアン・ジルベルトという完璧な宇宙が。
  (大貫妙子さん 談)




ほぼにちわ。
「ジョアン・ジルベルト」と言われて
ピンとくる人は、たぶん、
かなり洋楽に詳しい人だと思います。
いや、かなり洋楽に詳しい人でも、
「歴史上の人物」みたいに思っているかもしれない。

ジョアン・ジルベルトは
「ボサノバ」という音楽を生み出した
ブラジルの音楽家です。
2003年の夏の終わりに初来日、
東京と横浜でひらいた4日間のコンサートは、
冒頭の大貫妙子さんの言葉にもあるように、
「奇跡」と呼ぶにふさわしいものでした。
「ほぼ日」の音楽好きのひとり糸井重里も、
行かなかったことをかなり後悔しているらしいです。

ジョアン・ジルベルトのコンサートが終わった数日後、
ジムでばったりお会いした沼澤尚さんは、
興奮気味にこんな話をしてくれました。

──ジョアン・ジルベルトの来日公演、すごかったね。
  ジョアン、ステージで、まったく動かなくなった時間が
  あったでしょう?
  あれは、どういうことだったのかを、
  ブラジル人の彼のスタッフから、聞いたんだよ。
  ジョアンはあの日、
  「いつ死んでもいい」と思いながら
  歌っていたんだって‥‥。


それは4日間行われたコンサートの3日目、
横浜公演でのことでした。



初日と2日目、東京国際フォーラムのコンサートで
ジョアンをたいへん驚かせたことがありました。

観客の拍手です。

日本のオーディエンスの、
あまりの熱い拍手に感激して、
思わず立ち上がってお辞儀をしたジョアン。
そんなこと、いままでの彼のコンサートでは、
ありえなかったことでした。

母国ブラジルでのコンサートは、
彼にかぎらず、すべからく
「客も大騒ぎして一緒に歌う」ということが
ほんとうに日常のことだといいます。
そんな国から来たジョアンは、
自分の音楽を、静かに、熱く聞き入り、
1曲ごとにおしみない拍手を送る
日本のオーディエンスを前に、
心から「うれしい」と感じたそうです。

それですっかり日本びいきになったジョアンは、
残りの公演を、悔いのないように演奏しづつけます。

そして横浜での3日目、事件が起きました。



拍手のなか、歌い終わったジョアンが
ステージで目を閉じたまま、
ぴくりとも動かなくなったのです!
いや、近くで見ていた人には、
「指先がぴくり」と動いたのはわかったといいますが、
5000人を収容する会場ですから
うしろの方の人はとくに
「何が起きたんだ?!?!」と思ったはずです。
それでも大きくは騒がず、
拍手を続けました。力いっぱい。

拍手をしながら考えたのは、
気絶したんだろうか、
あまりにすごい演奏で力尽きて休んでる?
眠っちゃったのかもしれないよ。
いや‥‥死んじゃったんじゃないか?!
いや、何かに怒っているんじゃないか
(理由はわからないが)。
などなど。

ジョアン・ジルベルトのステージは
彼がたったひとり、どんなに広い会場でもひとり、
ギターを持ち、歌う。という、
ほんとうにシンプルなものです。
なので、周りには誰もいない。

5分。10分。

拍手が続くなか、ジョアンは動きません。
拍手をする手も熱く、じんと痛くなってきます。
あ、動いた。手がちょっと動いた!
というようなざわめきのなか、まだまだ拍手はつづきます。
ジョアン、ぼくらはここにいるよ!
起きて! また歌って! 演奏して! そんな気持ちで。

心臓発作でも起こしたのではないかと心配した
ブラジル人のスタッフがジョアンのもとに歩みよります。
なにかをささやくと、軽くうなずくジョアン。
ああ、大丈夫みたいだ。

けれども、それでも、ジョアンは動かず、
演奏を始める気配もありません。

15分。20分。

永遠に続くかと思われた時間がすぎ、
もう拍手も(手が痛くて)限界だと思ったころ、
やがて──ジョアンはゆっくりと顔をあげて、
静かに、ふたたび演奏を始めました。

あっけにとられる観客。
な、なんだったんだろう?!?!

あまりにも「ふつうのコンサート」では
起こりえない事件に、
観客も面食らいながら、
またジョアンの歌が聴けることを嬉しく思い、
アンコールの時間をすごしました。
もちろん、そのコンサートは、
誰もが心から満足する、すばらしいものになりました。

同じことが、
最終日の東京国際フォーラムでも起きました。
3日目とちがったのは、
長い沈黙のあと、ジョアンが
「A-ri-ga-tou(ありがとう)」と言ったことでした。



そのことを、沼澤さんは、
ブラジル人スタッフに問うたそうです。
あの「沈黙」はなんだったの、と。
するとスタッフからは

──眠ってしまったわけではないよ。
  力尽きるとともに、目をとじて、
  拍手を味わっていた、
  というのが正しいのではないかな?


という答えが返ってきたそうです。

幕をおろさず、楽屋にも戻らず、
舞台の上で、アンコールの拍手を
全身で浴びていたジョアン。
観客の心を受け止めているあいだに
あっという間に時間が経ってしまったのでしょう。

当のジョアンは、というと、
すっかりゴキゲンになり、あとから何度も
「こういう観衆を何年も求めていたんだ」と、
言ったということです。そして、
「来年も日本に来るよ」って。



そしてその「来年」がやってきました。2004年です。
そうです、今年もジョアン・ジルベルトという、
73歳のブラジル人の偉大なる音楽家が、
また、やってくるのです。

僭越かもしれないけれど、生意気かもしれないけれど、
「ほぼ日」は、「ジョアン・ジルベルトを知らないでいる」
という人に、伝えたいと思います。
こーんなにすごい、音楽家が、いるんだよと。
彼を見られるチャンスは、そうそう、ないんだよと。
だから、取材をしました。
彼を心から尊敬する人たちや、
彼を日本に呼ぶのに、尽力した人たち、
彼をとてもよく知る人たちに。
もちろん、沼澤尚さんからもよりくわしく、
冒頭に紹介した大貫妙子さんからもたっぷり、
話をお聞きしています。
それを、このコンテンツで、お届けしていきます。

なお、初日の一曲目だけ、
コンサート写真撮影が許されたそうなのですが、
撮影したのはわれらが仁礼博さん! ひきいる写真チーム、
「P-2 VIBRATION」です。(このページの写真ぜんぶです)
ね、縁があるでしょ?!

取材のなかでプロデューサーの宮田茂樹さんから
お聞きした話を最後に。
一人の音楽家が、ステージで
観客の拍手を浴び続けていた最長時間のことです。
70年代のスカラ座で、
マリア・カラスが22分の記録を持っているそうです。
前回のジョアンは23分でした。
お茶目なジョアンは、
ギネス・ブックに申請しようか、
などと笑っていたそうです。





いま、おおきなCDショップに行くと、
「ジョアン・ジルベルト・イン・トーキョー」という
ライブ・レコーディングのCDが並べられています。
ジョアン・ジルベルトの初来日公演の4回の公演のなかでも
とりわけ「奇跡の演奏だ」といわれた、
2日目(9月12日)のようすを収めたものです。
よかったら、ぜひ、聴いてみてくださいね。


PHOTOGRAPH by P-2 VIBRATION(仁礼博+横山慎一)

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ジョアンへのメッセージは
メールの表題に「ジョアン」と書いて、
postman@1101.comにお送りください。

2004-06-22-TUE


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