山下 「1人1民族」というのは、
最近のジャズマンの間では
固定している考えですけど、
そもそも、昔、糸井さんが、
「1バンド1民族」という
すばらしい言葉をおっしゃったんですよね。
糸井 ぼくが言ったんですか?
山下 はい。
エッセイの中で書いていました。
ぼくはその言葉にびっくりして、
「これはすばらしいぞ!」
とジャズマンに伝えたんですね。
1バンドは、1民族なんだから、
それぞれの民族音楽があっていいんだと。
糸井 うん、少数民族ですけど、ね。
タモリ うん、絶滅寸前の民族もいる。
山下 だから、
それぞれのヘンな音感があっても
いいんだから、と
すごく勇気づけられたものですが、
そのうちに拡大解釈するやつが現れて、
「1人1民族だ」といいましてね……。
糸井 ぼくがなんでそれをいったか思いだした。
バンドって、余計なところで、
おたがいに批判しあうんです。
「それはちがうな」だの何だの……でも、
ジャンルが別と思えばいいじゃないかと。
山下 そうそう。それが民族学の基本ですからね。
糸井 ですよね。
では、次の質問にいきましょう。
「ジャズとブルースの関係を教えてください」
山下 これは言いだすとむずかしいかなぁ。
糸井 また深そうです。
ブルースっていうのは、日本では
淡谷のり子とか青江三奈とかいう?
タモリ 「♪窓を開けぇればぁー……」
(淡谷のり子のマネ)
山下 (笑)あはははは!
糸井 (笑)便利なかたが、いますね。
タモリ 日本人はすごいですね。
あれを「ブルース」といっちゃうんですね。

マツケンサンバって、
どうきいてもサンバじゃないですから……。
糸井 (笑)あだ名みたいなもんですよね。
タモリ サンバっていうのは、
ファドと、
大きくわけるとアフリカの音楽と、
土着の南米の音楽が合わさるから。
歌のソロの部分は、ファドだから、
なんか、哀愁がないとダメなんですね。
それでサンバの合唱になると、
アフリカ音楽は明るいですから、
それとの対比がおもしろいんで……。
糸井 ……あの、すいません。
つい、淡谷のり子といってしまって、
こんな展開になってしまいましたが、
いちおう「ブルース」の話ですよね?
タモリ はい。
ブルースは、
アフリカ音楽と
ヨーロッパ音楽が
衝突してできた、
最初の音楽なんでしょうね。
山下 そうです。
連れてこられた
アフリカの人たちっていうのは、
自分たちのお祭りもできないし、
自分たちの歌は、
ぜんぶ生活に結びついてるわけだけど、
そういうのはもう
根こそぎ取られちゃってるわけだから、
うろ覚えでしかないんです。

だけどそういう記憶の集大成が、
ヨーロッパの音楽と出会ううちに、
だんだん芽生えて、
音階が残ってきたんですね。
糸井 アメリカに来させられた人たちの、
「こんなんだったっけな?」
というアフリカの記憶としての音が、
ブルースであると。
山下 いろんな種族がいるわけでしょう?
だから、そのうちに、集大成的に、
「これなら誰もが納得できる」
というブルースができたんじゃないかという。
タモリ しかも、西洋の楽器を代用して、
自分たちの貧しい境遇だとか、
苦しい労働などを歌うわけです。
糸井 そこでつまり、
「ジャズ=俺の話をきけ」
の源が、はじまるわけですか。
タモリ そうなんです。
「俺はアフリカから連れられて」
「ジィさんは、どこどこ部族で」
「綿摘みは、ラクじゃない〜♪」
そういうようなことを歌うんです。
糸井 なんか……憂歌団そのものみたいな。
タモリ 憂歌団そのものなんです。
山下 (笑)
タモリ つまり、くりごと、ですよね。
もう俺はたいへんなんだよと。


2005-05-07 (c)Hobo Nikkan Itoi Shinbun 2005