第2回 枠のない自由は、つまらない。

山下 ジャズは、
ただ自由なだけではなくて、
クラシックに
曲としての決まりがあるように、
「これを外したらまちがい」
と言われる、割と厳密な
枠の中でやっている即興なんです。
タモリ うん。
糸井 そうなんですか。
それを聞くだけで、
ジャズを知らない人は、
「へぇー」と思いますよ。
山下 ジャズとしては、
明らかに
「合っている」ものと
「まちがっている」ものがあるから、
その「合っている」ものを
ジャズマンというのは、
みんなで一生懸命に勉強するんです。
糸井 うん。
山下 ところが、
「そんな枠なんて
 なくていいんじゃないの?」
という話が
出てきたりしたものだから、
ジャズの決められた枠を、
少しゆるめだしたんです。

コード進行が一小節で
二個と決まっていたものを
「そんなのやめちゃえ、
 八小節ぜんぶ同じにしちゃえ」
とかいうことで
「モード奏法」
という曲の作り方が出てきたり。

「枠を取り払った中だと
 もっと自由になれる」
という考え方は、
確かにあるんですけど……
ぼくはそれについては
ちょっと疑問に思うんです。
糸井 自由にしすぎることは危険だと。
山下 すべての枠を取り払うという考えが、
フリージャズを生むと、
その場に一緒にいる人たちが
何でもやっていいということになる。

実際、何でもやってみよう、
と最初には思うんですけど……
やっぱり、そのうち、
やることがなくなるんですよね。

どこかでパターン化して、
どこかで同じような配列が出てきてしまう。
糸井 そうですね。
山下 ですから、ぼくは、
自分にとっての演奏の手がかりは、
自分の中に、作っていくわけです。

たとえばぼくが
坂田明、森山威男とのトリオで
ドイツに演奏に行っても、
曲のテーマなんかは、前々から
ガチガチに決めておくんです。

いつでも、そのテーマに
合わせられるようにしておく……
それで、「合った!」と思ったら、
次には、それぞれムチャクチャやって、
合図を決めておきますから、
誰かが「今だ!」と、合図を出したら、
またバシーンと三人の演奏が合うんです。

そういう自由のほうが、
闇雲な自由よりも、
ずっとかっこいい、
とぼくらは思っているんです。

だけどヨーロッパのフリージャズ一派が
「あいつらは、あんなに
 コントロールされているじゃないか。
 あいつらはフリーじゃない」
と言ったんですね。

それなら、
ヨーロッパのフリージャズ一派が
何をやっているかというと、
はじめる前からビール飲んで、
ほんとに好き勝手やっているんだけど……
ぼくたちからすれば、それはつまらないの。
糸井 それは、よくわかります。
 
(つづきます)



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2004-12-27-MON


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